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天使に翼を手折られたい(ヘタノヨ コヅキ・著)

 二年B組には、天使がいる。  そう噂されているのは、その高校に通う誰もが知っていた。  栗色の髪はふわふわで、前髪は可愛らしいヘアピンで留めている。  目は宝石のように輝いていて、女の子のようにまん丸で大きく、愛らしい。  身長は百五十センチと小柄で、本人曰く「まだまだ成長中だよ!」とのこと。  高校で背が伸びる事を想定して、少し大きめの制服を購入したせいで、いつも袖が手を隠してしまっているが、それも計算なのではと思う程あざとく、可愛い。  笑みを絶やさず、ただでさえ容姿だけでも人を惹きつけるその天使は、成績優秀だった。  スポーツも人並み以上にこなせて、人間関係も良好。教師からの信頼も厚く、学校中の誰に訊いてもその天使の評価は高い。  それがこの男子校の天使、佐渡心太(さどしんた)だ。 (……表面的な話だ)  昼休み……職員室から、自分の所属しているクラスの教室に向かいながら、俺は心の中で笑った。  教師に運ぶよう頼まれた山のような教材を抱えていると、色々な生徒とすれ違う。  男子校だから、勿論すれ違うのは男だけだ。  校則通りに制服を着こなしている人もいれば、その髪色なら頭髪検査で注意されるだろうという生徒もいる。  品の無い笑い方をしている生徒を見ていると、妙に腹が立つ。 (汚い)  俺こと真宵麦(まよいむぎ)はどこにでもいる普通の高校生だ。  自分の容姿を評価した事がないから、世間一般から見ての俺がどのように映っているのかは分からない。銀縁の眼鏡に、制服は校則通りに着用、髪も染めていない普通の容姿だろう。  強いて特徴を挙げるなら、成績は常に学年でトップをキープしている事と、友達が少ないという点。  友達付き合いが苦手なわけではない。高校に入学する前はそこそこ友達に恵まれていたし、休みの日に遊ぶ友達だっていた。  けれど、今の俺には友達がいない。  友達を作るなと、あるお方に命じられたからだ。 (……あっ)  間抜け面を晒して笑っている生徒から視線を逸らすと、俺はあるお方を目にする。 「え~、何それっ」  愛らしいお顔が、笑みを浮かべる事によって尚更華やかに輝く。  そこらへんにいる蛮族とは一線を画しているそのお方は、ニコニコと微笑みながら数人の男達を相手に談笑している。 「ホントだって。マジマジ」 「あはっ、変なの~」  二年B組の天使、男子校の姫、歩く男の理想……他にも色々な肩書をお持ちの彼こそが、佐渡心太様だ。 (今日も愛らしい……)  普段、俺と佐渡様が言葉を交わす事は無い。  俺から声を掛けるだなんておこがましくて出来ないし、佐渡様もわざわざ俺と話そうとはしないのだ。  一日に一度、目が合うか合わないか……学校中のアイドル的存在な佐渡様と、クラスでもガリ勉ぼっちキャラを貫いている俺とでは、関わる機会があるとは思えないだろう。  それくらい、対極にいるお方なのだ。  佐渡様を取り囲んでいる男達は、決まってだらしのない顔をしている。  下心が見え見えの、下卑た笑みを浮かべている男達を……快くは思えない。  佐渡様は、クラスでも人気者だ。  周りにはいつも取り巻きのような男達が付いて歩いているし、教師からの頼まれごとをこなしている姿も拝見した事がある。  愛らしいお姿に、一挙一動の尊さ……まさに、天使のようなお方だ。  そんな佐渡様と俺は、普段は会話もしないクラスメイトという関係性でいるが、実際は違う。 「あ、真宵君っ」  佐渡様が俺に気付き、小走りで駆け寄ってこられる。  普段なら、俺がどこで何をしていようが気にも留めない佐渡様が、満面の笑みを浮かべて俺を見上げた。 「重そうだね……手伝おうか?」 「…………っ」  身長が百五十センチの佐渡様に比べ、無駄に成長している俺の身長は百八十センチ……三十センチも背の高い俺を見上げる佐渡様は、とても可愛らしい。  その可愛さに、思わず下半身が熱を持ちかける。  しかし、この程度で佐渡様に過度な反応を見せるのは低俗な家畜がする事だ。  洗練された家畜魂を持った俺は、動揺を顔にも体にも出さない。 「一人で十分だ」  佐渡様は、俺とはただのクラスメイトだと周りに思わせていたいらしい。  