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第8話

  今更、幼い頃からの性癖を正そうとしてももう遅い。が、この変態思考(失禁愛好家)が行き着く先には未來がない。 コレも、主君の為である。 と、黒灰の狼(ヒョニ)が呪符を放った途端に、ザバッと灰白の狼(カルマ)の頭上から大量の水が降ってきた。 だが、コレは躾というよりも腹いせである。 だから、滴るように垂れ落ちる水は滝のようであった。 「おい、ヒョニよ。コレは幾らなんでもやり過ぎだぞ?」 呆れた声をだすのは、黒灰の狼(ヒョニ)が正気に戻ったことが解ったからであろう。 戻っていなければ、さっきよりも冷酷で非道な処置が(ほどこ)されている。 「まったく、誰に似てこうも反抗的な態度を取るようになったんだ?」 「誰に似たって、そりゃお前しか居らんだろう。反旗を翻せるほどの男が、どの口を開けておる」 累犯だと解ってても灰白の狼(カルマ)に噛みつくのは、ふわふわの彼の毛皮が無事だからだ。 そう、灰白の狼(カルマ)は咄嗟に放った呪符で難を洋々と避けていた。 当然のことだが、茵で組み敷かれている童も難を避けている。 もし、彼らが濡れ鼠のようになっていたのならば、黒灰の狼(ヒョニ)の気も蒼穹(そうきゅう)の如く晴れ渡っていたに違いない。 「お前なぁ………」 頭部の毛を掻き、灰白の狼(カルマ)は童をみる。コレは長期戦になりそうだと思ったのだろう。 案の定、黒灰の狼(ヒョニ)は頭と背を打ちつけた唐櫃の背に掴まりながらひょろひょろと立ち上がり、身がまえる。 叩きのめせるときに叩きのめしておかないと、対等な立ち位置に立っていられないからだ。 ベータで第三階級(平民)なのに主君と対等に接して話せるのは、黒灰の狼(ヒョニ)が持つこの勘の良さのお陰だろう。 「どうした? 怖じ気ついたのか? 目付閻魔と巷では恐れられておるが、所詮は変態糞和郎なだけなのだろう?」 ほれ、かかって来いよといわれても、茵の両端と床板はびしょ濡れである。 動きたくない。しかも、床冷えが厳しいこの季節、冷たい空気にソレ以上に冷えた外気が入った室内は氷室(ひむろ)となりつつある。 そんな冷えた室内で続きをしようというなら、大馬鹿野郎だ。 たかだか黒灰の狼(ヒョニ)の自尊心のために、灰白の狼(カルマ)が風邪を引いてまでやるような価値はない。 「あのな。先に吹っ掛けたのはこの俺だが、ココは主君である俺の顔を立てて引くのが家臣ってヤツの務めではないのかよ?」 引けよ、ヒョニと言いたそうな顔は頼りがいがある主君の顔ではない。 だから。 「どこの国に、失禁をこよなく趣向する主君を立てる家臣がおるのだ?」 恥ずかしくって外もおちおち歩いてはおれぬと黒灰の狼(ヒョニ)はがなる。 その意見は、相当正しい。例え童の放つオメガの匂いにあてられて自我を暴走しそうになったとしても、彼が正義だ。 「いいか、東宮の天見公(叔母上)様も紫鳳の高光公(叔父上)様も嘆かれておられるのだ!」 そもそも、腹違いの弟君(ルカス)様に兄弟の縁を切られたことをもう忘れたか!と内々のことを暴露されたら、灰白の狼(カルマ)の敗北は間逃れない。 「ああ、ソレに、初等学府の頃だったか媛大臣(従姉妹)様の湯巻───」 「うああああああぁぁ〜ぁ、解った解った。もうソレ以上何も言うな。何か、何か大切なモノをココで一気に失くしそうで俺は怖い!」 灰白の狼(カルマ)は急いで回避に使った呪符を茵の上に捨て、黒灰の狼(ヒョニ)から奪った式札はもふもふの毛の中に突っ込み、立派に育った男根も序でに股にしまった。 出来上がっている童には悪いが、コレ以上性交は皆無に等しい。 よって、続きは湯殿でだ。 幸いひとの発情症状は、薬剤で抑えることができる。 媚薬もそのひとつだ。 熱にうなされ、顔を赤らめている童の姿をみながら、中に突っ込んでいなかったことが救われたと嘆息する。 アルファの男根の先には亀頭球というモノがあって、膣に精子を注ぎ込むまでは抜けない仕組みになっている。 