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第7話
彼を押し倒すように覆い被る灰白の狼 の体勢は半刻前と同じだった。
「わ、悪い………」
慌ててその上から退こうとすると、潤んだ瞳の彼と視線が合致 合う。
「構いはせぬ。最初からこうするつもりでおったのじゃから」
首にあるもふもふの鬣に腕を廻され、彼に引き寄せられた。
桜貝のような薄い色素でぷるんと弾みそうな舌が、耳穴に入ってくる。
「ほれ、いったであろう? この俺が直々に手取り足取り光沢なことを教えてやると、な」
身震いをするようなぞわりとした彼の声に、膨れ上がっていた男根が一気に縮こまる。
身体は好みであるのに、目の前にいる彼には性欲おろか、欲情までをも削ぎ落とされる。
「本当に、お前さんはコヤツのことを心底好いておるようじゃな」
出会った刻 など関係なしにといった感じで呟き、彼はコレは誤算じゃといってケタケタと嗤った。
「さて、戯 れ言はココまでにしておこうかのう。もう時期、あの小童がココに戻ってくる頃合いじゃからのう?」
彼がそういって、次こそは抜かるでないぞと灰白の狼 の頭部の毛をそっと撫で上げた。
優し過ぎる労いに芯から温まるハズなのに、凍える吹雪のように心が冷たい。
湯溜まりで火照った身体までが、さめざめと凍りつくようだった。
瞬時、ぞくりと肌寒さが天から舞い降りてくる。
温かいハズの湯まで冷たく感じた。
照れも恥もない。
ダタダタ、身体が、否、魂から彼は危険だという警笛を鳴らしているようで、灰白の狼 は煩いとその小さな手を振り払うのであった。
弾かれた手がゆっくりと宙に舞う。強く払ったつもりはないのだが、派手な音と彼が苦痛に見合った歪んだ顔をみせるから、ざわざわとしたとんでもない罪悪感を覚える。
「………すまぬ」
咄嗟に謝り、宙を舞う彼の手を優しく掴むが、次の瞬間、感情が高高く昂揚 した真っ赤な顔をした彼が切ないという言葉と共に現れる。
「カ、………ルマ………」
そんな彼は、灰白の狼 に何かを訴えているようである。
しかも、灰白の狼 の勇み立った男根の先に、ねちょりとした生暖かいモノが触れている。
ソレは、ハクハクと息をしているようで敏感な先端をハムハムと甘噛みされているようである。根本の亀頭球までを刺激されているような気もなった。
吐き気と悍しさしか感じ取れなかった彼だったが、今はあの時のような独占したいという感情が沸き上がってくる。
灰白の狼 は、何者かが憑依している童に欲情?と引き吊った顔で苦笑すれば、立ち込めている煙が温泉の湯気でないことに気づく。
だが、ソレがどういうことなのか直ぐには解らなかった。
「………え? ………コレは、………ど、ういうことだ………」
辺りを見渡し、灰白の狼 は直ぐさま自分の立ち位置を確認する。
そして、ココが温泉街ではなく自室であると判明すると甘い香の匂いと尿素の臭いまでが舞い戻ってきた。
灰白の狼 は何度も瞬きをする。状況を把握しても頭が追いつかないようだ。
混乱した状態で、再び目の前にいる彼に視線を向ける。
視界の隅にある茵と床には、文台に片づけられたハズの呪符と式札が散らばっていた。
直衣を乱し、火照った身体の彼は完全に媚薬香にアテてられている。
コレは如何様なこと。狐に掴まれた気分で、彼に触れると混乱していた頭が一気に覚醒する。
彼はあの憑依した童ではない。
数拍前のアレは夢なのか幻なのか解らないが、現 の影に足を取られていたことは間違いない。
「な、……んだったんだ、アレは……」
まだ夢心地でなんともいえない表情をする灰白の狼 は、今しがたの出来事の理解に苦しむ。
だが、一番驚くことは媚薬香に打ち勝ち自我を取り戻していた童が、再び虚ろんだ瞳で触れて欲しいと積極的にせがんできていることだ。
「ぁ、っぃ………、はゃく………、ね、ぉ、ねがぃ」
コレも幻覚なのかと疑うほど童は灰白の狼 に対し、従順で朗らかになっている。
何が童をココまでさせた?