ならば俺も、佐渡様とは仲の良くないクラスメイトを演じるのみ……それが常日頃俺に与えられている、佐渡様からの命令だ。  素っ気無く佐渡様に応対すると、俺は教室に向かって歩き出す。  すると、佐渡様も何故か俺の後をついて歩き出したではないか。 (……これは、いったい?)  昼休みが終わるまで、まだ時間がある。  佐渡様が急いで教室に戻る必要は無さそうだが……現に佐渡様は俺の後をついてきているのだ。  それはつまり、俺に何かを察して欲しいという事なのではないか……俺は立ち止まって、佐渡様を振り返った。 「何」 「ん~?」  佐渡様は両手を後ろ手に組んで、俺を見上げていらっしゃる。  表情は明るく、思わず写真を撮りたくなる程の愛らしさだ。 「今日は天気がいいねっ」  佐渡様が仰る通り、今日の天気は――ザンザン降りの大雨です。  けれど、主がいい天気だと言うならば雨でも雪でも雷や雹でも、いい天気だ。  内心では激しく同意をするも、顔には一切出さない。 「真宵君、それ運んだ後ってまたいつもみたいに自習?」  佐渡様の素朴な疑問に、思わず胸を押さえたくなる衝動に駆られる。 (『いつもみたいに』……いつも、見てくださっているという事でしょうか……っ?)  今のは危なかった。危うく口角が緩むところだったが、何とか堪える。 「そのつもりだ」 「じゃあ、ボクと校内でお散歩しよ?」 「何で俺が」  お言葉一つ一つに愛らしさが詰め込まれているのは、わざとなのだろうか。計算……いや、自分の主の物言いを解析するだなんて、不躾にも程がある。 「ダメ……?」  上目遣いで俺を見つめ、ダイヤモンド以上に価値のある瞳をウルウルと潤ませながら訊ねていらっしゃる佐渡様に、拒否をするわけがない。  しかし、ここはまだ人の目がある。  本心では今すぐ土下座をして、むしろお散歩用の馬にしてくださいと懇願してしまいたいところだが、自分の欲望よりも主との秘密を守るのが重要だ。  俺は答えず、教室に向かって歩き出す。 (馬になりたい)  今すぐ四つん這いになり、背に佐渡様を乗せ、校内を這い回りたい。出来る事なら階段の上り下りもしたいし、鞭で思い切り叩かれたいとも思う。  そもそも、佐渡様との関係を周りに露呈しない為とはいえ、俺ともあろうものが主の命を無視するとは……もう少し器用な立ち回りが出来ればとも思うが、器用に立ち回れるようなキャラで生活するのは命令違反だ。となると、やはり無視が妥当なラインになってしまう。  いっそ、この役立たずな豚めを蹴り飛ばして下さったらよろしいですのに――いや、俺は馬鹿か。そんな事をさせたら本末転倒だ。  佐渡様が後ろをついてきているのを感じながら、俺は教室に入る。  教卓の上に教材を置くと、今尚後ろに立っている佐渡様を振り返った。 「お散歩……ダメ?」  袖の余った制服で、口元を隠すように覆って俺を見上げ続けている佐渡様は、どのアイドルよりも可愛らしい。 (駄目ではないんです。むしろ良さしかないと言いますか)  勿論、そんな事は言えない。  一緒に校内を歩くのは、あまり仲の良くない同級生を演じろという主の命令を無視する事になる。  だが、主からの誘いを断るのも命令違反と同じ。  そこでふと、ある事に気付いた。 (……まさか、戸惑う俺を見て……楽しんでいらっしゃる?)  もしもそうなら、このやり取りにも納得がいく。  佐渡様の目的は、俺とのお散歩ではなく俺で遊ぶ事……つまり、今ここで答えに詰まっている俺自身が模範解答そのものではないか。  たった一つのお誘いでここまで俺を狼狽させるとは……流石俺の主、佐渡様だ。 「……真宵君?」  未だに俺を上目遣いで見つめている佐渡様を、見下ろす。  何か返事をしなくては……そう思った矢先の事。 「真宵」  佐渡様の背後に、一人のクラスメイトが立っていた。勿論、俺はこの男の名前を知らない。 「あ、こころちゃんと話し中……?」 「あ、いいよいいよっ。気にしないでっ」  佐渡様は突然割って入ってきたクラスメイトにも笑顔を向け、ふりふりと手を振って俺達から離れた。  ちなみに、『こころちゃん』というのは佐渡様の愛称だ。『心太』だから『こころちゃん』……実に低俗。 (何だこの蛮族は)  佐渡様が話していたというのに、割って入ってくるなど……頭にウジ虫でも湧いているんじゃないか。