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第4話
鼻先を押しつけられた童は、声にもならない悲鳴を上げる。
「……………ひっ!」
拡大していた瞳孔 が一気に収縮をした。
恐怖に陥っていたにも関わらず魅入ってしまっていたことにも驚いたが、灰白の狼が持つ本来の残忍さを思い出したことが一番大きい。
そして、灰白の狼がそう望まなくとも彼に抱かれれば確実に殺される。兄弟子 のように。
「………さ、触らないで!」
童は灰白の狼に掴まえられた手を振りほどこうとするが、やはり力の差は歴然であった。
灰白の狼は溜め息を漏らした。
そういえば、あの童 に比べてこの童は恐怖に陥りやすかった。少しの脅しで混乱状態になっていたことも思い出す。
コレは失敗だ。恐怖を焚きつけ過ぎたと後悔してももう遅かった。
失禁したときのように青冷め、心底、恐怖に呑み込まれてしまっている。
「………ぃや、助けて! お願い、シャムス、シャムス………」
童は大いに、手足をばたつかせて暴れ捲った。頭の中は、もう助かることばかりだ。
死にたくない。死にたくない。どんなに無様でも死にたくはない。
童は助かるみ込みがありそうな赤褐の狼 の名を呼びまくり、灰白の狼に懇願までする始末。
「───ぃや、何でもいうことを聞くからお願い、お願い、助けて!」
だが、灰白の狼は無表情だ。
コレまで片手だけでは数え切れないくらいの童を無理やり、抱いてきたのだ。泣き叫ばれることや暴れられることはもう慣れている。
そう、コレ以上有益な情報が引きだせれなくとも、据え膳である童のことを抱かないという理由にはならない。
この先、鬼が出るか蛇が出るか解らないが、灰白の狼は掴んた童の腕を引っ張って唐櫃から彼を引き摺り出した。
「───ぃや、助けて、助けて、お願い。シャムス、シャムス、助けて!」
ひとの底力というモノは驚きを隠し切れないくらい、半端なモノではない。
しかしながら、灰白の狼が手をこまねくまででもない。
「おい、いい加減、諦めたらどうだ? コレから存分に啼かないといけないんだ。コレでは先に喉が潰れてしまうぞ?」
心配しての言葉でも、大きく切り裂かれた口端から吐き出される息が真っ白だとそうとは聞こえない。
だが、今の季節上、室内でも息が白くなるのは普通である。妻戸の隙間から入り込んでくる冷たい風は伊吹颪 と同じで、暖が取れるとは思えなかった。
室内に立ち込めてきた香の煙が、妻戸がカタカタと鳴るごとにゆらゆらと揺れている。
童は暴れるが、片腕を掴まれたまま冷たい床を容赦なく、引き摺られる。そして、身体に伝わって来るこの冷たさが永遠に来てしまったらどうしようという、更なる不安に駆られた。
兄弟子 のように素直に茵に押し倒されるワケにはいかない。ありったけの力で逃れようとするが、持っていた呪符と懐にあった呪符が床や袿の上に散らばるだけだった。
童が思うよりも早く、アレよコレよと袿が敷かれた茵に身体を押し倒されて組み敷かれる。火事場の馬鹿力という具合に本来以上の力で抗うが、まったく意味をなさなかった。
「………ぃや、いや、ぃや、死にたくない!」
童は力の限り灰白の狼の腕を引っ掻くが、覆われた毛皮に突き立てた爪が遮断される。無意味ともいえる攻撃に、灰白の狼の顔が綻 んだ。
「こら、素直にいうことを聞け」
血の気の引いた唇に狼爪を当てられ、ぷにぃとした感触が伝わってくる。強引であるが、優しく触れられるごとに抵抗力を削がれた。
大人しくなるにつれ、漏らした所為で袴 が地肌にへばりつく。ひんやりとした感覚が乾いた袿からも伝わってくるから、相当、染みついているのだろう。
だが、灰白の狼は小便の臭いも足袋に染みついた小便も性癖だという感じで、まったく気にしていない。
