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第17話

「誠一くんさ、僕あの時はわりとスーツでびしっと決めてたはずなんだけど、よく覚えてたね。印象もだいぶ変わっただろうし、何より十年も前なのに」  シャワーを浴びるでもなく、出すもの出して二人してベッドに転がってからの会話には色気が一切ない。日中に話していたうろおぼえ戦隊トークと何ら変わりはないのだ。 「あー、なんていうか、一度見たもの忘れないんだよ俺」 「……え?」 「映像記憶能力ってやつ? 一回見たものを画像として脳内に保存できるスキル」 「すごい、カメラアイみたいな?」 「ろくに医者にかかってねえから詳しくは知らねえけど。仕事柄、結構便利でさ。このスキルを目の中へのフォトコピーって言ってる音楽家もいたな。言い得て妙」  へえ、と話を聞く彼の方からも世間話以上の熱量は感じなくて、そのまま軽いノリで続けることにする。 「君よくそんな何人も女の子とつきあって覚えてられるなって思ってたけど、そういうことか……」 「でもな、顔は覚えてんのに名前は覚えてないとか結構ある。スカートの中身は思い出せてもどんな声だったか思い出せないとか」 「うわ言葉だけ聞くとすごい最低なんだけど」  口外するなよ女の子たちから総すかん食らうから。付け加えると彼が吹き出した。 「だからさ、初回のデートではプリクラ撮りたいって誘うんだよ。仕事のセキュリティカードに貼るんだとか言って」 「ああ、セキュリティカードならデートの時持って来なくても不思議じゃないもんね……」 「貼るかどうかが重要なんじゃなくて、プリクラ撮ったらほら、そのあと画像にタッチペンで落書きするだろ。名前入りで落書きして、その画面を目の中にフォトコピーしたらリストイン完了だ」 「女の敵だあ……あゆがこんなのに引っかからないように気をつけないと……」 「こんなのってなんだよ。まあ、プリンセスはもっとまともな男捕まえるだろ。あの子は強いからな」  とはいえそうなんでもかんでもスクリーンショットしてしまうわけではなくて、一度見たものでもその後何度か反芻して脳内に保護をかけないとなんてことのない映像ほど消えていってしまう。一瞬の風景でも数分は持つが、その程度が関の山だ。さすがにそうでないと気がふれる。詳細をあかすと、そう便利なものでもなさそうだねえ、と返された。 「ってことは……僕のこと、ちょくちょく思い出してくれてたんだ?」 「不可抗力でな。あのタバコ、持ってる日本人多いじゃん。そんで日本に戻ってきてからは喫煙所行くたび思い出して」 「喫煙者とああいうことするの初めてだった?」 「厳密には、日本人の喫煙者な」  そこで、返事がかえってこなくなった。寝落ちしたかな、と視線を向ければ、彼がこちらに寝返りを打って、じっと見据えてきていた。 「女の子をカウントしないなら、あのとき、僕は君が最初だったよ。……たぶん最後にもなると思うけど」 「……あれ、ハマっちゃった? 男は俺以外いらないみたいな」 「誠一くん、あのね」  最初で最後、なんて珍しく詩的なことを言われて反応に困っていると、彼が遮ってくる。 「もう、こういうのやめない?」 「――そういえば、好きな子ができたんだったっけ」 「うん」  変な間が空かないように即座に会話を返しながら、無理くり彼の言葉を飲み込んだ。もう会いたくない、って解釈で合ってるか。 「僕はね、ずっと」 「分かった。……もう俺からは呼び出さねえ」  それ以上の言葉を聞きたくなくて、物わかりのいいセフレを取り繕う。欠伸とともに枕に突っ伏した。 「でも、用があったら連絡してくれていいぜ。服選ぶのもしばらくはアドバイスあったほうがいいだろ?」  意中の相手に振り向いてもらえるまではデリ的なことやってやってもいいし。