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第5話

 彼が言うには、今まで住んでいた部屋を出ることになったので引越し先をどこにしようかと考えていたところだったらしい。  それもちょうど、ひとつ先の駅のアパートとこの周辺のアパート、どちらにしようか迷っていたのだとか。それだけでも個人的には充分ビッグニュースだが、彼が同じ町に、となると最早想像もつかない。 「このあたりに住むって、仕事は、大丈夫なんですか?」 「ああ、足あるし!」 「足……じゃあ、駐車場のあるところがいいですね」 「ん? 自転車だし、駐輪場さえありゃ別に」 「じてんしゃ」 「自転車」  え。いや。それは。自転車で通える距離なのか。  せっかくだから何か食って帰ろうぜ、とメニューを差し出した彼は自分の言ったことを気にも留めていない様子で、こちらの感覚の方がおかしいのか不安になってくる。  ま、まあ、特撮で有名な撮影現場へも、七星元気の所属事務所の入っているオフィスビルへも、どちらもだいたい電車で約三十分の場所にある。基本的には電車の移動で、駅までが自転車というところだろう。きっと。まさか二十五キロ弱の距離を自転車で頑張るような男気限界突破ではないはずだ。……まさかね。 「奢るから、好きなの頼めよ」 「元気さんは?」 「んー、いちご」  照れくさそうに彼が頬を掻いて、メニュー最後のデザートのページを指した。ストロベリー・ミル・クレープとかいう、いかにも女子が好みそうなケーキの写真が掲載されている。赤いシロップのかかった……えっとこれはケーキでいいのかな。クレープか。 「働き出してから、あんまりこういうの食べる機会なくてさ。昔はめちゃくちゃ好きだったんだ」 「いちごをですか」 「ん。うまいし、赤くて綺麗だろ。宗太は何にする?」 「俺もゼリーとかアイスとかそのへんで……あ、じゃあコーヒーゼリーにします」  同じページで目に付いたゼリーを指した。遠慮しなくていいぞ、と首を傾げる彼に、この時間に食べると朝胸焼けするから、と言って納得してもらう。実際のところは緊張と高揚感でふわふわしていて食べるどころじゃないというのが本音である。が、それを正直に口にすると芋づるでこちらが蹴られたかっただの飲みかけコーヒー冷凍保存だのというおおよそファンとは言い難いことを考えていたことまで露呈させてしまいそうである。このテンパり具合は非常にまずい。早急に貝になろう。  追加注文を終えてすぐ、念のため親に連絡を入れておこうと父親へメッセージを飛ばしておいた。そこでふと、そういえばスマホの着信音は今アルカナファイブキャラクターソング――挿入歌として各メンバーのメイン回で使われてもいたので厳密には挿入歌扱いだ――が設定されていたことを思い出した。それも、もちろん、目の前の彼が歌っているレッドのキャラクターソングである。  今このタイミングで父親から帰りの時間についての後追い連絡が入ってしまったりしたら。身震いして、慌ててスマホをサイレントモードに設定した。  設定を終えて安堵しながらスマホを手放すと、途端テーブルの上がバイブ音で振動した。間一髪父親から連絡が入ったか、とスマホを手にしかけたが、震えたのは向かいに置かれた元気のスマホの方だった。  彼はロック画面の通知だけちらと確認して、内容には目を通さずにスマホをポケットに突っ込んだ。 「あの、連絡なら俺席外しましょうか」 「いいよ、内容分かるし」  運ばれてきたデザート二品は案の定、先ほどいちごラテを頼んだ自分の方にミルクレープが配膳された。 「やっぱこうなるんだよな」 「俺がさっきいちごラテ頼んだからじゃないですか? 同じ店員さんだったし」  なんの気なしにそう口を挟むと、元気は目を瞬かせて、それから微笑んだ。 「宗太はかわいいよな」 「はあ」 「うん、かわいい。俺語彙力ないから、この感じが「かわいい」で合ってるか分かんないけど」 「間違ってそうな気がします」 「そっかー?」  ミルクレープの皿を彼の方へ押し出して、代わりにゼリーを引き寄せる。 