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海老沢を階下に連れて行って、口をゆすがせた。 風呂場に繋がるドアを閉めようとしたら、下に敷いたマットに引っかかって、うまく閉まらない。そんなのはしょっちゅうあることなのに、どうにもイラついて、オレは思わず壁を蹴りつけた。 「ひ…… っ!」 海老沢は身体を硬くして、怯えた目でオレを見上げた。 オレがイライラしてたら、海老沢を余計に怯えさせるだけだ。 こんなんじゃ、ダメだ…… ケアしてやらないと、海老沢の心はちゃんと帰って来られない。 少しは冷静さを取り戻したオレは、ガキ丸出しの自分の態度を反省した。 安心させようと手を伸ばす。髪に触れる寸前、海老沢が首を縮めてオレの手を振り払った。 なんだよ…… おまえ頭撫でられんの、好きじゃん…… なんでそんな、警戒してんだよ…… ショックを感じてじっと見たら、海老沢の耳の一部が鬱血しているのに気づいた。少し腫れて、紫色になっている。 「これ、……どうした?」 指先でそっと触れると、痛むのか海老沢が顔をしかめた。不安そうに瞳を揺らしながら、カタカタと歯を鳴らしている。 何をされるのかと、ただ怯えていた。 「海老沢…… オレがわかる…… ?」 泣きそうにつらくて、思わず訊いた。 オレはおまえを傷つけるようなこと、しないよ。 ……そんなこと、とても言えない。 オレが今までにしてきたことを、海老沢が嫌がっていなかったかなんて、本人にしかわからない。 こんなに怯えられると、オレもあの男と同じ種類(ドム)だと言われているようで、心が折れそうだった。 海老沢が小さく、首を横に振った。 「ごめん、俺…… ちょっと、混乱…… してて…… 」 その言葉に、耳鳴りがした。 オレだって、ドロップしたSubのケアなんて、初めてなんだ。しかも、自分がSubだって自覚のないまま服従させられたSubになんか、会ったこともない。 こんなひどい症状が出るのか…… オレは海老沢に、忘れられたのか…… ? 「オレがそばにいると …… 怖い、よな…… 」 そりゃあそうだ。 誰かもわからないイラついたDomにいきなり知らない家に連れ込まれたら、怯えるに決まってる。 ふらついたのか、自分で下がったのかわらかない。 オレは後ろ向きに、洗面所を出ようとした。 そしたら海老沢が、腕を伸ばしてオレのネクタイの端を、そっと掴んだ。 「本郷…… 」 驚いてその顔を見たら、二つの目にはちゃんとオレが映ってた。 「俺、なんか混乱してる、から…… ごめん、振り払ったりとか、ホントは、そんなつもり、なくて…… でも、ごめんだけど、でも…… 」 本当に、混乱しているんだ。そんなこと、見ればわかる。 触られることを、身体に染みついた恐怖が拒否する。それはきっと、本人にはどうしようもないことで。 でも、海老沢に忘れられたわけじゃないってことだけで、オレは涙が出るほどホッとしたんだ。

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