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第4話

 ここまでが、実家にいたころの記憶。親戚に引き取られたのは、小学校低学年くらいだったはずだ。  親戚の家族とはそこまで悪い関係ではなかったように思う。やくざをやってた親戚の子供なんていう微妙すぎる存在の扱いに、一般家庭の彼らは困っていただけかもしれない。やたら丁重に扱われたが、自分もあまり要望を話そうとはしなかったので特に何事もなく日々は過ぎていった。  両親を殺して実家に火をつけた人間の顔は分かる。服装から、手にしていたものまで詳細に思い出せる。門限をとっくに過ぎていたので、兄とともにタクシーで裏口から家に入った際、一部始終を見てしまったのだ。表向きには内部の人間の犯行になっていて、その後被疑者には制裁を与えられた。けれど、実行犯はあの炎の中、電話で誰かに指示を仰いでいたのだ。黒幕は別に存在したはずなのに、そいつにはなんのお咎めもなしというのも腹立たしかった。兄の言葉と同じく、実行犯の唇の動きも覚え込んだ。  転校先の小学校では図書室に通い詰めて、大した蔵書量じゃないことや子供へ見せても問題ないレベルの書籍しか存在しないことを確認すると、次は市立図書館に的を絞った。  人は一度見たものくらい何度か反芻すれば永遠に忘れないのが常識だと思っていたあの頃。どうにかあの日のふたつの言葉にたどり着きたくて読唇術を学んでみたら、片方はさらに言語の壁が邪魔をした。英語でもなかった。  実行犯の言葉の方は、読唇術を学ぶとあっさり解読できた。ナルカミさん、と口にしていたようだった。  あの日の兄の言葉が知りたくて、いくつも言語を学んだ。何冊も本を借りて学校で読み続けていると、学校教師からいじめの心配された。ひたすら分厚い本を読み続けている不気味な子供に関わろうなどと考えるクラスメイトはいなかった。  周囲から浮きすぎるのもまずいと思い至ったのは、手当たり次第に外国語を叩き込んでようやく俊樹の言葉を読み解いた頃だった。  いつか、おれをころしてね。時を経て声になった俊樹のその言葉は、自分が親戚へ引き取られたのとほとんど同時に、マネーロンダリングを請け負っていた俊樹が失踪していたことを知らされて火種に変わった。  両親を殺されたことよりも、家を焼かれたことよりも、兄に何かあったのだと幼心に察してしまった瞬間が一番背筋の凍った思い出だ。あの時の胸をつく思いがありふれた恋愛感情によるものだったのだとしたら、よくもまああんなに綺麗な人が自分の性癖に影響しなかったものだと思う。  それでも、殺してほしいと子供に乞うた彼の心理は、その時の自分には理解できなかった。その時点での自分の手の中には、知恵も力も経験も判断材料も何もかもが足りていなかったのだ。  小学生の間は、表立って悪さをすることはなかった。育ててくれた親戚からすれば、手の掛からない子供だったはずだ。手が掛からなさすぎてやっぱり不気味だったろう。いつも本を読んでいる大人しい子、という印象は秀才のイメージを周囲に与えていた。だから、進学校として有名な私立中学に進みたいと初めて親戚に自分の希望を伝えた時は、一学年あたりたった一枠の授業料免除が受けられる成績なら構わないと言ってくれた。大人からすれば、親を失った憐れな子供の数少ないわがままだったはずだ。  私立中学への進学の真相としては、その中学校の付近に兄がよく飲み歩いていた飲み屋街があるからだった。どうにか兄とコンタクトをとりたかった。そして、ナルカミという人間のことも調べたかった。子供の手足で、同時進行でやっていくにはただただ時間が足りなくて、友人を作る余裕はなかった。  ナルカミという名をどこかで聞いた気がして、読み書きできる漢字が増えていくたび、記憶の海を泳いだ。  中学に入って、兄の知り合いを捕まえることができた。直接訊いても取り合ってもらえないのは明白だったので、しばらく周辺の情報収集から入らせてもらった。結果として、俊樹が現在は鳴上泰久という男のもとに居ることが判明し、自分の中で「あの日の事件の真犯人に奪われた大切な兄」という短絡的な構図ができあがってしまった。単なる真犯人探しでしかなかった自分の目的に、悪者に捕らえられた兄を解放してやるのだという使命感さえも加わった。  そして、男のフルネームを知ったと同時に、記憶の中にあった映像と名前が結びついた。放火殺人事件として処理されていた両親のあの一件で、事情聴取の際に使われた書類の中に、担当した刑事第一課、強行犯係の刑事の名前が記載されていた。映像としてしか記憶できていなかったが、中学にもなるとほとんどの内容が読み取れるようになっていて、記憶の中のフォトコピーを読み解いて分かった。「鳴上泰久」は、警察署に身を置く人物だったのだ。  やっと車の免許が取れるようになった頃、監視していた兄の知り合いへ「矢野俊樹の事故死」を知らせる連絡が入った。メールサーバーを覗いていて発見したそのメッセージの転送元は確かに警察署のサーバーを経由していて、その瞬間、自分の中で何かが崩れ去った。兄を追うことよりも優先順位の低かった真犯人の件が、それから先の人生の最優先事項になってしまった。

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