記憶にない行為の跡と、微かに臭うアルコールの匂い。
だが、弱々しい力で引き寄せる童の熱い小さな舌で、呆けた口端をしどろもどろ這わされるとどうでもよい気になる。
童は何をすれば、彼が求める欲しいと思う刺激を与えてくれるのか、解らないようだ。
「な、お前はソレでいいのか?」
そう問うが、そう嗾 けたのは記憶にない己自身だ。
そして、今しがた見た夢現の所為で頭がスッキリしているのか、みえていなかった部分がはっきりとみえ、灰白の狼 は童の本来の本質を知ることになる。
甘ったれの構いたがれ屋。
頭と首に廻された手に軽く触れると、すっと妻戸が開いた。
後始末を頼んでおいた黒灰の狼 が、戻ってきたようである。
異能 と魔法石の違いといえば、前者は決めた物質に異空門 を繋げなくてはいけないが、後者は固有体ひとつの移動だから、わざわざ異空門を繋げなくとも好きな場所に自由に行き来できることだろう。
つまり、妻戸を媒体にして異空門を繋げている灰白の狼 は、いつもなにかしろひとの世にあるモノを持ち帰ってしまうのだ。
冷たい外気を招き入れる妻戸が、ゆっくりと閉められる。
この状況をどう説明しようか?と思案していたら、灰白の狼 よりも先に姿を現した黒灰の狼 に声を張り上げられる。
「大変だぞ! あの屍、こんなモノに変わりやがった!」
その黒灰の狼 としては、室内に入った途端に嗅ぎ取った甘い香の匂いに混じって漂う異臭に、心をざわめかしていた。
そう、この異臭が何なのか黒灰の狼 には直ぐに察しがついた。
ついたが、家臣である彼が最優先にすることはダタひとつ。
主君に早急な対応を促すこと。
非礼でも後手に回るよりかは断然よいと判断し、強行突破。
ソレに、失禁嗜好である灰白の狼 ならこんなことは早々とやり兼ねぬことだ。あの屍が、特別に普通の抱き方だけであっただけだ。
性情の相手をどこで拾ってきたのかは不明だがとぼそぼそと呟き、この場合、ひとの世で羽根を拡げれなかった腹いせ と取るべきかと肩を大仰に落としながら、黒灰の狼 は茵がある屏風と几帳に向かった。
どんどんと近づいてくる黒灰の狼 に宛がっていた男根を引くなら今ではあるが、早くとせっつく童に灰白の狼 はアテられてしまっているようだ。
「ヒョニ、悪いが後にしてくれ。今、手が離せぬ」
童の要望を受け取って引き下がらせようとするのだが、黒灰の狼 は主君の意向など断固拒否して屏風を退かすと几帳を潜ってきた。
几帳の造りからその下を潜り抜けないと手前の視界が入らないようで、突き出していた鼻先だけが先に潜り抜ける。
すると、その口に咥えているモノだけが運よく灰白の狼 の目に留まった。
ソレは、袿に散らばっている呪符の中にも混ざっているモノだった。
また、この童に何者かが憑依したというあのけったいな夢のようなモノをみたときにも、ソレを使って彼は式神らしきヤツらと会話をしていた。
そのことから何をいい差しているのかを汲み取るのは、簡単だ。
そして、よくよく考えてみればこの童が唐櫃の中で必死に握り締めていたモノもコレだったと気づく。
「ま、さかな………」
何処まで呪符音痴なんだと頭を抱える灰白の狼 は、苦笑いをするしかない。
確かに、種類は豊富だ。だが、紙札は字や図を書いて作るのが一般的で、種類も字符、図符、字図符の三種しかない。
因みに、呪を放つモノは字符が多く使用され、式神を宿したり媒体にするのは字図符が多い。図符はお守りや護身用といったところだ。
未学習の灰白の狼 でさえ、一度見たら覚えれるレベル。彼は馬鹿なのかと思いつつも、オメガの不器用さは天女様が匙を投げるほどのモノだ。
兄者 といった童が、不憫でならないといった顔をする。
一方、黒灰の狼 も輝膜 のお陰で、薄暗い室内でも灰白の狼 の姿を易々と捉えることができた。
性交中に顔を覗かすことなどコレまでに何度だってあったことなのに、不憫な顔をする灰白の狼 に黒灰の狼 も眉間にシワを寄せる。
今更そんな顔をされてもと思っているのだろう。
灰白の狼 のそんなな顔をそう勘違いをする黒灰の狼 は、たかがひとごときにと思いつつも、興味本位に今度はどんな面の餓鬼なんだ?とチラリと視線を右下に移して覗き込む。
半瞬後、さらさらと流れていた穏やかな血流が一瞬で激流に変わった。
温厚であっても、黒灰の狼 も立派な狼人だ。残忍さを秘めていないハズがない。
咥えていた式札を器用に前脚の指球の間に挟み取り、瞳孔を大きく開く。