もしくは、考えるだけの脳も持ち合わせていないウジ虫自身だ。  俺は睨むように男を見る。 「何」 「ちょっと話があるんだけど、いいか?」 「ここで簡潔且つ端的に話せ」  俺の言葉に、男がソワソワと視線を彷徨わせた。 「いや、ここじゃ、ちょっと……」 「は?」 「とにかく、ちょっと来てくれ……」  高校に入学してからぼっちライフを過ごしてきた俺に、ここでは言えない話をしたい……怪しい。 (リンチか)  俺の何かが気に入らなくて、これから仲間と暴力でも振るおうという話か。それなら納得だ。  佐渡様からの暴力や暴言なら至福だが、どこの馬の骨とも分からない奴の暴力は気持ち良くも何ともない。むしろ、不快。  だが、変に騒ぎを起こすのも得策ではない。 「手短に頼む」 「……! あ、あぁ!」  やけに明るい表情をした男を訝しむように見ながら、歩き出した男についていく。 (随分と嬉しそうに連れて行くんだな)  これからリンチをするのが楽しみで仕方無いのか、男の歩き方は妙に浮かれているように見える。  気乗りはしないが、サッサと終わらせるべく黙ってついていくと、着いたのは校舎裏だった。 (ベタだな)  発想にひねりがないのは、ウジ虫らしいか。  男が立ち止まったので、俺も立ち止まる。  どこから男の仲間が出てくるのかと、辺りを見回していると、突然男が振り返った。  そして、想定外の言葉を口走る。 「真宵、好きだ!」  衝撃の……文字通りの告白から数時間経ち、放課後になった今現在。  俺は教室の隅にある自分の席で、帰り支度を始めていた。  まさか、友達のいない俺が告白をされるなど……しかも、相手は同性。誰が想像出来ただろうか。 『正直、顔とか姿勢とか、外見がすっげー好みなんだよ!』  何故だか妙にふわっとした理由での告白に、驚きはしたがドキドキはしなかった。 『無理だ』  俺からの返事はそれだけ。  必要最低限の返事をしてから急いで教室に戻ったが、佐渡様の周りにはいつもの取り巻きが揃っていて、佐渡様は俺で遊んでくださらなかった。 (それもこれも、全部あのウジ虫のせいだ)  この世に人は佐渡様のみ。残りは皆、対等に人間未満の生物だ。  家畜である俺の昼休みに大した価値は無いが、価値の生まれた瞬間に邪魔をされたとなっては腹も立つ。 (佐渡様のお馬さんになりたかった……)  鞄の中に教科書をしまい込み、俺は立ち上がる。  窓の外は、まだ雨が降っているようだ。  帰ろうと立ち上がった時、背後から名前を呼ばれた。 「真宵君っ!」  その声は、間違えもしない我が主の声だ。  元気よく返事をしてしまいそうになるのをグッと堪えて、無表情のまま振り返る。 「何」 「真宵君、傘持ってる?」 「傘?」  登校時間は晴れていたが、今日の降水確率は八十パーセントだと、朝のニュースで言っていた。一応傘を持って通学はしたし、何だったら折り畳み傘をいつも鞄に常備している。 「持っているが」 「ホント?」  佐渡様は両手をポンと軽く合わせて、俺を見上げた。 「借りてもいいかな? ボク、雨が降るだなんて思ってなくて……っ」  降水確率に左右されない生き様なのですね、大変素晴らしいです。  とは勿論口に出さず、申し訳無さそうに俺を見上げている佐渡様に向けて、俺は頷く。 「良かった~……じゃあ、ついでだから途中まで一緒に帰ろう?」  生まれて初めて、傘という存在に土下座したくなった。  昼休みの戯れは強制終了してしまったが、挽回のチャンスだ。  学校の外に出たら、知り合いも減る。過度な要求には応えられないが、昼休みのように素っ気無い演技に徹する必要がない。  俺はもう一度頷いて、ニコニコと愛らしく微笑む佐渡様と共に教室から出た。  雨の中、校門をくぐり抜けてから数分経ち、周りに知り合いがいなくなった途端、佐渡様の表情が変わる。  周りに知り合いがいる時はいつもと変わらない愛らしい、天使のような笑みを向けてくださっていたのに……突然、ゴキブリを見るような目で俺を見上げてきた。 「で? 返事は何て?」  鈴を転がしたような愛くるしい声色から一変、愛想も何も無い侮蔑を込めたような声で佐渡様が俺に訊ねる。 「返事……とは?」 「身に覚えがあるくせに、わざわざボクを煩わせるわけ?」 「申し訳ありません……っ」  あぁ……その、目! 堪りません!  と、感慨に耽っている場合ではない。