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第6話

「宗太くん元気ー?」 「いきなりかけてくるな」 「ええつめたーい」  昼間でもおかまいなしに通話してくる十歳年上の男を、年下の友人は面倒そうにしながらなんだかんだで構ってくれる。都合さえかみ合えば彼の好きな特撮の話でいい感じに盛り上がっていたし、からかってじゃれあうのも楽しんでいたものだが、最近友人――宗太には恋人ができたようで、あんまり構い過ぎるのも恋人に浮気を疑われかねない。 「ていうか学校だから。今昼休みだけど。この時間はかけてくるなよ」 「はーいはーい、勉強頑張れよ~」  昼休みの時間帯をねらってかけてきたつもりだが、それもお気に召さなかったようだ。だからって放課後にかけたりしたら嫉妬心むきだしの恋人さんがスマホ没収したりするので、本当に最近はろくに話ができない。幸せそうで何よりである。 「……あ、誠一」 「なになに、やっぱ寂しい?」 「この間のヒロマ、一緒に買っといてやったから」 「まじで」 「いらなかった?」 「いや、助かる。今度パフェおごるわ」 「それは別にいいけど、ちゃんと後で取りに来なよ。それじゃ」  彼の方から、通話が終了する。  宗太は、こちらがなんの仕事をしているのかよく分かっていない。今は本当にれっきとした無職だけど、別に訊かれないのでそのまま答えないでおく。  誰かに依存したがるような、寂しがりの女の子を構うのが好きだった。彼女たちは構ってくれる人間がいたら、簡単に愛でさせてくれる。  自分がまっとうな人間ではないことは自分で重々承知していたので、普通に生きていて他人の手を必要としていない子には自分から近づくことは基本的になかった。そうしなくとも、寂しがりの女の子はそこらじゅうに溢れていた。  その時々の気分で野良猫を撫でるような感覚だった。そうしていると本気で懐かれる時もあって、そうしたらちょっとばかし本業の方の目眩ましに使わせてもらったりもした。たまに、構っているだけで自立して前を向ける子もいた。そういう子には、それを見送ってから笑って手を振った。彼女たちが前を向けたのは、自分が声をかけたからではなく本人にその素質があったからだ。  宗太は女の子ではないが、一時期ついつい同じような構い方をしかけてしまったのも事実である。  彼が恋人とうまくいっていなかった時期に、その場の勢いで手を出すことがなくてよかったと思う。彼は、ちゃんと一人で立ち上がって、一人で幸せを掴めるタイプのまっとうな人間だ。自分とは違って。  雑誌を取りに来いとわざわざ言ってきたのは、自分がつい先日までしばらく音信不通になっていたからだろうか。二十年越しの追跡劇でようやく事態に進展があって、それ以外のことにかまけていられなかっただけである。その際、万一を考えて女の子たちとは一旦連絡を絶ったし、ちょうど恋人ができて幸せオーラ全開だった宗太にも連絡を取らないようにしていた。  宗太もあれこれと訊いてこないからその程度のポジションを保てているものと思っていたが、口調がきついわりに心配はされていたらしい。  近付きすぎたら離れる。そうするのが一番だった。今までは。  今は、なあ。  軽犯罪にあたるたぐいのことは一通りやらかしてきている身だ。ついでに、恨まれる心当たりなら山ほどある。が、海外に高飛びからの隠居モードへ移行するには今は楽しみが多すぎて、少し前の燃え尽き症候群で「死んでもいいかな」と考えていた自分とはえらい違いである。  どのみち、まっとうな人生からはほぼ生まれた時から外れてしまっているようなものだ。それならばもうどうしようもなくなるまでこの場所に踏みとどまってみたい。  年下の友人に適度に絡んでは鬱陶しそうにされたり、その恋人に睨まれたり。年上のセフレに無茶振りをして呆れられたり、それでも付き合ってくれることに満足感を覚えたり。  人生の五分の四以上を捧げて固執していたことから解放されて、もう一度見渡した世界はなにもかもが真新しかった。自分を顧みることさえしなければ。  さて、あんまりホテル泊が続くと、手料理が食べたくなってくるものである。  女の子に養ってもらっていた時代に、単なるヒモでは長くは続かないだろうと夕食や朝食を自分で作っていたことがある。ネットで調べたレシピサイトを丸コピできることもあって、知識は上々、経験的にも腕は悪くないと思う。しかし、ホテルはコンロ等々の持ち込みが基本禁止。