童はその行為に呑み込まれては駄目だと解っているのに、身体が次第にいうことを聞かなくなってきていた。
「───ぃや、………ぃや、………シャムス!」
そして、言葉には力が宿るという。連呼していた名はいつしか言霊となって、思考まで可笑しくさせた。
そう、同じように殺されるなら赤褐の狼 であって欲しいとさえ思えてきているのだ。彼のことを慕ってはいるが、恋愛感情はまったくないのに。兄弟子 のように敬愛しているといっても過言ではなかったのに。
言霊により吊り橋効果が発動し、童の思考は赤褐の狼 に恋を抱きはじめる。
すると、彼を恋しいと想うほど身体の芯が熱くなってきた。錯覚というモノは末恐ろしいモノ。そうであると思えば、道理を超えてそうなる。
灰白の狼の狼爪が舌先に当たった。尽かさず毛深いのとぷにぃとした肉球が容赦なく、口の中に割って入ってくる。
「………ハッん、………シャ、ムス………」
ぐちゅぐちゅと口内を乱暴に掻き回されると、その錯覚さえどんどん低下させられていく。が、その口内から溢れる言葉はシャムス に助けを求めるモノばかりであった。
暴れる手足も緩むことはあっても、止まることはない。
すると、無駄な体力を酷使するのは可愛そうだと、灰白の狼はおもむろに袿の上に散らばっていた呪符の一枚を前脚 に取った。少し破れてはいるが、念を込め直せばまだ使える代物だ。
「致し方ない。ひと様のモノを使うというのは気が引けるが、香が充満するまでの間だ。大人しく俺に従順になれ」
そう呟いて、灰白の狼は手に取った呪符を童の額に押し当てた。
金縛りという呪は、今の童にはおあつらえ向きのモノであろう。
灰白の狼が何やら呪文のようなモノを唱えると、抵抗していた童の動きが急に止まってしまった。
童にしたら、いきなり身体の自由が利かなくなったことに戸惑いが起こる。
「………な………に………?」
そして、呪文を何度唱えても何も起こらなかった呪符が発動したことにも酷く驚いた模様だ。
「驚くことはないだろう? 無効になった呪符に念を込めて放っただけだ」
とはいえ、ひと以外のモノが呪を使えると思うハズがない。赤褐の狼 でさえ、魔法は使えてもひとが使う呪は使えぬといっていたからだ。
今更、こんな無駄なことを思いだしても無意味だと嘲笑うが、痙攣したように筋肉が収縮ばかりする頬筋 が正常に動くハズがない。次第にあらゆる筋肉が固まり、声を出す声帯筋までもが痺れ、硬直してきた。
童は口が半開きの状態で灰白の狼の狼爪をくわれたまま、彼を見据える。みっともないが、童ほどの美貌の持ち主ならどんな格好でも問題はない。
毛深い前脚が、表衣を縛っていた帯を器用にほどく。表衣の下に着ている併衣の合わせの隙間がみえる童本来の肌は、今までみたこともないくらい異様な白さだった。
「ほぉー、コレは見事というべきか。病的に透き通った白い肌はみたことがあったが、健康体でコレほど白いとは」
北方生まれか?と動けなくなった童の身体を抱き締める灰白の狼は、ご満悦でその胸に毛深い顔を埋めた。
童特有の若い匂いがする。酸っぱい果実が完熟し掛かっているその匂いは、大汗を含むほど甘くなる。
その甘い蜜のような匂いに灰白の狼は噎 せそうになった。媚薬として焚いているあの香よりも匂いが濃く、目眩がしそうだった。
「あ~あ、堪らなくそそる匂いだ。あの童もソレなりにいい香りであったが、お前のモノは更に品よく上質であるな」
灰白の狼は顔を上げ、狼爪を含ませたまま小さな顎を残りの四本の指球で掴んでその顔を少し上に持ち上げた。薄い唇だが、柔らかいソコに口づけをしたら堪らないだろうという顔をする。
そして、その唇に接吻 ならぬざらりとした長い舌を這わそうとしたら、いきなり狼爪を噛まれた。
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