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第10話
ソコに現れたのは、姿形が上品ですらりとしている青年だった。性質も優しそうで、申し分がないほどのみやびおであった。
「よう、辰星 。一刻振りだな」
童 の名前らしき言葉を発する青年は、愛しそうに彼 のことを抱き締める。
だが、出来上がっている童 にはソレが誰なのか解らないでいた。
「………さぁて、………かぁら………」
そして、とろんとした目で青年を見上げて今にも接吻しそうな距離まで唇を近づけていた。
「おや、コレは参った。随分と出来上がってしまっているようではないか?」
青年は困った顔をするが、声や態度は物凄く愉 しそうだった。
「今年の木天蓼酒 は、そんなに美味しかったかえ?」
童 の頬に触れ、親指で四白 をゆっくりと目尻に向かって撫でる。
「………もく………てんりょうしゅ?」
虚ろんだ目で童 は小首を傾 けるが、独特のエグみと強い苦味がある水物 のことを思い出して、こくこくと数度頷く。
そして、もっと頂戴という姿勢で青年の首にすがりついた。
「………ぉぃちの、まぁにゃぁる?」
舌足らずで甘える童 の姿は愛らしい。
だが、その矛先が青年だということが灰白の狼人 には腹立たしいことこの上なかった。
ソレなのに、物凄い勢いで尻餅をついた身体は衝撃で直ぐに起き上がることもできない。若いからと魔法に頼らず、自身の身体能力に頼ったことをこんな風に後悔することは思ってもみなかったようである。
さて、そんなこんなと己の行動にいきり立っている灰白の狼人(カルマ)を余所に、童 はもう必死の様子だった。
「………あるゅ、………あるゅ?」
「待て待て、夏梅が好物なのは解っておる。だが、今はコレをしゃぶっておれ。時期、効力が薄まるだろうよ」
猥雑 な青年は、自分の首に腕を廻して媚びるように腰を擦りつけてくる童 の口の中に、緑色の楕円形 をした果実を放り込んだ。
ソレは、オメガの発情を一時的に抑制 させる果実で、異界のモノであったなら誰でも知っているモノだ。
灰白の狼人 がいっていた抑制薬剤も、コレが原料になっている。
「………ぅ! ぁま、……………………まじぃ」
唐突に眉間 を潜める童 は、舌先を使って青い果実を吐き出そうとする。
「こらこら、吐き出すな。夏梅は欲しくはないのかえ?」
舌先に押し返させれる青い果実を親指の腹で押し戻しながら、童 の好物を口にした。
「………っ………!」
すると、青年の言葉に童 は青い果実を口の中に含み込むと、馬の鼻先に人参をぶら下げられたようにソレをしゃぶり出す。
ソコまでして、食べたいのか?と呆れるが、苦手な甘味を寸なりとしゃぶってくれたことは正直有り難いと思っているようだった。
一方、青年にプルプルと震える人差し指を向け、パクパクと口を開閉していた黒灰の狼人 が漸く言葉を発する。
「お、前っ! あの時の………!」
雲行きが怪しくなるほどのがなり声だ。が、黒灰の狼人 ががなるのも無理はない。この青年は童 を逃がすために自身を犠牲にしたあの童 なのだから。
「ん? おお、コレはコレはわざわざ式札を丁寧に回収してくれた小童 ではないか!」
尤もワザとらしい態度でケタケタと嗤うが、黒灰の狼人 は面白くない。
ソレに、この青年 とあの童 では容姿から年齢までまるで違い過ぎる。が、あの童 が式神 であったことはこの黒灰の狼人 が持ち帰った式札で証明済みであろう。つまるところ、分身とは違って、式神は用途に応じて姿形を変えることができるということだ。
「何がわざわざ丁寧にだ! あの御家老殿 がおらなんだら破り捨てておったところだ!」
「おや、コレはみ掛けによらず、血の気の多い小童 ではないかえ?」
「だ、誰が小童 だ。さっきから黙っておればイイ気になりやがって! 青二才 の貴様何ぞ、この私が打ちのめしてやる!」
「そうか、そうか、ソレは多いに楽しみにしておるぞ。小童 ♪」
「な、小童 言うな!」
吠える黒灰の狼人 を差し置き、青年 は童 の背中をポンポンと叩いていた手を、床に強く尻を打ちつけ未だ立ち上がれない灰白の狼人 に差し出した。
「さて、お前さん、大丈夫かえ? 物凄い音で尻を打ったようだが?」
