11 / 21

第11話

---------- 「覚えてるわけないよね」  覚えてたさ。あんたのことなら全部。 「あんなちっちゃかったんじゃ、分からなくて当然か」  だから読み解くために知恵をつけた。あんたを探してた。二十年も、約束を守るためだけに。 「楽しかったよ。俺の人生の中で一番、誠一と一緒に暮らした一年間が」  ……俺だって。 ----------  宗太と別れたあとは、もともと一人で利用する予定だったラブホを宿泊でとって、入手した雑誌を頭に入れていた途中で寝落ちしていた。  その夜に見た夢はつい先日起こった兄の件で、このまま現状に留まろうとしている自分を諫めるかのようだと寝起きに盛大にため息を吐く。  壊れた世界は元には戻らない。失った人間は帰ってこない。そんなものは最初から分かっていた。それこそ、あの光景の謎を解き明かしたいと思った時から。  ねじ曲がった自分も元に戻るはずはなく、だからすべてが終わったら、壊れた自分ごと全部放棄してしまうつもりでいた。……兄の希望を聞き入れたついでに。  だのに、最後の引き金だけが引けなかった。覚悟が足りなかったんだろうと思う。それは大好きだった人の長年の願いで、それを叶えられるのは自分だけだと自負していたのに。  兄、俊樹は生きていた。そして、自分が約束を果たしに来るのを待っていた。言ってしまえば少年漫画にありがちな、倒されるのを望んでいた魔王みたいなポジションだ。鳴上によって壊された世界に一番絶望して恨みの炎を燃やしていたのは兄の方で、やつに取り入って内部から鳴上の組織を掌握し、俊樹がいなければ立ち行かない段階まで持っていって、そのうえで、弟が自分を殺しに来るのを待っていたのだ。  彼が鳴上のもとで生きているであろうことについてはこちらとしても調べがついていた。嫌々ながら従っているんだろうとか、いくらか贔屓目に見ていたのは否めない。  自分は結局兄の手のひらの上で、追いかけてやっとたどり着いた先に、表面上は死亡扱いで行方の知れないままだった兄がいた……だなんてチープすぎて笑いが止まらなかった。  鳴上にこの手で引導を渡してやるのだと、銃の取り扱いまで海外で学んで、日本にやってきてからもメキシコから海路経由で拳銃を取り寄せたほどだったのに。  やっと事態が動き出して、二十年間、この瞬間をどれほど待ち望んでいたかという局面で待ち受けていたのは大勢の敵でも鳴上でもなく、記憶に懐かしい、酔ってふにゃふにゃになった時と同じ穏やかな笑みで。変わらない綺麗な顔をして、さあどうぞ撃ってくれと瞼を閉じる。一方的とはいえ言い渡されていた願いを、自分は叶えることなく突っぱねてしまった。  今振り返っても、兄には生きていて欲しかった、と無意識に考えていたのではなかった。そして自分も死んでもいいくらいに思っていたのは間違いはなくて、総合的に考えて、今更臆病風に吹かれたとかいうわけでもなく、一番だめなタイミングでアドレナリンが切れてしまった。というのがもっとも状況としては近そうだ。  「なんで俺こんなことしてんだろ」と我に返ってしまったのだ。本当に。ここにきて。復讐者気取るなら最後まで復讐心に燃えていなければならなかったんじゃないかと思う。セオリー的に。その点、兄は方法は違えど最後まで立派な復讐者だった。立派も何もやってきたのは一様に犯罪だけど。いやうん我ながら復讐心を最後までチョコたっぷりみたいに表現するのもどうかと思う。  馬鹿みたいだ。あと五分でもメンタルが持続してくれていれば、今こうして自堕落生活を送っていることもなかった。兄を殺して、その銃で自分の脳天もぶちぬいて、それですべてが終わるはずだった。  客観的には、自殺を思い直して、殺人も思い直して、ついでに暴力団の検挙に助力したってことでいいことずくめだ。情報収集がてら伝手を得ていた二課の刑事に連絡を取って、実質上兄の組織と化していた組を一網打尽にして、俊樹は現在留置所である。  後になって調べたことだが、俊樹の両親が抱えていた借金は、ほとんどが鳴上によるものだった。未だ十代だった俊樹に入れ込んだ鳴上が、彼を手に入れるべく両親を排除し一家離散を企て、彼を引き取るつもりだったのをうちの両親が間に入ってしまったのだ。これまで巻き添えを食らったのは兄の方だとばかり思っていたが、とばっちりを受けたのはこちらの方だったらしい。諸悪の根元が鳴上であることには違いはないけども。  遠い昔に失った世界を取り戻したかったわけじゃない。この二十年の先に、もとあったものたちがそのままの形で待っていてくれるなんて思ったこともなかった。  それでも、たまに、仮定の空想が止まらなくなることがある。  父親の仕事が入って行けなくなったヒーローショー。仕方のない休日出勤で拗ねた自分に、母親が自宅でお子さまランチを作ってくれる。今でいうキャラ弁みたいなやつで、オムライスに当時好きだった単車ライダーのデフォルメ顔が描いてあって。大学生にもなって兄が誠一ばっかりずるい、と言うから、仕事から帰ってきた父も一緒に笑い出す。  そんな世界も、どこかにはあったんだろうか。なんて。  肺にこもった息を大きく吐き出す。サイドテーブルにノートパソコンを置いて、改造したUSB型マジコネとモバイルWifiでアクセス元を誤魔化す。使い慣れた手段で海外経由に偽装したうえで、とある携帯端末を漁り始めた。  おいちゃんに好きな人がいるかもって。自分を気にしてデートもできないでいるんじゃないかって。なんとも思いやりにあふれた疑いだ。自分は探偵ではないが、可愛い依頼主のためにちょっと手間をかけるくらいなんてことはない。松本のメッセージ履歴を確認するだけでも、ある程度の情報は収集可能である。  最近頻繁に連絡を取っているのは、自分を除けば、山岸晴香さんという女性のようだ。対話履歴は主にお互いの子供――厳密にはあゆみちゃんは松本の実子ではないが――の件で、学校のことから家庭のことまでざっくばらんにメッセージのやりとりをしている。  山岸さんは夫と離婚して、娘と二人なのだそうだ。メッセージの内容からして、娘さんはあゆみちゃんの学校のクラスメイトであることが伺える。  さらに以前のメッセージ履歴までさかのぼると、そこには画像を添付した形跡とともに「今日はありがとう! 大好き[emoji]」とのコメントが送られてきていたことが分かった。このコメントと画像は山岸さん側からの送信メッセージで、それに対しての松本の返信はない。ちまちまメッセージを返すのが苦手な彼のことだ。きっとこのメッセージを見て、そのまま電話連絡を入れたのだろう。“[emoji]”の部分はもとより表示されるはずのない記号なのだが、添付画像データがどんな画像だったかまでは、サーバーの保存期限が切れていたようでキャッシュを確認することすらできなかった。  ともあれ、ここを確認するだけでも「山岸晴香」さんは現状もっとも「おいちゃんの好きな人」として考えられる人物ではある。ある程度伏せて、ここまでの内容をあゆみちゃんに報告すべきか、それとも確証を得てから話すべきだろうか。  端末を切ってノートパソコンを閉じる。週末、あゆみちゃんは山岸さん宅にお呼ばれするようだ。ちょっと探り入れてみるかな、と松本の連絡先をスマホから開いて、いつものようにメッセージを送った。

ともだちにシェアしよう!