主の問いにはきちんと答えなくては。  返事、身に覚え……佐渡様の言葉を頭の中で繰り返してみると、やっと意味が分かった。  恐らく、昼休みの事だろう。どうして佐渡様があの事を知っているのか分からないが。 「お断りしました」 「何で」 「交流した覚えも無ければ、名前も知らないからです」 「じゃあ、交流して名前を知ってたら付き合ったんだ」  佐渡様は俺を嬲る時、挑発的でいながら楽しそうだ。  だというのに、今の佐渡様は楽しそうには見えない。機嫌が悪そうだし、痛いくらいの嫌悪を感じる。 (お散歩を保留にしてしまったから?)  どこの誰とも分からない男に、邪魔をされたから。だから、佐渡様は不機嫌なのだろうか。  俺は慌てて佐渡様の言葉を否定する。 「だとしても、断ったと思います」 「ふ~ん」  疑うような目で、佐渡様は俺を見上げているままだ。  俺が、誰かと付き合うだなんて有り得ない。 (――俺が、慕っているのは……)  俺は、佐渡様を慕っている。  それは崇拝とか服従とか、それだけの感情ではない。  俺は……佐渡様を、愛している。  家畜風情が何をと、思われるかもしれない。そもそも、佐渡様が俺の事をそんな目で見ているわけがないと、分かっている。  それでも、俺は佐渡様を愛しているし、許されるなら俺を……佐渡様の物にして欲しい。  ――いや、所有物である自覚はあるが、そうじゃなくて、だ。  高校一年の頃、俺は突然佐渡様に呼ばれた。  体育倉庫に連れ込まれて、当時は話した事も無かったのに何の用事だろうと、訝しんだ。  クラスでも姫のように扱われている佐渡様が、勉強が出来るだけの俺を呼ぶ……戸惑いもした。  その日、佐渡様は俺を徹底的に壊し始めたのだ。  無理矢理、佐渡様の逸物を咥えさせられた。性経験の無かった俺の童貞を、佐渡様に奪われもしたし、友達付き合いも制限されたというのに、俺は悦んで受け入れたのだ。  自分がまさか、世間一般で言う『マゾ』という人種だったとは知らなかったが、自覚させてくれた佐渡様には感謝している。  普段は天使のような佐渡様が、鬼畜で人を人とも思わない残酷な人で、加虐趣味をお持ち……外見だけでも俺の好みド直球だというのに、そんな性質をお持ちだなんて……好意を寄せない理由がない。  佐渡様は不機嫌そうな眼差しのまま俺を見上げて、吐き捨てるように呟いた。 「相談されたんだよね。真宵君の事」  俺のお馬さんタイムを邪魔するだけに飽き足らず、佐渡様の貴重な時間をも割いただと? 意味が分からない。いや、ウジ虫の考えなど分かる筈もないか。  佐渡様は俺を見上げたまま、またもや呟く。 「今日、家に一人なの?」  俺は勢いよく頷く。 「はい、一人です」 「じゃあ、家に行ってもいいよね?」 「は――え?」  それは、初めてのパターンだ。  佐渡様が、俺の家に? 家畜小屋に行きたいと、そういう意味だぞ?  聞き間違い……いや、佐渡様のお言葉を聞き間違えるわけがない。そんなの家畜失格だ。 「返事は?」 「な、何も面白い物はありませんよ……?」 「へ~、二回言わないと分からないんだ? ボク、『返事は?』って言ったよね?」 「勿論構いませんッ!」  佐渡様が不機嫌な理由は、うっすらとしか分からないが……これは、名誉挽回のチャンス。俺の家で、佐渡様の馬になればよろしいのですね。  俺の返事を聞いて、佐渡様は忌々しそうに舌打ちをする。 「チッ。最初からそう答えたらいいんだよ、家畜の分際でナマイキ」  宝石のような瞳が、俺に憎悪の念を向けていらっしゃる……僥倖です! 「申し訳ありません、すぐにご案内いたします!」 「何で張り切ってるのか分かんないけど、純粋に気持ち悪~い」 「ありがとうございますッ!」  失態は許されない。俺は決意を新たに、佐渡様を家畜小屋……もとい、我が家までご案内した。  玄関に入り、俺の貸した傘を佐渡様が閉じる。俺もそれに続いて傘を閉じ、急いでスリッパを用意した。 「客人用のスリッパで恐縮ではありますが、宜しければ……」 「うん」  佐渡様の可憐な足が、スリッパに通される。ただのスリッパが、家宝級の物へと変貌した瞬間だ。  本当はここで今すぐ四つん這いになるべきなのだろうが、佐渡様の許可も無く馬にしてもらうなど……おこがましい。スリッパへ足を通したのを見ると、今は馬を所望しているようではなさそうだ。  