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オレの名前を、あいつが知ってるはずはない。 海老沢から聞いたとしか思えないけど、海老沢はオレを下の名前でなんか呼ばない。 海老沢が「大悟」と言ったならそれは、セーフワードとしてに違いなくて。 「本気で嫌だと思ったとき」に、Dom(オレ)を止める魔法の言葉。それはオレと海老沢で決めたもので、二人の間でしか効力がない。 でもオレは、それをちゃんと海老沢に説明しただろうか? もしも海老沢が、そのセーフワードは「どのDomにも効力があるはずだ」と思っていたとしたら。 行為(プレイ)の最中に、他の男の名前を呼んだSubに、不快にならないDomなんかいない。そのせいで、余計につらく当たられたんじゃないか。「お仕置き」と称して、もっと酷いことを要求されたんじゃないか。その結果が、あの「命令」だったんじゃないだろうか…… 海老沢は、セーフワードで止まらないDomに、どれほどの恐怖を感じただろう。 「Subじゃない」そう言って拒絶されるのが怖くて、ちゃんと説明しなかったオレのせいで…… ? 「洗うだけだから…… がまん、な。」 言い訳みたいに呟いて、股間に手を伸ばした。嫌がる素振りを見せなかったことには安心したけど、触ってもまるで反応しないそれは海老沢のじゃないみたいで。 それどころじゃないくらい、ホントに怖かったんだよなって思うと、たまらなかった。 新しい泡をつけた手を、腿から膝に下ろしていく。オレは黙々と、海老沢の脚を洗った。反対の脚も洗って、ゆっくり洗って、爪の先までを泡で包むともう、下を向いたままできることがない。 シャワーを取るには、上を向かなきゃいけないのに。 でもオレは、顔を上げることができなかった。 ダメだ、バレる。 なんとか、ごまかさないと。 そう思うのに、身体の震えが止まらなくて。 海老沢の脚の間に、ぼたぼたと 大粒の水滴が落ちた。 「本郷…… ?」 不安そうな海老沢の声が、狭い浴室に響いた。 どうしたらいいんだ。止まらねえの。 目をつぶっても、溢れてきて。 声を抑えても、肩が痙攣して。 鼻が痛えし、歯がガチガチして、噛み締めてると返事もできねぇし。 こんなんじゃ、不安にさせるだろ…… そう思ったら。 海老沢が泡のついた身体で、抱きついてきた。 その皮膚は意外に冷たくて、濡れた身体は、たぶんオレより震えてて。でも、ぴったりくっついた頬がすごくあったかかった。 「ごめん…… 海老沢、ごめん…… 」 「……なんで、おまえが謝んの?」 涙声の海老沢に、返事ができなかった。 ほんとはいろいろ、謝んなきゃなんないことがあるんだ。でも、1コも言えないまま。 2人で抱きあって、身体がすっかり冷えるまで、子どもみたいに震えて泣いた。

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