「あの、一応繰り返しますけど俺、今年十八ですよ」 「俺二十四だから六歳くらい離れてるのな。俺が高校の頃、宗太はまだ小学生だ。かわいいでもよくねえ?」  それを引き合いに出すなら、冷静に考えてもかわいいのはそっちだと思う。甘いものが好き、までなら最近はスイーツ男子とかいう言葉も流行っているくらいだからありふれているが、いちごが好き、の理由が「赤くて綺麗だから」なあたり最早キャラ作りですかと言いたくなるレベルである。本気でやってるならもうこれは天然記念物だ。早いとこ文化財保護条例で保護しなきゃいけないと思う。 「でさ、もし宗太さえよければだけど」 「はい」 「部屋選び付き合ってくれたりしねえ?」 「はい。――え?」 「やった! じゃ、LINE交換な」 「え、あの、はい?」 「なんだっけ、ふるーふる? とかいうの俺分かんないからQRコードでいい?」 「あっ、はい。じゃなくて、部屋選びって」 「地元なら、この辺のこと宗太詳しいだろ? 俺就職したばっかの頃、自分で住むとこ決めたら知り合いから非難轟々でさー。なーんにも考えないで決めるからアクセス悪いとか日当たりよくないとか周りにコンビニいっこもないとか。俺は別に平気なのにさあ」  脈絡のなさに面食らっているあいだに、どんどん話が進んでいく。あれよという間に自分のスマホには、普通に生活していればとうてい手の届かない憧れの存在の連絡先が入ってしまった。  部屋、決めるの、手伝って、って、それはつまり、住所教えても問題ないって思われてる?  それは大丈夫なのか芸能人。いや、彼の中では自分が芸能界に属する人間であることがばれていない前提か。ばればれだけど、いやまあ特撮に興味がなくて、若い男子学生だったら、芸能人の男なんてあんまり気にしたこともないのかもしれないが。それと同じ感覚で、自分相手ならばれないと思われているのだろうか。 「あー、そっか。今年十八ってことは春から受験生か? 忙しいかな」 「いえ……別に行きたい大学とかないんで、今の成績で無理なく行けそうなとこてきとうに選ぶつもりでした」 「うわ、頭良さそうなセリフ! じゃあ、ちょっとだけ付き合ってくれたりする?」 「はい。俺でよければ……」  これは。自分の特撮趣味、徹底的に隠さないといけないやつでは。  肝が冷えた。スマホの待ち受け、勝手に誠一とのツーショット写真に変えられててよかったと思う。誠一に感謝である。やつが先日ふざけて変えてくれていなければ、LINE交換の話題になった際にスマホの待ち受け画像でソッコー死んでいた。普段は待ち受けをオフィシャルフォトブックからスキャンした「アルカスロットで変身する瞬間の七星元気」にしているのである。正確には二十六話、変身する隙を与えてくれない怪人相手に生身で応戦しながら雑魚敵との混戦の中でスロットを使うバリバリのアクションシーンな一枚だ。お気に入りの待ち受け画像だったが、しばらくは封印することにしよう。 「不動産屋に条件話して、資料貰ったやつがいくつかあるんだ。宗太が暇な日でいいからさ、部屋見に行くのに付き合ってくれよ」 「学生なんで、土日祝ならいつでも。……あ、日曜の朝はたぶん音信不通ですが」  その時間帯ゴルフで潰れでもしない限りは基本的にスーパーヒーロータイム満喫してるので。とは言わない。が、重要なポイントである。出来る限りリアタイはしたい。 「そっか? そんなら、昼からにしようぜ。付き合ってくれた日は昼と夜、俺が奢るから。宗太のレンタル料な」 「ありがとうございます。でもマックとかでいいです」 「やっす!」  年上から奢ると言われたら、年下はありがたく奢られておけ、とは誠一のアドバイスによるものだ。こんなところで年上の彼から気まぐれに得ていた情報が役立つとは思いもしなかった。  うっかりマックって言っちゃったけど今ハッピーセットに現役戦隊のおもちゃとアーケードゲーム用スキルカードのおまけがついてくるんだよな。いつもの癖でハッピーセットだけは頼まないようにしなければならない。

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