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第20話

 こちらから会いたいと連絡すると、喜んで! と絵文字付きの返信が秒で返ってきた。これまではずっと彼が「会いたい」気分の時に合わせていたから、こちらからの誘いにこんな反応がくるなんて知らなかった。  諦めようって時に、新たな一面を発見しちゃうのって皮肉だな。  きっとこれが最後になる。誠一のアドバイスのもと出来る限りのおしゃれをして、待ち合わせ場所で待っていた元気へ声を掛ける。  ここから、福島のところまでは自転車だと十分ほどの距離にある。例によって元気が自転車で来たことは既に駐輪場をチェックして把握済みだ。十五時にあちらへ行かせるなら、十四時四十五分くらいまでには決めなければならない。今は、十四時前か。  最後なのに、そんなに、時間ないなあ。 「俺、ストロベリーラテと、ミルクレープ食べに行きたいです」 「お、いつもの店だな!」 「はんぶんこしましょう」  並んで歩くと必ず車道側にまわってくれるのも、過保護とか子ども扱いとかじゃなくて、例の不安からくるものなんだろうか。いつも彼ばかりを目で追って盲目的になって気付けていなかったことを、今さら次々に発見してしまう。 「宗太、今日なんか香水つけてるか?」 「あ、はい」 「いつも制汗剤のにおいするから何かへんなかんじ」 「嫌なにおいでしたか?」 「んー、なんだろう、出かけてるあいだに俺の陣地を知らないやつにいつのまにかとられてて、帰ってきたらそいつのにおいが染み付いてた! みたいな感覚」 「すみません、ちょっと分からないです」  つまり部外者のにおいがするって言いたいんだろうか。この香水は誠一から借りたものだから、おおむね正解だ。鋭い。野生の勘か。  店に入って、あの日と同じにコーヒーとストロベリーラテを。それからコーヒーゼリーと、いちごシロップのミルクレープを注文した。 「元気さん、前から気になってたんですけど」 「おう、どした?」 「恋愛映画とか、その手のお仕事、あんまり受けないですよね。なんでですか?」 「あー、なんていうか……俺、感情移入しすぎるんだよな」  前バラエティで一回愛囁いたら、なんか浮気してるみたいな気分になっちまって。  自分相手に話すには、少々躊躇われる理由だったようだ。居心地悪そうに視線を泳がせている。 「やりたくないわけじゃないんですね」 「ああ、この仕事は好きでやってるわけだしな」  彼の話を聞きながら、肩越しに店の壁にかけられた時計を見遣る。運ばれてきた注文のスイーツが、やっぱり自分にいちご×2、元気へコーヒー×2の配膳で置かれてしまった。店員が奥へ引っ込んでから、二人して小さく笑い合う。 「ほら宗太、あーん」  彼がゼリーをスプーンですくって、こちらに差し出してきた。  なんでまた何の躊躇いもなく、そんなことするかな。今まで一度もそういうこと、しなかったのに。  動揺しても、自分は表情には出ない。それは間違いなかった。だから、大丈夫だと思っていた。 「お、おい、宗太? 俺に食べさせられるの、泣くほど恥ずかしかったか?」  不審がられる前に、なんでもない風を装って彼に差し出されたスプーンを食む、そうするつもりが、失敗した。目尻から頬を伝っていった涙のひとつぶが、顎から胸元へ落ちる。 「あ、あれ」  溢れて、止まらなくなる。まるで涙とともに、彼への思いが決壊したようだった。こぼれおちたひとつぶを追いかけるように、次々頬を滑り落ちる涙を袖口で拭う。  夢のようだった時間が、夢として終わっていく。引き金をひいたのは、間違いなく自分だ。好きな人には、好きな人がいて、選ばれたわけじゃなかったのに、一度も自分のものにはなっていないのに、手放したくない、なんて頭の片隅で考えてしまう。  十四時、三十分。終わっていく。見初められることのなかったシンデレラの一夜が。 「すみません、ちょっと、お手洗い行ってきます」  作戦を決行するにも、視界はどうにか保っておきたい。顔でも洗ってこよう。席を立つと、店員に声を掛けた元気がそのままついてきた。 「泣きながら席たたれたら、心配するだろ」  男子トイレの扉を閉めて、彼が抱き締めてくれる。 「俺、何かしたか?」 「大丈夫です。俺も、なんでこんなになってるのか分からなくて。あ、花粉かも。ちょうど季節ですし」 「……宗太は俺が何かしなきゃ、泣かねえだろ」 「元気さん、その……」  ごめんなさい。  胸中で謝って、取り繕う言い訳のあとに彼の腹部へ拳を叩き入れた。  ぐえ、と小さい呻き声が聞こえる。 「油断大敵です。元気さん」  どうか、声は震えてくれるな。しっかりと一言一句舌に乗せていく。得物を装備していない自分の一撃など、さほどダメージにはならなかったのだろう。彼が面食らった様子で腕を放す。 「え、まじ? あれ、まさかさっきの演技?」 「本職の人を騙せたんなら、俺もわりとそっちの道向いてるかもしれないですね。……お願い事、きいてくれるんですよね?」  ツイッターで投稿されていた規約もきちんと読み込んできた。この状況を断るすべを、彼は持ってはいない。 「福島さんと会ってください」 「……宗太、俺のこと、好きなんじゃなかったっけ?」 「尊敬してます。誰よりも。世界で一番」 「じゃあ、なんで」 「誠一……友達から、言われました。憧れって、理解からは最も遠い感情なんだって」  俺はあなたに憧れて今まで生きてきた。  剣道を始めたのも、体を鍛えてあなたみたいな強い男になりたかったからで、幼い頃、アルカレッドの強さに心を奪われてから何年も、ずっと。  そうやって昔から抱えてきた憧れを、たった数日そこらでなかったことになんて、できるわけがない。 「あなたの弱さを、脆さを目の当たりにしても、憧れる気持ちは少しも目減りしなかった。……俺は、あなたに憧れるのをやめられない。きっと、いつまでも。だから、あなたを理解する役どころは、最初から俺のものじゃなかった」  元気が、実は手話の勉強をしているのを知っている。  ホテルのあの部屋を片づけていた時に、手話のハウツー本を見つけてしまった。クイズ番組なんかではお馬鹿キャラとして珍回答を連発するような人なのに、そのテキストだけは付箋がたくさん貼ってあって、あの時も少し、泣きたくなった。  飛び出してきてからも、声を失った福島をどうにか引き止められないかと、きっとたくさん考えたんだろう。 「これからも、ずっと、何があっても。俺はあなたのファンです」  自らの手で終止符を打つ瞬間だ。先ほど思いがけず泣いてしまったからか、それとも大切なものを壊す瞬間だからか、ちょっと息苦しくて、心臓の鼓動がばくばくと耳にうるさく響く。 「全部投げ打って、全部振り切って、それでも大切なら、いっそ駆け落ちしちゃえばいい」  世間体とか、社会的にとか、そういうのを考えずに子供だから言える意見ってあると思う。  皆を笑顔にしてきたヒーローは、物語の最後にはちゃんとハッピーエンドを迎えてないとだめなんだ。

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