スリッパを履いた佐渡様から鞄を受け取ると、佐渡様が呟く。 「広い家だね」 「両親共に、会社では役席者ですので」 「へ~」  未だにご立腹な様子の佐渡様は、通路をグルリと見回している。 「家族皆が揃う場所とか、ある?」 「リビングがあります」 「そこに案内して」 「かしこまりました!」  佐渡様が一歩足を動かすだけで、通路すらも家宝に早変わりしていく。  足早にリビングへ案内すると、佐渡様はソファに視線を向けた。 「ここって、誰が座るの?」 「特定の誰か……というわけではありませんが、家族全員が座ります」 「ふ~ん」  佐渡様は相槌を打つと、そのままソファをジッと見つめている。  佐渡様の鞄をテーブルの上に、自分の鞄を床に置いてから、俺は佐渡様へ向き直った。 「大した物はありませんが、今何か飲み物を――」 「真宵君」 「はいッ!」  名前を呼ばれて、俺はすぐさま床に跪く。  佐渡様はそんな俺を見下ろして、吐き捨てるように命じた。 「制服を脱ぐから、ボクのネクタイでボクの腕を縛って」 「…………は、はい……?」  佐渡様はそう言うと、何の迷いも見せずに制服のネクタイを緩め始める。  ワイシャツのボタンも慣れた手つきで外し始めるが、俺は慌てて口を挟んだ。 「さ、佐渡様? いったい、何を……?」 「前座は抜き。今日はすぐに始めるよ」 「前座……え、始める……はい?」 「物分かりの悪い家畜だな~」  ボタンを全て外したワイシャツから、国宝級の素肌を覗かせた佐渡様は、俺を睨みつけた。 「家畜の言葉をボクが覚えるべき? 違うよね? 家畜の真宵君が、人間様の言葉を理解するべきなんじゃないの?」 「も、申し訳ございませんッ!」 「はい、ネクタイ。頭上でボクを縛って」  真宵様は俺にネクタイを渡すと、身に着けていたズボンや下着も脱ぎだす。  生まれたままの姿になったというのに、神々しさすら感じる佐渡様の体が、何て事ない普通のソファに寝そべる。  両腕を頭の上に持っていき、縛りやすいように手首を重ねた佐渡様は、床に座ってポカンとしている俺を睨んだ。 「遅い」  佐渡様が俺を縛るのではなく、俺が佐渡様を縛る……?  理解が追い付かない。けれど、佐渡様が待っている。 「ほ、本当に……お縛りになっても?」 「今日の真宵君はサイアクなくらい、物分かりが悪いね~」 「縛らせていただきます!」  馬鹿か俺は! 名誉挽回するつもりが、汚名挽回してどうする!  ソファに寝そべった佐渡様の細い手首に、甘い香りのするネクタイを添えた。 「キレイに縛らなくていいから。むしろ、雑に縛って」 「く……っ! 承知、いたしました……!」  主の細腕を、家畜が縛るだなんて……極刑レベルの不遜な行為じゃないか。  まさか、今日はそういう憂さ晴らしをしたい程、ご立腹でいらっしゃる……?  苦渋に顔を歪めながらも、命令通り雑に縛り上げると、佐渡様が鼻で笑った。 「何か、変な気分~」 「申し訳ありません、申し訳ありません!」 「そういうのウザイだけだから要らないよ」  分からない……佐渡様のお考えが、全く分からない。  佐渡様はネクタイが解けないか確認するように手首を動かしている。何も言わないあたり、俺の縛り方に文句は無いようだ。  床で縮こまったまま俯いていると、ソファの上から名前を呼ばれた。 「真宵君、何してるの?」  顔を上げると、相変わらず不機嫌そうな表情で佐渡様が俺を見ている。 「サッサとボクの事抱きなよ」 「こ、この状態の佐渡様を……ですか?」 「ボクの裸体には抱く価値が無いって?」 「正直痛いくらい勃起しております!」  佐渡様の裸を見て、何も思わないわけがない。佐渡様がネクタイを解いた瞬間から勃起していた……とは、口が裂けても告白出来ないが。  いつもは俺を虐げ、暴力や暴言を浴びせる佐渡様を……今日は、俺が縛って好き勝手する。そういうプレイをご所望なら、誠心誠意お応えするのが真の豚野郎だ。  上着を脱ごうと、自身のネクタイに手を掛けると、佐渡様が口を開いた。 「待って。真宵君は必要最低限しか脱いじゃダメだよ」 「そ、そういうプレイなのですね……っ」 「プレイ……? ……あっ」  佐渡様は何かを思い出したのか、突然申し訳無さそうな顔をする。 「ごめんね。どういう趣旨でこんな身の程知らずな事させてるか、言ってなかったね」 「いえ、理解しております。