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第3話
返却された試験一日目の結果はうっかり学年三位だったが、最早そんなことはどうだっていい。翌日の授業はテスト返却と解答解説ばかりの一日で、夢見心地のまま気付けば放課後だった。試験結果が思ったよりよかったからではない、昨晩の出来事が飲み込み切れていないからである。テストの成績が悪いのをヒーローのせいにするなんて言語道断なので勉強は真面目にやる、それ以上もそれ以下もなく、今から既に志望校があるわけでもなく。つまり平均より上が維持できればそれでいいので、真ん中から下に自分の名前がなければ興味はない。
頭撫でられてしまった。ああ。
ちびっこたちがFLTとかでやってもらってるの横目に見ていいなあと思ってたけど、まさか、あんな、ところで。
あああ。もうちょっと明るいところで見たかった。今思えばあの蹴りリアルアルカレッドキックじゃないか。さすがは空手で大会荒らしまくってた経歴を持つ俳優だ。むしろ食らってみたかったけどつい身構えてしまうのは最早条件反射である。
矢野から送られてきた「こないだのお礼にご飯行こ」とのメッセージを既読スルーしつつ、今日の予定を立てながら電車に乗る。
まずはテスト期間中見れていなかった七星元気のブログを見に行こう。同じくテスト期間なのだろう周辺高校の学生でごった返す中に定時上がりの社会人まで乗り込んでいて車内は非常に混雑していた。人混みに押されながらしばらく電車に揺られていると、ドア付近で俯いている女の子がいた。同じ高校の制服だが、リボンの色からして一年生だろう。
具合でも悪いのかな。確かにこんな混雑の中じゃ、普段乗り物酔いしないような人でも体調を崩すことはあるかもしれない。まして女の子だ。声を掛けた方がいいだろうか、としばし躊躇していると、電車の揺れで人ごみの陰になって見えていなかったものが視界に入ってきた。痴漢というやつだ。
女の子のスカートの内側に差し入れられている手をたどって見る。不埒者は中肉中背のチェックシャツの男だ。しかし、助けるには自分の位置が少々遠く、人の壁に囲まれて動ける状態でもない。手の届かない位置から痴漢だと叫んでも言い逃れられてしまうのは目に見えている。
どうしたものか、次の駅で少しでも人が動いたら隙間に鞄でも差し込んでこっそり妨害してやろうか。
いや、次の停車駅手前に一度、線路の継ぎ目の関係で車内が大きく揺れるタイミングがあったはずだ。揺れで人ごみに隙間ができれば、そこから手助けできるかもしれない。人の合間から車窓の景色を確認する。揺れのタイミングは確か、高架橋にさしかかる瞬間。
今だ。揺れで大きくふらついた流れに逆らってかき分け、手を伸ばした――ところ、自分ではなく、横から伸びてきた第三者の手によって不埒者の腕が掴み上げられた。
「いくらその子が可愛いからって痴漢はNGだぜ、兄ちゃん」
電車がレールの継ぎ目を通過する音にも遮られることなく、通る声で言い放ったそのヒーローは。
「あ、アルカレッド」
騒ぎに巻き込まれまいとその場のほとんど全員が一歩引く。大衆のうち一人のそんな呟きが、ちょうど停車駅前の減速した車内に落ちる。
こちら側のドアが降車駅に開いて、途端騒ぎ出したその場を抜け出すように不埒者の男がホームへ駆け出した。追って電車を降り、スクールバッグを男の足元に投げつける。鞄に足を取られた男がよろめいた隙に回り込んで、袋に入れたままの竹刀を突きつけた。
「逃げるんなら、もっと上手くやりなよ」
逃亡を諦めたか、男がその場に膝をつく。後ろからアルカレッド――七星元気と、被害を受けていた少女とが、走り出す電車を降りてこちらへ向かってきた。
「ナイスフォロー! って、ひょっとして同じ学校か? ごめん、俺の助けはいらなかったかな」
声を掛けてくる七星元気へは、自分が返す前に少女が否定する。これは完全に恋する乙女の表情である。
「そんなことないです。ありがとうございます。先輩も」
それにしてもすごい再現率だ。
何のって、もちろんアルカナファイブのワンシーンについてである。本編では、主人公レッドとヒロインにあたるホワイトの出会いのシーンは、偶然居合わせた電車内でホワイトに変身する素質を持った女性が痴漢に遭っているところをレッドが助けるところから始まっている。
実際のところ、ホワイトは生身の状態でも非常に戦闘能力の高い警官で、痴漢被害の多い車両に私服警察として乗り込んでいたのだったか。レッドによって絞められた痴漢男はホワイトの隠し持っていた手錠で現行犯逮捕され、そこでレッドが一言「……おれの助けはいらなかったかな」と苦笑いするのである。「確かに、余計なおせっかいだったわね」とクールに言い放つヒロインの反応こそ本編とは違うが、レッドについてはまさしくそのまんま台詞だ。
えっこれ撮影とかじゃないよね? え?
そんな回想に思いを馳せながら、念のため犯人が抵抗しないよう拘束しておく。犯人の拘束には、鞄に入れていた部活のためのテーピング類が役立った。
「急ぎじゃなかったら、ついでにそいつ駅員のとこ連れてくの付き合ってくんねー?」
「それは、構いませんが……」
近距離で話しかけられると、ブラウン管の向こうの存在が画面の隔たりなく間近にいることを思い知らされる。
うわあこのひとリアルにヒーローか。これたぶんSNSでまた話題になるな、っていうかこの路線使う人だったんだ。うわ。ダイヤ覚えとこう。
混乱する頭でちょっとばかしストーカー気味のことを考え始めていたところ、彼が耳元に顔を近づけてきた。
「昨日のやつだよな。また会ったな」
――覚えられてた!
囁かれた言葉と耳たぶにかかった吐息とで完全に頭が回らなくなってしまった。え、なに、まさか昨日と今日で一生分の幸運使い切った? キャパオーバーすぎる。
「アルカスロットのお礼。まだだったし、間違えて蹴るとこだったしさ。お詫びもかねて。今日、時間ある? どっか奢るよ」
つい先ほど、趣味に没頭するための時間を奪うなとばかりに矢野の同様の誘いは既読スルーしたことも忘れて、一も二もなく頷いていた。
いやまあ趣味といっても二次元の中の彼を眺めてうっとりするだけだ。こちらを断る理由はないわけだけど。
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