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第5話

 色んなことが起きたり起きなかったり、罠にはめたりはめられたり。やっと事態が動き出して、全部終わる頃には二十七歳になっていた。兄と離れてからほぼ二十年。女の子の家に住まわせてもらうか、ホテル連泊かのどちらかでここ数年を過ごしていた関係上、私物は必要最低限だった。雑誌をはじめとする書籍の類は買って読み込めば基本的に頭に入る。頭に入れてしまえばそれを所持し続ける理由もないわけで、処分もしくは古本屋にそのまま流してしまうようにしていた。物に対する執着もなければ未練もない。この二十年間の諸々がすべて終わってしまって抜け殻状態の今、自分は一人気ままにホテル暮らしである。身を固めようにも貯金があるだけの肩書き無職だし、だからといって女の子のヒモになっていると自宅で帰りを待っている必要があるし、昼間から飲み歩ける機会も減ってしまう。だいいち女の子と一緒なら、てきとうに量だけ飲める酒場よりオシャレでちょっと高めの店を選んでエスコートするべきだというのが個人的に自分の理念だ。完全に酒に飲まれたいだけの時は、一人でいるに限る。  親や兄を奪ったと思しき犯人を追っていた時期も、自分の限界値を知るために必要だということで宅飲みならやったことがあった。けれど、人前で酒は駄目だと思い知った。特に、腹の底に一物抱えている身としては。さすがに酔って人に聞かれてはまずい核心部分までを話してしまうことはないはずだったが、感情の吐露だけは止められるものじゃない。  復讐したって、一度起こってしまったものはなかったことにはならないんだよ。新たな憎しみを生むだけだ。なんの意味もないだろう。もう忘れて、自分の人生を生きてもいいんじゃないか。  この二十年は、そんなありきたりな善意で慰められていいはずがなかった。酒の肴にされていいはずがなかった。  成人してから数年間の自分の酒の飲み方はそのまま染み付いてしまって、誰かと一緒だと酔うことができない。酔いたい時は決まって一人で。そんな習慣でぼっち酒した帰り道、ふらついて道の端で倒れこんでしまった時に遭遇したのが松本だった。  全部終わったら、どこかでのたれ死んでも別にいいか、と考えていたのも事実だ。ふわふわした酩酊の中で、夜の寒さすら感じない。ここで寝たら明け方には死体になってたりしないかな。期待を込めて閉じた瞼を、べちべちと遠慮の一切ない指で叩き起こされた。 「あのー、お兄さん、この季節にここで寝たら死んじゃうよ」 「あー……」  死んでよかったんだけどな。とここで言ってしまうと、それはそれで面倒なことになる。今日は諦めてホテルに帰るか。仕方なくその場で立ち上がろうとして、よろけた自分を彼が支えてくれた。 「家どこ? 近くだったら送るけど」 「えきまえの」 「駅? 少し歩いたとこの駅でいいの?」 「ほてるちぇーん」 「ああ……タクシー呼ぶより歩いた方が早そうだね」  初対面時の松本は、どこからどう見ても建設業に勤めてそうとしか言いようのない中年男性の印象だった。髪が薄くなってきてないか毎朝心配で枕の抜け毛を数えていたり、中学生になる娘にお父さんくさいから一緒に洗濯したくないとか言われてしまいがちな感じの。 「おっさーん、なまえは?」 「お、おっさん……僕は、松本正義。まだ三十五なんだけどね」  ごめん想像よりだいぶ若かった。 「君は?」 「にじゅうなな」 「うーん……やっぱりひとまわりくらい歳違うとおっさんに見えるもんなのかなあ……じゃなくて、名前は?」 「せいいち。やの」 「矢野誠一くんね。肩貸してあげるから、ホテルまで頑張ろう。今日このあと冷え込むから、ずっとここにいたら凍死するよ」  おっさんに見えるのはたぶんあれだ、あんたのくそださいブルゾンのせいだと思う。松本の肩に寄りかかりながら、自分を拾い上げた男の横顔を盗み見る。顔のつくりは悪くない。着ているもの変えて髪もうちょっといじったら普通にイケメンの部類に入るだろう。娘から避けられて涙で枕を濡らしたりせずに済むはずだ。  酔った頭で勝手に捏造した思春期の松本家娘のことを考えながら、結局松本にはホテルの部屋前まで付き添ってもらった。 「ついたよ、誠一くん、ここまで来ればあとは平気?」 「んー……」 「何かしてほしいことある?」  通りすがりに拾っただけの男によくもまあそんな親切な言葉をぽんぽん投げかけられるものである。 「せっくす」 「はい?」 「えっちしよ」 「……君いま酔って僕のこと女の子に見えてたりする?」  まさか。しっかりおっさんに見えてるよ。それも四十代から五十代くらいの。くたびれ方がもう三十五とは思えない。  上手く力の入らない手でジーンズのポケットを探り、カードキーで部屋を開ける。取り落としそうになったカードを松本はうまいとこキャッチしてくれた。  落としたよ、と手渡してきた彼の手首ごと掴んで、部屋に引き入れる。 「ちょ、ちょっと」  たじろいだ彼が背後の扉まで後退る。たかだか一歩の距離を追って、耳元に唇を寄せた。松本さんが突っ込む側でいいからさ。吐息混じりのこちらの言葉に、彼はなにも返してこなかった。  回された腕と指先が、背中に触れる。 ----------

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