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第18話

「ちょい役しかもらえなくて、ぜんぜん売れてなかった新人のころは、家賃もきつくてさ。専門学校のころから仲良かったショウと、ルームシェアすることになって、それから今まで、ずっとあいつと二人だった」  あいつのことが好きだった。めちゃくちゃ好きだった。あいつが一緒にいるだけでなんでもできるような気がしてた。  彼が足元を見つめたまま、ぽつぽつと話を続ける。 「稼げるようになったら広くて新しいとこ探そうって、でもって、そっちでも一緒に暮らそうって、ほとんど一方的に約束取り付けてたんだ。だから……あいつが仕事辞めて実家継ぐって、嫁さんもらうことになると思うって、手術の前に、全部諦めてそんなこと言ったのが受け入れらんなくて。そんで、勝手にしろってだけ言って、飛び出してきちまった」  ――ほんとはあのアホにもこのドラマ、一緒にオーディション受けてほしかったんだけど。どうにも捕まらなくて。  SNSでの、そんな福島の補足のツイートに、女性の特撮ファンからは「元気くん忙しそうだもんね、残念だね」などのリプライがいくつか寄せられていた。  けれど、この「捕まらない」は文字通り物理的な意味だったわけだ。同じドラマに出てほしくてオーディションを受けないかという話を何度も持ちかけてきていた福島から逃げるために、仕事を山ほど引き受けてスケジュールを埋めてみたり、あちこちを転々として、とうとう引越しまで計画したりして。  その間にも、声を失った福島はドラマのオーディションに合格して。これは憶測だが、募集締切が間近に迫った中、痺れを切らして先日、挑戦者として殴りかかってきたものと考えられる。  挑戦者である福島の願い事は、あのメモ書きの通りだろう。帰ってこい。元気によってくしゃりとジーンズのポケットに押し込まれたあのメモに、彼が目を通したかどうかは、分からない。オーディションの受付が終わってしまったのかどうかも、分からない。 「俺の声で、気は紛れますか?」 「……ごめん。そりゃ分かっちまうよな。宗太の声、あいつとすげえ似てると思う」 「セックス、してみます? ……目隠しでもして。酔った勢いとかじゃないなら、俺は別にそれでも」 「違う。こんなこと言っておいて信用ねえかもしれないけど、今は、宗太を身代わりにしたいわけじゃないんだ。……最初は、悪い、ちょっとだけ」  あいつと部屋選んでるみたいで楽しかった。もう絶対に、叶わない夢だから。 「自分でもほんとばからしいと思うんだけど、俺さ、疫病神か何かなんじゃないかなって思ってる」 「疫病神、ですか?」  普段の彼からは縁遠そうな表現に思わず聞き返す。元気が頷いた。 「俺んちも片親でさ。父さんがいないんだ。俺が子供の頃、ヒーローショー見に行くって約束して、でもちょうど父さんの仕事が忙しい時期で。その時間に間に合わせるために車飛ばして、事故って死んだ」  苦笑いでそう言い切ってしまうくらいには、彼にとってそれはもう過去の出来事なのだろう。そのくせ、どこかで傷が膿んでいる。 「でな、俺、ショウと仲良くなったきっかけが、あいつの声に惚れたからだったんだ。なんとなく内緒にしてたんだけど、ちょうどアルカナファイブの撮影が全部終わった頃に、おまえの声好きだなあって話したら、そのあとショウすぐ病気になっちまうし」  病気を理由に俳優を引退、これ幸いとばかりに大企業の経営者である親が福島に跡を継がせるために話を進め、親の決めた相手と結婚させられるからと、好意を寄せる相手に別れを告げる。その図式は実際の福島の本心はどうであれ、確かに傍から見たら悲劇のヒロインのようだ。病気によってすべてを奪われて追っていた夢もやっと掴んだ役者という仕事も自由すらもなくしたみたいに見える。 「俺、本当に欲しいもんだけは、ぎりぎり手に入らないようにできてんのかなあって」  俺のせいだ、と先ほど彼が錯乱しかけていた理由に察しがついた。  そんなの偶然だと、現に自分はなんともないと、話して聞かせたところで理解はされないだろう。馬鹿らしい杞憂であっても、懼れる本人の中で一度根付いてしまった仮説は、根の深い恐怖は、かんたんに拭えるものじゃない。 「俺のせいじゃない、今までのは全部偶然だったって確信が欲しくて、夢中になれる相手を探してた」  なんか検証したかっただけみたいになっちまうけど、おまえの声聞いて、宗太が気になったのは確かなんだ。ばつが悪そうに彼が目を逸らす。 「でも今、おまえが怪我して肝が冷えた」  欲しがっちゃ駄目だった。これ以上、自分の手の中にあるものが手のひらからこぼれないようにするには。求めてはいけなかった。今以上を望んだらぜんぶこぼしてしまいそうだから。 「……まあ、俺の怪我は、厳密に言えば元気さんが散らかした空き缶のせいだと思うんですけど。でも、俺がここに来るって事前に連絡しておけば、元気さんは今散らかってるからって言って断るとか、最初から片付けておいてくれるとか、してくれたと思います。だから俺にも非はありますし、おあいこで」  それほど深刻な話じゃない。試用されていただけだったとしても、自分は気にしてない。そんな気持ちを、軽い揶揄の口調に込める。 「俺にはあんまりぴんとこない話だけど、元気さんが疫病神だっていうなら、俺に全部押しつけてもらって構いません。あなたの抱える不幸のすべて、俺にください」  ちょっとやそっとの呪いくらいじゃ、つぶれない自信はあるんだ。真相を知ってもまだ、俺にかけられたあなたの魔法は解けていないから。 「やっぱり俺は、あなたのことが好きです」  このひとの笑顔が大好きだ。できるなら、いつでも笑っていてほしい。 「元気さん。福島さんのこと、大切ですか」 「……ああ」  だから、自分が彼に明け渡せるなにかで、彼が少しでも楽しんでくれたらいいと思う。幸せな気持ちになってくれたらいいと思う。  魔法使いには、とうていなれそうもないけれど。

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