因みに、狼人のモノはその機能が根本にあり、露出する部分がソレであるからどの種族よりもデカいと評判である。 そして、その機能は狼人の雄なら誰でも持っているモノである。その為、狼人の繁殖はどの種族よりも高く子作りに苦労することがない。 ま、狼人のアルファは例外である。アルファの元々の祖先がネコ目イヌ科イヌ属だといわれているから、その優性遺伝子が色濃く拾っているのだろう。 「チッ! 腰抜けめが!」 「腰抜けで、結構だ。俺はな、無駄な争いはしない主義なんだよ」 灰白の狼(カルマ)はそういい切ると、狼人の姿になる。 「ハァ? よくいう。力の限りでふっ飛ばしただろう!」 黒灰の狼(ヒョニ)はああだこうだといいながら、闘う気満々ではないかと臨戦態勢を崩さない。 「あのな、手加減はした。派手に吹っ飛んだのはお前だ!」 灰白の狼人(カルマ)はがなるが、クルリと黒灰の狼(ヒョニ)に背中をみせると茵に寝っ転がっている童の足袋と腕だけを通した衣を脱がせ、自分の肩に羽織っていた袿をその身体に纏わせた。 夢現であろうあの不思議体験でやたらお漏らしのことを気にかけていたから、この童も同じだと思ったのだろう。意外に律儀なところがある。 「な、おい、何をしておる?」 待てど暮らせど攻撃してこない灰白の狼人(カルマ)に、黒灰の狼(ヒョニ)が眉根を潜めた。 「はぁ? 何をって、そりゃみれば解るだろうよ? 気が()れたから湯浴みにいくんだよ」 どこのどの経緯を通ったら、そういう経緯になる?と、黒灰の狼(ヒョニ)は気の抜けた声を出す。 「おいおい、いっただろう。俺は無駄な争いはしない主義だと」 「本気だったのか?」 「本気もなにも、お前と揉めてよかった経験なんてひとつもないだろう?」 視線だけを送ってせっせと住まいを直す灰白の狼人(カルマ)は、惨敗続きで主君の立場が危ういなどと吐かす。 全部、自業自得ではないかと思う黒灰の狼(ヒョニ)は、肩を落とした。 この場合、気が逸れたというよりも、この場からさっさと立ち去りたいと思っている灰白の狼人(カルマ)の要領の良さに呆れているのだろう。 どこまでも低落な主君に、そろそろ愛想が尽きても可笑しくはない。 「待てよ、誰が湯浴みにいってよいなどといった?」 握り締めた拳を勢いよく唐櫃の側面に打ち込めば、がたりと倒れる音がする。 四足で支えていた中の一本の足が折れたようである。 唐櫃は体勢を崩し、床に倒れる。唐櫃の蓋がない為、中にあった衣が雪崩れのように床に流れ落ちた。 「おい、ヒョニ、何をする。着替えが全滅しただろうが」 一旦手を止め、倒れた唐櫃と黒灰の狼(ヒョニ)の方をみた。 緊迫した空気の中、のほほんとした口調で返すのは主君の権限が行使できるからだろう。 「何が全滅だ。私が引っくり返す前から全滅だっただろうが」 黒灰の狼(ヒョニ)は型を崩し、横目で倒れた唐櫃をみる。 そして、この後始末はどうせ私だよなという遠い目をしていた。 そう、床に横倒しになっている唐櫃からぶちまけた衣はすべて尿素臭い。 ソレはもう、お漏らしという可愛い次元ではなかった。言うなれば、垂れ流しである。 「私にはまったく持って非がない。だから、頼るな。自分でなんとかしろ」 「イケズな。ま、よいだろう。コイツの着替えも必要だから、針子を呼べ」 いった傍からまた黒灰の狼(ヒョニ)に頼る灰白の狼人(カルマ)は、皮の厚い狼人だった。 「おいこら、いった傍からこの私に命じるな」 灰白の狼人(カルマ)灰白の狼人(カルマ)だが、黒灰の狼(ヒョニ)黒灰の狼(ヒョニ)だった。家臣であるまじき態度で主君を叱咤(しった)し、ぷりぷりとがなって文句を言う。 その態度も大概である。 「そう、固いこと言うなよ。どうせ、掃除道具を取りに行くのだろう」 ついでだついでとまたまたのほほんといい退け、呑気に手をはたはたと振る灰白の狼人(カルマ)は、黒灰の狼(ヒョニ)の気持ちをまったく察してくれようとはしない。 苛々が募る黒灰の狼(ヒョニ)は、怖い顔で歯軋りをする。 