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第4話

 痴漢騒動を脱してみると、日はすっかり暮れてしまっていた。被害に遭った少女は親戚に連絡して迎えに来てもらうことになったとかで、お役御免となった自分たちは暮れた空の下人通りの少ない駅前に放り出されている。 「あんまり遅いと親御さん心配するか?」 「え、いや、俺は別に……部活と野暮用でもっと遅くなることもありますし」  野暮用とは主に例の友人のボディガードである。言ったところでさらなる説明が必要になりそうなのは目に見えているので、そこまでは口にはしない。 「そっか。二十二時までには帰すから、付き合ってくれるか」 「はい」  数日前の自分に、テスト空け七星元気と知り合うことになるよと言っても信じやしないだろう。半分夢心地のようになりながらも、表情には出すまいと顔を引き締める。 「そういえば、名前聞いてなかったな。なんて呼べばいい?」  駅からすぐ横道に逸れれば、全国チェーンの飲食店がある。ぼちぼちそちらへ移動していると、七星元気が話を振ってきた。 「えっと……森川宗太です」 「そっか、宗太だな。俺は七浦元気」  知ってます、と言い掛けて、名乗りが少し違うことに気付く。  ななほしげんき。ななうらもとき。なるほど。芸能界にいる人物であることは隠したいわけか。  モロバレだけど。マスクかサングラスくらいすればいいのに。痴漢から女の子助けるとか目立つことまでしちゃって。 「元気って呼んでくれ」 「あ、はい」  もときさん。口の中で反芻してみてうっかりときめいてしまった。だってそうだろ、昔テレビで毎朝見ていた憧れの人が。目の前で。男でもときめくに決まってる。  飲食店に入って、とりあえず飲み物を二つ頼んだところで元気が口を開く。 「宗太って今年いくつ?」 「十七です。誕生日まだなんで。今年十八になります」 「高校生だっけ。さっきの子と同じ学校?」 「ですね」  あ、俺じゃなくさっきの子の話を聞きたいのかな。  しまった、さっきの子のこと、ぜんぜん知らない。赤いリボンだったから一年生だとは思うが――あとで調べてみよう。次があるかどうかはわからないけど。 「まず、先に謝っとくよ。こないだは挑戦者と間違えてほんとにごめんな」  例の出会い頭に蹴ってきたことについてだろうか。怪我もなかったので、と首を振る。頼んでいたアイスコーヒーとストロベリーラテが運ばれてきて、アイスコーヒーを元気の前に差し出した。 「その、挑戦者というのは……?」 「SNSでうちの仕事先が変な企画始めちまってさあ。街中で俺見かけて一発でも攻撃入れられたら俺がなんでもお願いをきくっていう。回避、ガード、反撃OKだからいまんとこ無傷だけどな。刃物とか武器はNGなんだ。素手で戦うのが条件」  ブログにはそんなこと一言も書かれてなかったけど、いつから始まっていた企画なんだろう。ツイ垢作ってあとでフォローしとこう。 「ま、この変な企画もあとちょっとで終わるし」 「はあ」  あの夜の、挑戦者じゃないのか、との言葉はおそらく、自分が竹刀を手にしていたからなのだろう。明らかに武器になるものを所持している、つまり挑戦してきた相手ではない、と判断されたわけだ。  あとちょっと、などと言っているが、そんな普通に通させてしまっていい企画なんだろうか。なんでもお願いを聞くという話だけれど、何かしら限定条件をつけていないと負けた瞬間散々な目に遭いそうな企画だ。無敗の男だからこそ、事務所の方もこんな企画を提案したのだろうが。  話に相槌をうちながら、手元のストロベリーラテに口をつける。いちごってなんだっけ、とつい思ってしまうほどいちごからかけ離れた甘さが口の中に広がった。 「てかさ、宗太それ……」 「なんですか?」 「すげえかわいいの飲んでるな」 「ああ……」  星型のグラスにいちご味のアイスラテ。黄色い水玉ストローのデザインまで、確かに女性をターゲットに売られているものだろう商品ではあるが、レディースセットやレディースデーとは違ってこちらは男でも大人でも子供でもこれといって購入制限がかかっているわけではない。 「えっと、飲みます?」  とはいっても、いかにも可愛らしい見た目のものは大のおとな、成人男性が頼みにくい代物だろうことは分かる。こちらのいちごをかわいいと評しながら、目の前の彼がブラックコーヒーを口にした瞬間わずかに眉をひそめたのには気付いていた。 「俺、コーヒーにするかちょっと迷ってたんですよね。よかったら交換しません?」 「え、まじ。バレると思わなかった」  演技を売りにしている職業で、隠そうとしていた表情を読まれるというのは居心地が悪いものかもしれない。しかし、放送当時から、オフでの性格がアルカレッドそのまんまだということで話題になっていた元気だ。本来感情表現豊かな人物だからこそ、僅かな表情の差がかえって目に付くこともある。 「なんのことですか」 「……へへ。じゃあ交換な」  気付けはしても、こちとら演技はど素人だ。一応とぼけてみたけれど、彼は察したことだろう。  元気は楽しそうに、交換、と言ってグラスの位置を入れ替えた。入れ替えられてふと、ああこれ七星元気の飲みかけのコーヒーか、という邪な考えが脳裏を過っていった。いや。持ち帰りたいなどとは。断じて。そもそも持って帰ったとしてそれで部屋に飾れるわけでもなし、どうするっていうんだ。どうす……冷、凍……?  ひらめきかけた名案を、頭を振って打ち消した。ああ。だめだ。だめだ。この思考はあまりにもあんまりすぎる。向かいあわせの席で目を輝かせながらいちごを飲んでいる彼に、この残念思考を悟られまいと一気にコーヒーを煽った。 「おお、いー飲みっぷり。苦くね?」 「コーヒーは好きなので」  嘘じゃない。うん。そんな水のようにがぶ飲みしたいほど大好物ってわけじゃないけれど。  分かっているのかいないのか、彼がふーん、と軽く相槌した。それから可愛らしいストローでいちごラテを一口。甘いものが好きなのか、彼の目が輝いたように見える。  アルカナファイブ十八話でお菓子のおみやげをたくさん貰うアルカレッドというシーンがあったけれど、まんじゅうを頬張った時のあの嬉しそうな顔はあながち演技ではないのかもしれない。 「なあ、宗太はこのへんに住んでるのか?」 「わりと近くです。もう一駅先で降りれば五分くらいのとこに。ここから徒歩でもまあ帰れなくはないくらいの距離で」 「そっかそっか! よし、じゃあ決めた。俺宗太のご近所さんになるわ!」 「へ」  突然のことに、思わず変な声が漏れてしまった。

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