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第9話
食事ののち、送っていくよと言われて断り文句が探せなかった。再び助手席へ乗り込んだおんぼろ軽自動車は空調の調子がよろしくないようで、冬や夏は大変そうだ。あゆみちゃんは自宅で宿題タイムらしい。
「今日はありがとう。いつものホテルに送ってけばいい?」
「あー……、うん」
しばらく女の子の家にやっかいになる前提でチェックアウトしてしまっていたのだけれど、そこまでバレるとうちで寝泊まりすればいいなんてお節介が発動しそうである。日中に出たホテルにもう一度チェックインするのも気が引ける。とりあえずそこで降ろしてもらって、松本の車を見送ったらそのへんのラブホに一人で素泊まりすることにしよう。
と、そんなことを考えながら乗り心地の悪い車に揺られていると、見慣れた駅前の風景が通り過ぎていくのが見えた。
「おいまっさん、過ぎてる過ぎてる」
いつものホテルに行くなら先ほどの道は曲がるべきだった。次のコンビニでUターンさせる必要がある。からかい混じりに指摘すると、運転席の横顔はどう見ても失敗した顔ではなかった。
「誠一くん、……ちょっと寄り道しない?」
「どこに?」
「休めるようなとこ」
「珍し。どういう風の吹き回しだ?」
信号に引っかかった。彼の表情を伺おうと近付けていた顔に、松本の顔面がくっついてくる。車内とはいえ、彼が人目のある場所で唇を重ねてきたのはこれが初めてだ。
「今、別れるのが、惜しいだけ」
「プリンセスはいいのかよ」
「施錠はばっちり。あと、少し遅くなるかもって言ってる。……もちろん、そのあとは寄り道せずに帰るよ」
やっぱ帰るんじゃん。自分で彼女の存在を思い出させるようなことを言っておきながら、その言葉に物申したくなってしまう。どうにか飲み込んだ。
「悪いまっさん、今日はこのあと予定あんだよね」
「え……あ、そうなんだ。ごめん、勝手に引き留めて。ガールフレンド?」
「じゃねえけど、似たようなもんかな」
懐かない野良猫を、噛みつかれない程度に愛でるような相手という意味では同列だ。もとは、同列だった。
「……若い子?」
「ん? ああ、そうだな。だからええと、そこのガソリンスタンドでいいぜ。確かラブホ前にあったろ」
青信号とともに動き出した車内で、メッセージアプリを開く。宗太のトーク画面を開いて、今からヒロマ取りに行く、と送っておいた。すぐに既読マークがついて、了解と二文字の返信。ここから年下の友人の家までは徒歩で行ける距離である。
ウインカーをつけて、ガソリンスタンド横の自販機の前にするりと停車する。
「さんきゅ。そんじゃ、プリンセスによろしく言っ――」
シートベルトを外してドアを開け、降りようとした瞬間。右手首が掴まれた。
「えーっと、まっさん?」
「……あ、ごめん、あれ、いや、なんでもない」
彼自身、どうして手を掴んだのか分からなかったようだ。テンパっている様子が地味におもしろかったので、いつもなら言わない言葉をプレゼントしてやることにする。
「またね、まっさん」
一度降りた車外から、身を乗り入れて彼の頬に唇で触れる。呆けた彼を置いて、助手席のドアを閉めた。
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