魔法が精通していてもこういうところは人力であるから仕方がないが、だからといってホイホイと呼びたくない。 手でチクチクとひと針ひと針縫う針子は特注品でお高いのだ。 さて、わざわざ衣を新調するのは童の今後のことがあるからだが、一番の理由は彼の感性が尋常ではないというところだろう。 利き目が乏しい灰白の狼人(カルマ)でも解る。童が着ている直衣は、生地やかさね色目からいっても第三階級(平民)のモノではなかった。禁色(きんじき)深紫(こきむらさき)で、諸臣(しょしん)三位以上のモノである。 半色だと中途半端で許色(ゆるしいろ)であるが、階級を重んじる人倫(じんりん)で貴族と同等なモノをそうやすやすと着れるモノではない。 つまり、ソレ相応の立場かその地位であるハズだ。 余談ではあるが、童の年齢からいえば相当な出世頭だと思われ勝ちだが、ひとの世の人生は三十年である。元服も、八歳から十歳という早い段階で行われる。 童の歳が十五と推定するなら、既に七年から五年の宮仕えの実績と功績があるということになる。世代交代が早いひとの世ではこの年齢が一番の出世時期で稼ぎ時でもあった。 「な、ヒョニってばっ」 返答も返さない黒灰の狼(ヒョニ)に、撫で声で促すが。 「ああ、確かに行くがソレとコレとは別だ。自分で行ってこい」 狼の姿から狼人の姿に変形する黒灰の狼(ヒョニ)は手厳しく切り返し、まったく相手にしない。 何だよ、ケチ臭いなと冗談気味の口調で文句を返す灰白の狼人(カルマ)だったが、数拍をおいた次の瞬間には目を疑うほど真顔になっていた。 「ヒョニ、解っておるのか? お前の()()は、この部屋の掃除になっておるのだぞ」 「ソレがどうした。針子は呼ばなくっていいのか?」 黒灰の狼人(ヒョニ)は死ぬほど怖い顔をしていう言葉がソレか?と思うが、いったソバから頭を垂らした。 「お、すまぬな。宜しく頼む」 ハメられたと思っても、この場合は仕方がないがない。 反論したら、灰白の狼人(カルマ)の立場が危うい。 そう、コレは主君の立場上の問題であって、個人的ななあなあの馴れ合いでは片付けられない。 なんにせよ、口上でないと他の従者に顔向け出来ないこともあるのだが、いち番ははやりやっかみを買うことである。ソレに、どこぞの(ぼう)が首を突っ込んでくるとも限らんし、ソレを意図的に引き起こされるのももはや面倒である。 「相解った。だが、なっておる(・・・・・)と偉そうにいうがいつも通りだろうが?」 黒灰の狼人(ヒョニ)が、これみよがしに文句を貼りつける。 コレくらいなら、可愛いモノ。 文句の叩き売りは、数撃ちゃ当たる雁ではない。 そう、目を瞑ることは多い主君だが、己の足元ばかりみて周囲の足元をみない馬鹿でないから、さっさと見切りをつけられないのだ。 「何だよ? この他にも罰が欲しかったのか?」 灰白の狼人(カルマ)は、折角不問にしてやったのにという恩着せがましい顔を黒灰の狼人(ヒョニ)に向けた。 「そういうことではない。立場上のその不毛さをこの場を借りて直談判しているだけだ。結論からいえば、採算が合わない」 解せぬというやたら不穏な空気を黒灰の狼人(ヒョニ)は醸すが、灰白の狼人(カルマ)はけろっとした顔でソレを(とが)める。 「採算が合わないといわれても、罰の等価の問題ではないだろう?」 「確かにそうだが、私としてはもっとこう実りのある言質(げんち)が欲しいのだ」 力説に語る黒灰の狼人(ヒョニ)だが、具体的に何が欲しいのか灰白の狼人(カルマ)には解らない。 また、こう遠回しにいわれるのはあまり好きではなかった。 「ヒョニ、廻りくどいのは好かぬ。はっきりと申してみろ」 「おい、いいのか? お前に取っては立場上の問題になるであろう?」 「構わぬ。童を待たせる方が罪だ」 そういい切ることだけあって腹の据わりは十分であったが、やたらしつこく灰白の狼人(カルマ)にすり寄る童には黒灰の狼人(ヒョニ)も苦笑いだった。  

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