黒灰の狼 の柔らかい声色がドス黒く震えた。
「な、んで、ソ、ヤツが、いるのだ………」
逃がした童の姿を、この場で一番執念深い黒灰の狼 が見間違えるワケがない。
腸が煮え繰り返しそうな怒号に、大輪のような微笑みまでが彼の顔からスッと消えていた。
同時に、主君であるハズの灰白の狼 のことを上から蔑 むように睨みつける。
「どういうことか、ちゃんと説明しろ!」
「説明も何も、この童があの唐櫃の中に隠れておっただけだ。お前も、俺の好物を知っておるだろう?」
灰白の狼 は顎で几帳の外にある唐櫃を差し、詰め寄る黒灰の狼 の背中を軽く叩くと今直ぐ部屋から出ていくようにと追い払う。
だが、黒灰の狼 はその前脚を撥 ね退けた。普段ならこういう配慮と機転を効かすが、頭に血が上った状態だと視野が狭くなるらしい。
「そんなの、何の説明にもなってない。解ってるのか、ソヤツは………!」
気高い狼人 を愚弄したのだぞ!と意固地になった思考で、怒りのままがなる。
そして、前脚の式札、童、灰白の狼 の順番に視線を移し、コレ以上の屈辱はないという趣で地団駄を踏めば、実に不遜 だ。
負けず嫌いが先立つ。だが、ソレでも黒灰の狼 が噛みつくのには絶無 である。
ソコで、はたっと気づく。
オメガの障気にアテてられるのは、アルファだけではない。ベータでも軽く侵されるのだ。
僅かな放出でも雄を引き寄せるその魅了の力は、最強である。
「ヒョニ、下がれ!」
「煩い!」
親の仇にもみせるような強面で、ジリジリと摺り足で近づく黒灰の狼 の眼には嫌な色しか映っていなかった。
「ヒョニ! 下がれといっておるのだ! 聞こえておらぬとはいわせぬぞ!」
童の軟らかい菊の間から男根の尖端を離し、灰白の狼 は威嚇する。
剥き出された感情は、色濃く染まった真っ黒な歯茎と同じ。
第三階級であろうと黒灰の狼 は雄で、迫害者だ。正気を失っていても、ソレは変わらない。
「聞け! コイツは俺の嫁になるモノだ!」
シャムス という狼人豪族の唾つきだがまだ番になっていないようだから、灰白の狼 は傲慢なほどにそういい切る。
恐らく、喰っちまったら自分のモノになるとでも思っているのだろう。
「いいか、万が一コイツに手出しをしてみろ! どうなるか覚えておけ!」
黒灰の狼 から奪うように式札をもぎ取ると、不愉快だと指球を鳴らす。
魔力操作を行わなくとも、第三階級 なら簡単に葬 れる。
灰白の狼 は手を抜いて放った。が、几帳と屏風をなぎ倒し、黒灰の狼 の身柄はこの童が隠れていた唐櫃まで派手に吹っ飛ぶ。
ガツンと白木の淵に後頭部を打ちつける黒灰の狼 は、更にキツい尿素の臭いに鼻腔を塞ぐように鼻先を両前脚で押さえた。
「…………っ!」
何をする!と灰白の狼 を睨めば、少しは目が覚めたか?という呆れているが鋭い視線に瞬きをする。立場が逆転、否、いつの間に圧されたと首を捻りながら辺りを満遍なく見渡した。
何故か、茵に横たわる童の姿に先ほどまでの怒りはなかった。
「………私は、………一体………」
確かにこの童を逃がしたことへの執着はあったが、飽くまでソレは灰白の狼 の為だ。早いところ後継ぎを作って欲しいという家臣ならではのことで、彼をどうこうしたいということはまったく思ってなかった。
そう、頭の芯がぼーっとなった瞬間にはもう理性は吹き飛んでいたのだ。
「お前、オメガのフェロモン にアテられたんだよ」
灰白の狼 は更に呆れた顔をする。
黒灰の狼 は正気には戻ったようだが、現実を直視できずあからさまに肩を落として首を振った。
背と頭をぶつけた唐櫃の中の現状をみてしまったからだろう。
「お前、また………」
ソコには、不憫でならない己の立場を悔やむ黒灰の狼 の姿があった。
この際、オメガにアテられたことやこの童に異様な執着を示したことはどうでもいい。
今は、些細なことだ。そう、この灰白の狼 の失禁 嗜好もだ。
だが、ソレはこの唐櫃を惨状をみるまでのことである。
「あっもうっ! お前のこの嗜好にはついていけぬ! 解っているのか? この後始末をするのが、誰なのかを!」
躾だと、黒灰の狼 は床に落ちていた呪符を掴む。
魔法石を容易に発動させることができるのだ。不発に終わった呪符だろうが、黒灰の狼 の手に掛かればお茶のこさいさいであった。
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