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46.
オレは口を開けたまま、動けなかった。
知ってた……?
オレがあんなことしたのも、酷い嘘をついたのも、海老沢は知ってて…… 許してくれてたのか…… ?
何も言えないオレを、ふてくされたような顔の海老沢が上目遣いに見つめる。一瞬目が合って慌てて逸らすと、海老沢は腰を上げて膝でベッドに乗り直した。海老沢が指を伸ばした先には、凹んだ壁がある。
あの時、オレが怒りに任せて殴った跡だ。
指の形に凹んだそこを、海老沢の指がゆっくりとなぞった。
「秋山がさ、 」
顔は壁を向いたまま、海老沢がポツリと呟いた。
「おまえのこと、許してやれって。」
……秋山が?
あのクリスマスのことは、さすがに酷すぎて誰にも話していない。秋山には、同じDomとして、首輪はしてないけど海老沢はオレのだからとは言ってある。小学生じゃあるまいし、体の関係があることも察しているだろう。
でも、同じDomだからこそ、合意もなく身体だけを繋げてしまったなんて、とても言えなかった。
「や、てゆうか、去年のことじゃなくて…… これ。」
オレの誤解が伝わったらしく、海老沢が振り向いて、壁の凹みを指差した。
「あの…… こないだの、さ。おまえがカラオケから俺を連れて帰って、そんで、殴ったり蹴ったりしたやつ。」
やや語弊がある。それじゃあまるでオレが海老沢を殴ったり蹴ったりしたみたいだ。でも。
「あん時おまえ…… 怖かったよ…… 」
ベッドにぺたんと腰を落として俯いた海老沢に、胸が痛んだ。
オレが殴ったのは壁だけど、ただでさえ怖い体験をした直後の、海老沢の真横だった。ドロップした海老沢を癒すどころか、オレは恐怖を上塗りしたんだろう。
「防衛本能 、だったんだろ?」
海老沢の口から出たその言葉に、どきりとした。
あの件以来、海老沢がダイナミクスのことを調べているのは知ってる。でも、Subであることを自覚せずにこの歳までを過ごした海老沢から専門用語が出ると、ずっとそれを避けてきたオレの方がうろたえてしまう。
「こないだ、おまえが柳瀬とパン買いに行ってる時、秋山に言われたんだよ。おまえのこと、許してやれって。俺が堕ちてるとき全然ケアできなかったこと、相当ヘこんでるからって。」
「秋山 …… 」
「Sub にはわかんないだろうけどって、秋山がさ。ああいうのも、ディフェンスの表れ方だからって。そんで加古が、中学の頃の本郷 だったら、俺だけじゃなくその場にいた関係ないやつまでボコにして警察沙汰だったかもって、言ってた。」
どんだけやばい中坊だったんだよ、と、海老沢は少し笑った。
教頭の襟首をつかんで殴りかかるくらいにはやばい中坊だったオレも、少しは成長したんだろうか。
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