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第8話
なんの予定もない退屈な日々を抜けて、とうとう元気と会う日がやってきた。
あれから誠一とはそれなりに連絡を取り合うようになって、今日この日のためにあれこれとリサーチの協力をしてくれた。任せろとの言葉はあの時限りではなく、継続的に力を貸してくれるつもりでの台詞だったらしい。おかげで私服で会う本日、コーディネイトは誠一の行きつけのショップで購入した流行のスタイルである。これに関しては本当に助かった。うっかりジーンズに柄オン柄のチェックシャツインで足を運ぶところだった。学生は制服さえあればだいたいは生きていけるので、ファッションに関してはつい勉強を疎かにしていた。
うん、かわいいぜ宗太くん。行ってこい。
そう言って誠一に送り出されたが、あの電話以来「かわいい」を連発されまくっているあたり、面白がられている割合もだいぶ高いと思う。
待ち合わせはあの時痴漢騒動で降りた駅前だ。LINEで自分の服装の特徴を元気さんに伝えておいたが、このトップスの表現としては「抹茶色のシャツ」で合ってるんだろうか。ん、いや、カーキか? 抹茶って言っちゃったけどカーキと言った方がよかったかもしれない。あっ恥ずかしい。相手はモデルの仕事もしてるその道のプロだっていうのに。
訂正の連絡を入れるかどうかで迷っているところ、駐輪場の方向からやたら明るい色合いの服を着た男が駆け寄ってきた。
「あ、抹茶!」
「元気さん……」
第一声それかよ。いや、言い間違えた自分が悪いのだ。甘んじて受けることにしよう。
「まじですげースタバの抹茶フラッペ色してるな! 中のシャツの白クリームみてー」
「……ああ、はい、抹茶でいいです」
諦めて今日の俺は抹茶になります。せっかく誠一が頑張って見繕ってくれたファッションだったが、自分の表現一つであっという間に台無しである。自分はともかく、この人は赤とかオレンジとか黄色とか、暖色系のファッションが好きなんだろうか。自分にはどう考えても着こなせる気がしない色だ。
「ん? 宗太、それ」
「ネックレスですか? ポリ……えっと、あ、ポリスのやつです」
元気の視線を追うと、自分の胸元にじゃらじゃらしている重たいアクセサリーに目が向けられていた。銀色の長方形で端にPOLICEと書いてあるのを思い出してブランド名を口にしたが、このブランドが有名どころなのかマイナーなのかも分からない。というか、自分にはちょっとスマートなデザインのUSBフラッシュメモリにしか見えない。メタリックカラーのフラッシュメモリを首から下げるのに抵抗がないわけじゃないが、これもファッションなのだ。きっと。
「誰かに選んでもらった?」
「はい。その、これ、貰い物なんです。年上の知り合いがいて。今日出かけるってこと話したら、かっこいいのやるからつけてけって」
最初は、シルバーアクセサリーなんて自分にはちょっと、と遠慮したのだ。そもそも学生にはアクセサリーにまで手を出すほど、金銭的余裕がない。俺の一つやるから、絶対宗太くん似合うからと誠一に押しつけられたこれも、おそらく自分ではまず買わないだろう額なのだろう。
「ふーん」
こちらの胸元を覗き込んでいた元気が、ほんの一瞬拗ねたように唇を尖らせた。
「あの……?」
「行こうぜ。最初の不動産屋、駅前に店構えてるって言ってたし」
「あ、はい」
なんだろう。何かまずいことを言っただろうか。
特撮趣味がばれないように、今日は私物には一切グッズの類をつけてきていない。待ち受けも例の誠一との謎のツーショット写真のままにしてあるし、服装だって女の子にモテる――ただしよく修羅場ってる――誠一のチョイスだから間違いはないはずだ。
横断歩道を渡ってすぐ近くに見えている不動産屋へ向かいながら、なんとなく不機嫌な雰囲気の元気の隣に回る。気付いて歩くペースを合わせてくれた彼が、ふと代理店の前でこちらに視線を寄越した。
「あのさ」
「なんですか?」
「今日は、俺が先約だから。今日の宗太は、俺のだから」
「改めて言われなくても、ちゃんとお部屋の相談にはお付き合いします」