一旦精算して、誰か一人暮らしの女の子に連絡でもつけてみるかとホテルを出たタイミングで、運悪く雨が降ってきた。  マジかよ、あんだけ晴れてたのに。傘とか持ってねえっての。  通り雨であることを願いつつ、屋根のある場所まで走る。たどり着いたのはタクシー乗り場兼用のバス停だった。最寄り駅からの降車客がすべて捕まえてしまったのか、タクシーは一台も停まっていない。バスはたった今出たばかりらしい。次に来るのは二十五分後である。  ついてない。バス停のベンチに腰を下ろす。足を組んで手持ちぶさたにスマホの画面を点灯させる。急に会いに行っても迎え入れてくれる子、ここからすぐ行けそうなとこに住んでる子、喜んでくれそうな手土産を近場で用意できそうな子……誰に連絡を取るか思案に暮れるが、見ているのはアドレス帳ではない。連絡先はたいてい頭に入っているし、だいいちアドレス帳にむやみに女性の連絡先を入れておくとうっかり修羅場になった時の燃料にしかならない。メッセージアプリもあるにはあるが、素人にもいくらでもアカウントが作成できるたぐいのものはあまり信用していない――いや、うん、もうそういう必要もないんだけどさ。  ダイヤル画面を眺めていると、それから五分ほど降り続いた雨の中で一台のおんぼろ軽自動車が停車した。窓ががーっと音を立てて下がって、運転席の男性がこちらを覗き込んでくる。 「誠一くん、なにやってんの?」 「お、まっさん」 「傘は?」 「ない。さっきまで晴れてたじゃん」 「ああ……乗ってく?」  今日はたまたま非番なんだよねえ、言って、おもむろに彼がシートベルトを外して助手席を漁り出した。助手席に乗っていたのは女でも男でも人間ですらなく、近くのスーパーの買い物袋だった。仕事休みだったから買い物に行ってきた、ってところか。松本はぱんぱんで破裂しそうなビニール袋を後部座席にぽいと放って、どうぞお姫様、とこちらに笑いかけてくる。 「まっさんのお姫様は今留守番中なんじゃねえの?」 「あゆは学校だよ。平日じゃないか」 「そういやそっか」  ご厚意にはとりあえず乗っかることにして、意図せず買い物袋くんから奪い取った助手席の座を手にする。 「傘は貸さないけど、雨天なので運転~ってね」 「ウテン、ウンテン……ああ、なるほど」 「真面目に吟味されるの切ない……あと傘通じてない」 「うん?」  いやなんでもない。松本が隣でシートベルトを締めなおして、がっくりとハンドルにもたれ掛かった。  助手席に座っても、もちろんあの煙草の香りはしない。車内には、ミラーにぶら下げられた交通安全のおまもりと、プリンセスが学校で作ったと思しき折り紙の「いつもありがとうメダル」くらいだ。きっと学校側としては両親に贈る企画だったんだろうけれど、あの子はきっとなんの疑いもためらいもなく、今自分を育ててくれている叔父へ作ったに違いない。  自分はどうだったかな。面倒だなと思いつつ、てきとうに終わらせたような気がする。 「で、誠一くんどこ行く予定だったの? 送るよ」 「あー、いや……」 「あれ、バス乗りたかったんじゃなかった?」 「なんかむしょうに料理がしたくなった」  ホテルじゃ作れないから。言うと、彼が隣でぽかんと呆気にとられた様子になる。言葉はもう少し選ぶべきだったかもしれない。正しくは、出来合いのものじゃなくてちゃんと切って炒めて煮てという手順を踏んでいる手料理が食べたくなったというのが正しいのだけれど。 「……誠一くんほんとさあ」 「なんだよ。だから、俺はキッチン貸してくれそうな女の子に連絡付けてから行こうと思って」 「もう連絡したの?」 「してないけど」 「そう。じゃあ、うちにきなよ。うちの食材使ってもいいし」 「え」  まさかこの話題でお呼ばれすることになるとは思ってもおらず、今度はこちらが面食らう番だった。 「夕ごはんはお肉焼こうと思ってたんだけど、お昼もそういえばまだ考えてなかったんだ。僕ももらっていいんだよね?」 「そりゃ、構わないけど」  決まりだね、買い物行ったばっかりだけどもう一回行こうか? こちらの意見を仰ぐ彼の視線に、考えなしに頷いてしまった。  スーパーに逆戻りした車から降りてようやく、松本の自宅に何の食材や調味料があるのか確認してから買い出しに出た方がよかったんじゃないかと我に返ったりもしたわけだが、後の祭りだった。

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