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第9話
「確かに、いっ国の王がオメガ ごときで他国を滅ぼすくらいだ。諸国の貴族 が家臣を皆殺しにしても可笑しくはないか………」
ブツブツと呟き、黒灰の狼人 は横倒しなった唐櫃から溢れ落ちた衣を横目でちらりとみる。
「うむ、この期を逃せばもう二度と明るい未來はこないかもしれぬしな………」
そして、怪しい雲行きでやんわりと何をいいたいのかを意思表示しようとする。
「では、僭越 ながらいわせて貰おう。失禁行為は今後禁止だ」
「………っ! お前、本当、甘い顔をすれば、えらく鬼のようなことを平気でいうなっ!」
灰白の狼人 が噛みつくのも無理はない。嗜好のひとつを永久的に封じられるのだ。
しつこいようだが、この二人の価値観の相違は今に始まったことではない。
「ん? そうか? だが、主君 に二言 はないのだろう?」
「………っく!」
すかした顔で返されたら、駄目だとはいい返せれない。灰白の狼人 も漢だ。梼昧 ではない。
だからといって、相解った!とエラ い男気で返すのも口惜しい。
その間、ずっと灰白の狼人 の胸板に摺り寄ってくる童の頬を掴むと、半開きになった唇が上に向く。薄い唇に指球を這わしたら、ごくりと生唾を呑み込む始末だ。
「まったく、お前の所為で俺はコイツの策にまんまと嵌まってしまった」
どうしてくれるのだ、と責任転嫁をされても童の預り知れないことである。
だが、何かに絆 されてしまっている童はいわれるがままなされるがままだ。反抗的な態度もない。
逆に、漸く触れてくれた悦びに灰白の狼人 の首に抱きついた。
「………はぁく、………さぁて………」
舌足らずの呂律の廻っていない童の姿は、実に愛らしい。
この童が禁止だと言えば、惜し気もなく二つ返事で許しただろう。
ソレほど愛らしいが、言質を取ろうと息巻いている黒灰の狼人 はそう簡単には落ちないし、見逃してもくれなかった。
「おい、戯 れ言はよい。早く同意しろ」
解ったと言わない限り梃子 でも動きそうもない黒灰の狼人 は、ココぞとばかりにあらゆる変態嗜好 を封じて来ようとしている。
「そうやって先延ばしにするなら、お前の変態嗜好をすべて封じるからな!」
はったりではない本気の脅しに、身震いがする。このままでは、本当にあらゆる嗜好をコレ見よがしに封印してきそうである。
快楽とも言える変態行為は、淡白な性行には絶対に欠かせれない代物だ。
甘ったるい言葉で相手の羞恥を醸すのも美味しいが、非礼な態度で相手の慙愧 に耐え難い顔を見るのも乙なのである。
余談ではあるが、腰を振るだけの猛獣みたいな交尾よりも、今は病的な変態行為の方が貴族の間では流行している。
そう、漸く偏執 的な残忍さが支流になってきている今日この頃、コレ以上手数を減らされるのは御免被る仕打ちで、この先非常に困るのだ。
「解った、解った。もうしない。失禁嗜好は封じる。コレでいいか、ヒョニ」
他の趣向までを封じるのは勘弁してくれと頭を下げる灰白の狼人 は、死ぬほど必死だ。
幼少の頃からのこの糞のような変態性癖 を、この期に理解して欲しいと思っているからだろう。
「ああ、満足だ。この十八年の間で、いち番満足できた言葉だ」
汚物をみるような冷たい視線から打って変わって、黒灰の狼人 は実に清々しい顔で微笑んだ。
いつもの大輪の微笑み ではない。心底、満足しているのだろう。
「そうか、そうか」
灰白の狼人 もほっと胸を撫で下ろして蔓延 な笑みでコクコクと頷き、しがみついてくる童の身体を引き寄せた。
すると、不意にあの小舅 のような彼のことが脳裏に過る。
『お前さんの性癖をコヤツに求めても、引かれるだけだぞ?』