不動産屋の人と相談しながら案内してもらうんなら、部屋選びにほんとに自分必要なのかって疑問は残るけど。
「そうじゃなくて……いや、うーん……うまく言えねえや」
がしがしと頭を掻いて、元気が肩を竦める。彼の言葉の真意が読めないまま、後に続いて店舗の自動ドアをくぐった。
そして一軒目、不動産屋の車に二人で乗って連れてこられた物件は、真っ白い壁に真っ白い床というオシャレ全開の新築物件だった。すごい。窓広い。いくらするんだろうこれ。
デザインにあわせたスマートな色合いの多機能キッチン、キングサイズのダブルベッドが余裕で入りそうな寝室。お風呂とトイレはもちろん別々になっていて、次元の違いに眩暈がしそうになった。
それ以前に、一人で住むには、ちょっと広いような気もする。
「宗太なら、どういう部屋がいい?」
「俺は……俺が住むところを借りるなら、趣味の時間を大事に出来るような、ところがいいです」
「趣味の時間なあ……部屋に鍵かけれたりとか?」
「そんなところですね。ああ、一人暮らしならあんまり参考にならない意見かもしれませんが」
「まあまあ、そうでもないぜ。宗太の意見すげー参考になる! 間取りもうちょっと違うやつがいいかもな」
こんなぴっかぴかの物件に上がりこんで、気付かないうちに汚してしまっていたらどうしよう。自分がそんなところを気にしている間に、元気は不動産屋の仲介人に二、三の断りを入れて次の物件を見せてもらうように話していた。
自分まったくもって役に立ってる感がないんだけどいいんだろうか。こんなんで。
「宗太って料理とかする?」
「あ、わりとできます」
「へえ。俺が宗太くらいの頃は親に頼りっきりだった」
「俺は、必要に迫られて仕方なく、みたいなところあるんで。今、父と二人なんです。家事は分担で」
「そっかあ」
とはいっても、父のほうにはなにやら最近好い人がいる気配がする。ひょっとしたら何年か後には、再婚するとかいう話が持ち上がってくるのかもしれない。相手が子持ちだったら気まずいな。年頃の男子が連れ子でくっついてくるっていうのも、再婚相手的にはやっぱり接し方が分からないものなんじゃないかと思う。もしそうなったら、自分はさっさと一人暮らしを始めることにしよう。大学に入るのをきっかけに家を出たっていい。
自分が一人暮らし。したら。たぶん目の前にいるこの男の写真やポスターで壁一面が埋め尽くされた城が出来上がるんだろうな。半笑いになりながら、二軒目、三軒目と見学を続けた。どれもどう考えても大学生に手が出せるような部屋ではなかったので、自分の一人暮らし妄想の種にはならなかったけれど。
途中お昼を挟みながら本日予定していた分をあらかた見学し終えると、時刻は既に夕方になっていた。
ファストフード店でいいと話していたが、ちゃんと奢らせて、との元気の申し出に甘えて先日と同じ飲食店で食事をした。それだけでなく、彼は当たり前のように家の前までついてきて、きっかり玄関先に送りとどけたのである。この間みたいに駅までならまだしも、学生だからってちょっと丁重すぎる扱いだ。女の子じゃないし、ある程度は自分の身も自分で守れるし、そしてその事実は彼も承知のはずなのだが。
「じゃあ、またな」
「あ、はい。おやすみなさい」
「そうだ宗太」
玄関先で踵を返しかけた彼が、ふと思い出したようにこちらに歩み寄る。胸元へ彼の手が伸びて、首から下げていたアクセサリーに指先で触れた。顔が近付く。
「似合ってるけどよ。妬けるから次はこれ、つけてこないで」
うわあ。顔面偏差値高い。
……口をついて出そうになった空気を読まない本音を寸でのところで飲み込むと、それ以上の言葉は紡げずに無言で頷くしかなかった。
「約束な。絶対だぞ?」
「はい」
「へへ、おやすみ。また連絡する」
言って撫でられた髪に自分で触れてみる。鼻歌まじりで駅に向かう元気の後姿がなんだかたまらなくて、曲がり角に彼の姿が見えなくなるまでこっそりその背中を見送ってから家の中に入った。
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