本来、主君の犬馬 の労 を取るのは家臣の務めであるのだが、頭に血が上 っている黒灰の狼人 はがなり捲っている。
「おい、こら! 無視をするな! 私の話を聞きかんかっ!」
「はいはい、後で存分に相手をしてやるから暫くソコで黙っておれ」
青年 は灰白の狼人 が魔法を使ったように、パチンと指を鳴らす。その姿はまるで夢現の童 と同じではないか。
すると、床に散らばっていた呪符のひとつが黒灰の狼人 の口吻 に巻きつき、その口を塞いだ。
勿論、黒灰の狼人 はいきなり口を塞がれ、呪符を外すのに奮闘することになる。
その間、灰白の狼人 は漸く滑って床に打ちつけた尻の衝撃から回復したようで、青年 の差し出した手を借りながら立ち上がっていた。
「ああ、すまない。助かったが、随分とみない内に優男 になっちまったモノだな?」
皮肉とも取れる灰白の狼人 のいい草に、青年 は苦笑いをする。取られたモノは奪い返さないと気が済まない性格上、挑発にも似たその言葉は威嚇 にも等しかったからだ。
その同趣 とも取れる性質は、種族が違えど基質は変わりはしない。
「優男ね、こりゃ参った」
半瞬とは打って変わって、カラカラと腹の底から嗤う青年 はまったく悪びた様子がない。開き直ったというよりも、此方 の方が素に近いのだろう。
そして、つけ加えるように言葉を続けた。
「一応、こんな姿でもお前さんに抱かれた身なのだがね」
飄々 とした顔で横目に灰白の狼人 を見据えてくる辺りは、喰わせモノ。
あの夢現に出てきた 童に似ているとさえ思わす仕草は、やはり何度みても腹立たしいモノがあった。
しかし、式神の童 の化けの皮が剥がれれば出てくるのは青年 の本質だ。
この青年 があの 童に似ているのかあの 童がこの青年 に似ているのかは解らないが、仮にこの二人が同一だとしても霊気はまったくの別物だから話にならない。
「よくいう。抱いてくれとせがんで来たのはお前の方だろう?」
含みに含んだ言葉はもう悪臭としか、いいようがない。悪臭だが、ソレを放ってまで主導権を握りたいと思うのは、灰白の狼人 が相当な野心家だからだろう。
だが、放たれた悪臭はやはり悪臭のままで効を成すことはなかった。否、青年 だからこそ、効果がなかったというべきか。
「ま、確かに一理 あるが、先に俺を拒絶したのはお前さんであろう?」
湯浴みの際に手取り足取り光沢というモノを教えてやると申したのに、大事な息子を萎えさせたのは何処の誰じゃ?と、青年 は灰白の狼人 を引っ張り上げる為に握っていた手を離す。
急に手を離されて驚くのと、青年 がいった言葉の意味が瞬時に理解出来なかった灰白の狼人 は間抜けな顔で彼を見る。
「うへぇっ?」
「何だ、そう驚くことはなかろう? 辰星 が木天蓼酒が美味しかったと申した地点で気づくことだろうに」
お伽噺 であるまいし、木天蓼酒が湧いて出てくるハズがなかろう?と呆れた口調で、青年 は嘆息する。
「おいおい、まさか………」
「そうよ、そのまさかだ。まったく式札には欲情できて生身には欲情できんとはホント、情けない。まぁそうはいうが、タダの年寄りの嫉妬だ。そう気にするでない」
ばさりと切り捨て冷静に対応しているようにみえるが、そうでもない。
自分でいっておきながら、脈々と打ちつけられる木槌 に心がギシギシと軋んでいた。
「おい、待て。何の話だ?」
口吻に巻きついた呪符が漸く取れ、頭に上っていた血も下がり冷静になった黒灰の狼人 が割って入ってくる。今の会話からして青年 の弱みを握る良い機会だと思っている彼は、細目が蘭々に輝いていた。
「ん? 小童 が入ってくる話でない。火遊びをする前に火傷をするぞ」
「だ・か・ら、小童 って申すな!」
軽くあしらわれ、きゃんきゃんと吠える黒灰の狼人 は修練がまったく足りていないようだ。
「ヒョニ、お前は少し黙っておれ」
茵の上で脱がしたハズの童 の尿が染みついた足袋が、顔面に向かって飛んでくる。
危ないなと避けた先にあった唐櫃の蓋に足を取られて、すっ転ぶ。が、派手に床の水溜まりに転倒せずに宙に浮く。
「ぅへ?」
魔法か何かだと思っていた黒灰の狼人 だが、白銀のふさふさの虎耳と目が合い飛び上がるように叫ぶ。
「ひっえっ! は、離しやがれ!」
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