黒灰の狼人 と同じことをいってきた彼だ。しかも、いけすかない剛力無双 さは鼻につくというよりも、腹立たしいさが一際垣間見れるあのふてぶてしい態度と口調は夢でも幻でも許しがたし。すべてを見透かしたあの視線は、言語道断。もう不愉快極まりないとしかいいようがなかった。
そして、何よりもあの身の毛もよだつ霊気はひとのモノではない。神や鬼の領域だ。精霊や悪魔という類いにさえ分類される。
夢現 であったとしても、もう二度と逢いたくはなかった。
「お前、鬼神 でも飼ってるのか?」
思わず口から溢れた言葉に、黒灰の狼人 が瞬きしながら応じる。
「鬼神? 鬼畜 なお前がいう言葉か?」
更に、邪道を究めているのは灰白の狼人 の方だと云わんばかりの視線が向けられる。
「失敬なヤツよな! 確かに、鬼畜道は一通り究めておるが、情けはちゃんと健在しておろうが!」
独り言に返されるとは思わなかった灰白の狼人 は、箸にも棒にも引っ掛からないと叫ぶ。
「………ソレ、自分でいうか? 普通………」
酷い有り様だと自嘲 しているのだと取る黒灰の狼人 は、呆気に取られた顔をしていた。そのうち空から牡丹餅 でも降って来るんじゃないかという顔は、ソレはもう胡散 そうだった。
ソレで、語彙 の過ちに気づいた灰白の狼人 は小さく咳払いをして目を游 がす。
「ヒョニ、今のは聞かなかったことにしてくれないか。タダの愚痴 だ」
さっさと湯浴みに行けば良かったと後悔するのだが、惜しくも黒灰の狼人 に感ずかれる。
「えっ? 何? まさか過怠 ?」
挙げ足を取らせば右に出るモノは誰もいないということだけあって、弄 り放題だ。
「もしやとは思うが、遺憾千万 的なことを云おうとしていたのか?」
「違っ………わなくもないが、その、なんだ。俺の、否、俺なりの俺への愚痴であって、その感想でもあるというかいわないともいうか………」
歯切れの悪い灰白の狼人 に、黒灰の狼人 はとても嬉しそうな顔をする。
「愚痴ときて、感想か、………ああ、うんうん、そうだ。そうだったな」
笑いを堪えつつ、しつこいくらい強調してくる辺りが黒灰の狼人 らしさだ。調和しているワケではないが、小馬鹿にしているワケでもない。
私欲に忠実と言うべきソレは、幼い頃の灰白の狼人 を思い出させるモノであったのだ。
「お前、矢鱈算盤 が出来るのに読み書きは苦手だったよな。奇抜な解答ばかりして師家 を大層困らせていたもんな」
懐かしいと頷き腕組みまでされたら、羞恥で怒りが爆発しそうだ。
黒灰の狼人 は幼馴染み以前に乳兄弟で、幼少期時代からの長い付き合いである。
二人だけの秘密とも言える恥ずかしい話をいろいろと知っているのは、灰白の狼人 がよく知っている。
「………もぅ、………もうよいだろう!」
昔の話だ。弄るな!と童の身体を抱き上げて茵から飛び出ると、素足のまま水浸しの冷たい床板を一気に駆 ける。
霜焼けをしそうな冷たさだが、躊躇 なんかしていられない。
水跳 ねは勿論、床に散らばっていた呪符と式札までが宙を舞う。
「あ、こら! コレ以上散らかすな!」
「煩い、黙れ!」
強気に返すが、パタパタと走る足許に落ちていた式札を踏んだ瞬間、体勢がグラッと後ろへ後退した。
いうなれば、滑ったという状況だ。尻餅をつく前に手をつけば、ドシンと尻を打つことはないだろうが、童がいるためその手を床につくことはできなかった。
だから、下半身だけで踏ん張ろうとするのだが毎日床板を磨き上げている黒灰の狼人 の所為で床が氷のように滑る。
上体をずっと反らした状態で、童を天井高く持ち上げると、急にふわっと軽くなった。
ずでんと物凄い音がするモノの、その衝撃は灰白の狼人 だけに留まった。
その一部始終見ていた黒灰の狼人 が手も足もでず、身動きが取れなかったのは灰白の狼人 の手から童を担ぎ上げた人物に驚いていたからだろう。
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