今日は佐渡様をぞんざいに扱え、という命ですよね?」 「は?」  佐渡様の目が、氷点下並に冷たいものへと変わった。 「え、何そのジョーク。笑えない」 「ち、違うのですか……?」 「殺意が湧く程には不正解かな~」 「ありがとうござ――申し訳ありません!」  慌てて言い直すと、佐渡様がニッコリと微笑まれる。 「こんな状態のボクを真宵君が犯してたら、どう見える?」  脱ぎ散らかされた、佐渡様の服。  乱暴に縛り上げられた腕に、俺相手に力で抵抗出来なさそうに見える、小柄な体。  そんな状態の佐渡様を、俺が犯す……答えは、一つだ。 「家に無理矢理連れ込み、俺が佐渡様を強姦しているように見えますね」 「そうだろうね~」  ……それが、正解?  俺が佐渡様を強姦しているように見せて、佐渡様はいったい何を?  佐渡様は笑顔のまま、俺の答えに付け足した。 「真宵君がヘンタイだって知ったら、家族はどう思うのかな?」  ――まさか。 「優秀なご両親が一生懸命育てた筈の息子が、同級生のか弱い男の子をレイプしてるなんて……ショックだろうね~」  今回の目的は、佐渡様自身が虐められる事ではないのだ。  いつもと変わらない……俺への加虐行為。  家族を巻き込む程、佐渡様はご立腹なのだ。 「さ、佐渡様、お考え直しを――」 「何? ボクには勃たない?」 「いえ、痛いくらいに勃起しているのは変わりありませんが……っ!」 「なら早くハメちゃえばいいじゃん?」  佐渡様は、笑顔のまま俺を見ている。  第三者が見たら、主導権は俺にあると思うだろう。だが、実際は全然違う。  俺は急いで頭を下げ、土下座の姿勢を作る。 「佐渡様、お散歩の件でしたら何度でも謝罪させて頂きます。ですので、どうかお怒りを鎮めてください……っ」 「そんな事で、別に怒ってないんだけど」 「え……?」  顔を上げると、佐渡様が冷めた目で俺を見下ろしていた。 (怒って、ない? 俺の……勘違い?)  いや、違う。  佐渡様は確かに怒ってらっしゃる。  だがそれは、昼休みのお誘いを無下にしてしまった事にではない。  ――なら、何に?  考えても分からない俺を、佐渡様は見下ろしたままだ。 「いつまで待たせるの?」  この状況を、家族に見せるわけにはいかない。  けれど、佐渡様を抱かなくてはいけない状況。  ならば、出来る事は一つ。 「佐渡様……っ」  親が帰ってくるよりも早く、佐渡様を気持ち良くして、機嫌を取る。  ――いや、何だその方法は。  我ながら馬鹿らしい方法ではあると思うが、しかし……それしかないだろう。  俺がいくら謝ったところで、佐渡様の苛立ちを助長させるだけ。ならば、行為に及んで満足させるしかない。  俺は土下座をやめ、ソファに寝そべった佐渡様の上に乗り、ズボンのベルトを外す。  チャックを下げ、はち切れんばかりに勃起した逸物を取り出すと、佐渡様が口角を上げた。 「あはっ。ヤる気満々だねっ」 「佐渡様の裸体を見て、平静は装えません」  本心を口にすると、佐渡様の眉が小さく動いた……気がする。 「……ふ~ん、そう」  どういう意味でそう呟いたのかは、俺には分からない。  佐渡様の腰を持ち上げて、小振りな尻を浮き上がらせる。  先端を佐渡様の尻穴に当てると、佐渡様の体が小さく動いた。 「……佐渡様、挿れさせていただきます」 「どうぞ」  愛しい主の尻に、自身の粗末な逸物を添えている……その事実だけで射精出来そうだが、何とか堪える。  小さな穴に、無駄に大きな自分の逸物をゆっくりと埋めていくと、佐渡様が声を漏らした。 「あ……っ、んっ」  最愛の方が、俺なんかの逸物で震えている……抵抗もせず、ただ受け入れてくださっている。 (お慕いしております……っ)  口に出してはいけない気持ちを、必死に飲み込む。こんな気持ち、佐渡様からしたら萎えるだけだ。  性処理用の玩具として扱ってくださるのでも、構わない。口付けも許されなければ、必要以上に触れる事すら許されなくても、いい。  それでも、俺が抱いている間は……俺だけの、佐渡様なのだから。 「んん……っ! は、ぁ……っ」  佐渡様が、切なげな吐息を漏らす。  狭くてキツイ佐渡様の中は、いつも熱い。  溶けてしまいそうな程の熱に、俺は思わず体を震わせながら……呻いた。 「く、ぅ……っ! 佐渡様……ッ」 「あッ!」  