頭のなかは真っ白だというのに、よくもまあほいほいとそれらしい台詞が出てくるものだと自分の口に感心する。 「俺もずっとあんたとこうしてるつもりなんて、元々なかったから」  言ってしまって、自分の言葉で泣きたくなった。自覚してすぐこれは、正直きっつい。  松本はそれ以上、なにも言わなかった。  長い沈黙が今度こそ寝落ちなのか、それとも自分の軽い対応に呆れてのものなのか、確かめるのが怖い。ふかふかの枕に埋もれながら、いっそ自分が眠れたらいいのに、時間が過ぎていくのを待つしかなかった。 「うわもうこんな時間……起床しなきゃ……ちきしょう……」  もぞもぞと動き出した彼が、気だるげに身を起こす。 「やっべえなエッチのあとの雰囲気一瞬でぶっ飛ぶわそれ」  最後までいつも通りの松本に吹き出して、ギャグがウケたと勘違いしかけた彼に前もって違うからなと制する。ぬか喜びを大仰に落ち込んで、それから彼がベッドから降りた。 「帰んの」 「うん。あゆ、二十時には帰ってくるから」 「……そっか。そりゃ早く帰って出迎えてやんなきゃな」  浴室に向かった彼がシャワーを浴び始めたのを音で聞いて、その間に宗太にメッセージを送る。誕生日プレゼントのサプライズのため、当日の予定の確認と、前日までに会える日がないかの確認が必要だ。  ついでに、松本の連絡先を消去しておいた。メッセージアプリの方は、あちらから連絡を取りたい時に困るだろうからトークの削除だけでいいか。  プリンセスには、どうやって依頼の結果報告を行おう。自宅の固定電話番号も聞いていない。調べればあっさり出てきそうだが、そうやって調べてかけてきた電話に彼女が出たとして、それを松本に知られずにいることは可能だろうか。難しそうだ。  彼女の見立て通り、彼に好きな相手がいるという言質はとれた。あとはそれが誰なのかの確認くらいだが、厳密にそちらの特定までは頼まれていない。あたりはついているけれど、決定的な証拠をとって君のお友達のお母さんだよ、と言ってしまうのもどうなんだろう。 「誠一くん」  浴室から出てきた彼が、こちらがまだろくに服も着ていないのを見て声をかけてくる。次俺の番な、と彼の隣をするりと抜けて、浴室に滑り込んだ。 「ほーら、着替えて早く行けよ。こっから車だったら余裕で間に合うじゃん」  帰ってきた時に誰かにおかえりって言ってもらえるのと、暗い部屋に出迎えられるのとでは大きな差がある。別にそのときおいしい食事が用意されているかどうかって話ではなくて、部屋が暖房であったまってるかどうかって話でもなくて、無条件に自分を愛してくれる誰かが待つ場所へ帰れるというのは、子供には特に重要事項だ。 「その、送ってくれる親御さんってのにも会わなきゃだろ。さっきのコーデなら、レディもイチコロだぜ」 「れ、レディ?」 「はあいはい、行った行った」  服を着た彼をしっしっと手で追い払って、松本が部屋の入り口まで向かったのを確認し浴室の扉を閉める。 「えっと、とりあえず今日の約束……ホテル代、ここ置いとくね」  今日の約束ってなんだっけ。聞こえてきた松本の台詞に一瞬考え込んで、思い至った。服一式買ってやった時に、そんな話をした気がする。次のホテルはあんた持ちで――その機会が次回以降やってこないなら、今回の分を彼が負担しようとして当然だった。  お金置いて一人で先に出てくってなんかこっちこそ援交っぽいな。浴室の半透明の扉を背に、その場に座り込む。  今度は大丈夫、なんて信じて裏切られるくらいなら、大切なものなんてそうそう増やすべきじゃない。  分かっていても、落ちることを回避できないのが恋ってもんだ。  知ってるよ。知ってるつもりだった。 「じゃーな、まっさん」  呼び出されることは、きっとないんだろうな。

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