佐渡様の体が、ビクリと大きく震える。  佐渡様は目を丸くして、俺の顔を見た。 「な、何で……っ? 自分の置かれてる立場、分かってる……?」 「わ、分かっております……っ」 「ならどうして、もう射精してるわけ……?」  佐渡様の指摘通り、俺は……佐渡様の中で、熱を吐き出してしまったのだ。  尊敬している両親に、こんな光景を見せるわけにはいかない……そんな事は、分かっている。  ――それでも。 「佐渡様の中が、気持ち良くて……ッ」  好きな人と繋がっている快感には、勝てない。  我ながら、とんでもない変態だという自覚はある。両親に幻滅される恐怖より、この状況を楽しんでいる自分がいるのだから、驚愕だ。  佐渡様はそんな俺を、驚いた様子で見つめている。 「……ホント、真宵君ってサイテイ……」 「申し訳ありません……っ」 「とか言いながら、ちゃっかり勃起してる真宵君……ホント、サイテイ」 「ありがとうございます……っ」  佐渡様からしたら、これはお仕置きだ。  けれど、どうしたって……俺にとっては、ご褒美でしかない。 「動きます……っ」 「あ、ちょっと――ぁあッ!」  深く挿入すると、小柄な佐渡様がビクンと体を跳ねさせる。  ゆっくりと引き抜き、すぐさま奥目掛けて突き挿れる……佐渡様の腰が反射的に逃げようと動くが、すぐに掴んで引き寄せた。 「あっ、ん! 真宵、君……っ、勝手に……触――あッ!」  俺の家で、家族が揃うリビングのソファで、崇拝している神のような主が……家畜である俺の逸物を高貴なお尻で咥えこんで、喘いでいらっしゃる。 「ぁんッ!」  奥深くを突く度に、細い腰が跳ねる……そんなお姿も、愛らしい。  行為の際、普段は必要以上に肌を晒さない佐渡様が、衣服を全て脱ぎ捨てて、俺の下で俺に抱かれて……ご褒美要素が多すぎて、脳内処理しきれない。 「真宵、くぅん……もっと、ちゃんと動けないの……っ?」  感慨に耽ってしまい、行為を疎かにしてしまった。  俺は慌てて佐渡様の腰を掴み直し、逸物を奥まで深々と挿入する。 「ひゃぁんッ!」  小柄な体が、大きく跳ねた。  佐渡様の柔肌はうっすらと汗をかいているようで、しっとりとした触り心地が堪らない。 「佐渡様、佐渡様ッ!」 「ん、あ、あッ! 勝手に、触るなって……何回言わせ――ぁあッ!」  佐渡様は高貴なお方だ。俺のような家畜が体に触れるのを、良しとはしない。  だというのに、繋がる事は許してくださる。  小柄な佐渡様の尻穴は、とても狭い。俺のを受け止めているのが不思議なくらいだ。  それを見るに、佐渡様は俺以外の誰か相手に体を許しているわけではないだろう。もしもそうなら、もう少し緩くてもおかしくない。  佐渡様の腰から手を離し、自分のソファに手をついて腰を動かす。 「あ、あッ! この、租チン……ッ!」 「勿体無きお言葉……くッ!」 「あ、やぁッ!」  抱かれているのは佐渡様の方なのに、主導権は完全に佐渡様のものだ。佐渡様の悪態に、下半身が反応する。  租チンというワードだけで射精してしまい、精液を内側で吐き出された佐渡様は体をしならせた。 「あ、ついぃ……勝手に、中出しするなよ、ヘンタイ……っ」 「も、申し訳ありません……っ」  やはり佐渡様は、とてつもなく不機嫌そうだ。  いつもなら、中に出したらご満悦といった表情をするのに、今の佐渡様は俺を睨み付けている。  目尻に涙を浮かばせている佐渡様が、忌々しそうに呟く。 「ゴミクズ低能ディルドのくせに……他の男に色目使うなよ、バカ……ッ」  その呟きに、思わず俺はピタリと動きを止めてしまった。 「…………色目、ですか……?」  そんなもの、使った覚えがない。  けれど……佐渡様は苛立った表情のまま、俺を睨み付けている。 「使ったんでしょ……っ、だから、あんなブ男に……告白されたんだ……っ」  ――思わず、目を丸くしてしまった。  涙を浮かべたままの佐渡様が、忌々しそうに吐き捨てた言葉……予想外の発言に、驚くなという方が無理な話だ。  佐渡様は自由に動かせる両脚を俺の腰に回すと、鋭く睨んだまま言い放った。 「真宵君はボクの物だから、他の奴のところになんか行かせない……ッ! 一生、ボクに尽くして一人で死ねばいいんだ……ッ」  そこでようやく、佐渡様がどうして怒っているのかが……分かった気がする。  理解、出来た。 (俺が、告白されたから……?)  佐渡様のお散歩に付き合わなかったからではなく、佐渡様をないがしろにしてしまったからでもない。  俺が、他の誰かに関心を持たれたからだ。  佐渡様は、俺を好きじゃない。今の言葉で、付き合うつもりが無いのは……分かった。  けれど、俺が誰かと付き合うのは……嫌、なんだ。  すると……腰に回された佐渡様の脚が、小さく震えた。 「っ! は、ハァ? 何、何で……ッ」 「佐渡様ッ!」 「ちょっ、何で大きくなってるわけ……? ボク、怒ってるんだけ――あぁッ!」  深々と突き挿れると、腰に回された脚に力が籠る。奥を突かれて驚いたからだろう。 「やめ、やっ! あっ、止ま――ひあッ!」 「佐渡様ッ、あぁ、佐渡様ッ!」 「気持ち、悪いッ! あッ、んんッ!」  二度も中に出された俺の精液が、グチュグチュと音を鳴らす。  嫌がる素振りをしているが、佐渡様の脚は俺から離れない。頭では嫌がっても、体は悦んでいる……と、解釈するのは都合が良すぎるだろうか。  ズンズンと奥ばかり狙って腰を動かすと、余裕が無さそうに佐渡様は首を何度も横に振った。 「やっ、やだぁッ! あ、あッ! 真宵君、だめっ……だめぇッ!」 「佐渡様ッ! 中に、出します……ッ!」 「いや、いやあッ! バカバカッ、ドヘンタイッ! 真宵君なんか、だっ、大嫌いッ!」 「佐渡様……くぅッ」  嫌がる素振りをしている佐渡様の逸物から、蜜が零れている。  罵られて、俺が興奮しないわけがない。  深々と突き刺し、佐渡様の制止を無視して射精すると、佐渡様が大きく仰け反った。 「や、ああぁッ!」  佐渡様が仰け反りながら、射精する。  精液を俺の制服に吐き出す佐渡様は、涙を流していた。 「は、あ……はぁッ」  体を小刻みに震わせながら、荒い呼吸を繰り返す佐渡様は……美しい。 「佐渡様……っ」  暫く射精の余韻に浸っていると、不意に……我に返った。 (し、しまった……!)  名誉挽回のチャンスだったのに、命令に背いて何度も中出ししてしまったのか、俺は!  忙しなく呼吸を繰り返している最愛の主の顔を見つめ、慌てて逸物を引き抜こうと腰を引く。 「も、申し訳ありません……っ!」  すると、腰に回された脚に力が籠められた。 「はぁ、はぁ……何で……勝手に、抜こうとしてるの……っ」 「え――わッ!」  腰を脚で引き寄せられ、抜いた分だけまた挿入させられる。  腰を引き寄せた張本人である佐渡様は涙を流したまま、不機嫌そうに俺を睨み付けていた。 「自分は、三回出したでしょ……ボク、まだ一回だよ……っ」  そう言い、佐渡様が不敵に笑う。 「ご両親が帰ってくるのと、ボクが満足するの……どっちが先だろうね?」 「っ!」  佐渡様は、俺が佐渡様の機嫌を直そうとしていたのをご存じなのだろう。  見透かしたかのような笑みに、思わず息を呑む。  ――しかし。 (そんなところも、お慕いしておりますっ!)  俺は最愛の主が望むように、もう一度腰を動かし始めた。  すっかり雨の止んだ道を、並んで歩く。  残業だったのか……両親が帰ってくるよりも先に佐渡様が満足――もとい、行為に飽きたので、俺は何とか……難を逃れた。 「あ~……手首が痛~い。お尻も痛いし、サイアク」 「申し訳ありません」 「何回も中に出されたし、ホ~ント……遺伝子の無駄遣いだよね」  どうやら機嫌が直ったようだ。俺に悪態を吐きながらも、足取りは軽やかな佐渡様を見つめる。 「佐渡様の中に出せるのですから、遺伝子も本望かと」  俺の言葉に、佐渡様が大きな瞳を丸くした。 「…………な、にそれ。萎える~」  一瞬だけ言葉を詰まらせたかと思うと、すぐに佐渡様は俺を言葉で嬲る。 「こんなドヘンタイなマゾい君を満足させられる人なんて、きっとこの世界に一人だけだよね~」  そう言うと、数歩先に進んで俺の前に立った佐渡様が、クルリと振り返った。 「どう? ボクに好き勝手使われて……悔しい?」  満面の笑みで振り返った佐渡様は、上機嫌そうに訊ねる。  その笑みは、俺の答えを分かっての笑みなのだろう。  俺はだらしなく目尻を下げて、うっとりとした表情で佐渡様に答える。 「最高です」  それを聞いた佐渡様は、満足そうに微笑まれた。

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