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5:『魔王』の世界

ゆるゆると死にゆく世界に、『マサキ』は生まれた。 鈍色の空。大地は枯渇して作物もよく実らず、生きものは皆わずかな恵みを奪い合うようにして生きている。 風も太陽も滅びを受け入れたかのように弱々しく、大地は何度も体を震わせ終末の恐怖を訴えていた。 そんな世界で、母親は『マサキ』が小さい頃に病気で死んだ。 マサキ、死んでは駄目よ、私たちには大切な役目があってね――… 母の口癖を今もよく思い出す。 『マサキ』が住む森の近くにある村の人達が言うには、彼女は魔女だったらしい。 魔女が正確にはどういう存在か、それが本当かどうかもよくわからないが、自分もどうやらヒトと違うようだというのは育っていくうちにわかってきた。 村の人達には自然の声が聞こえたりしないし、魂が見えたりもしないようだった。 ある時『マサキ』を犯す村の男の背後の女性の魂が悲しそうな顔をしていたので教えたところ、ひどく殴られてそれ以来視界は霞んだままだ。 『マサキ』は『災厄』なのだと村の人達は言う。 村に災いをもたらすから、痛めつけるのだと。 確かに村の人達は自分を見ると嫌な気持ちになっていたし、そうではないという証拠は何もなかったので、『マサキ』も「そうなのかもしれない」と思っていた。 『災厄』なのに殺されないのは、母の言っていた大切な役目があるからなのだろうか。 小さな頃から抱き続けていた自分という存在への疑問の答えは唐突にやってきた。 ある日村長と村の男数人に拘束された『マサキ』は乱暴に馬車に押し込まれた。 今まで何をされても逆らった覚えはないのにわざわざ拘束するのはなんでだろう。 不思議に思ってどこへ向かうのか聞くと、村長は話しかけられるのも汚らわしいと言わんばかりだったが、質問には答えてくれた。 「『魔王』の塔だ」 「『魔王』…………?」 『魔王』の塔というのは山の上に立つ黒い建物だ。村の人達が話しているのを聞いたことがある。 「お前は『贄』になるためだけに生かされていたのだ。皆の役に立つことを喜んだらどうだ」 「役に…立てる…」 嬉しいと思ったけれど、村長はそんな『マサキ』を気味悪げに一瞥して黙ってしまった。 『魔王』―― 聞いたところによれば『魔王』もやはり自分と同じように村に災いをもたらす存在らしい。 では自分は『魔王』の子供なのだろうか? 血が繋がっていなくても、同じ種類の生き物かもしれないと思ったらドキドキした。 『贄』が人柱のことだとは知っていたけれど、そうすれば村の人たちの役に立てるのならば、『災厄』の自分が生きている意味もあるのかもしれないと思えば何も怖くはなかった。 母の言っていた役目とはこれなのかもしれない。 そんな、答えを得たような気分にすらなってくる。 やがて馬車は『魔王』の塔についたらしく、『マサキ』は無造作に地面に放られた。 「お約束の贄をお持ちしました。これで我らのことはお助けください」 村長の厭わしげな声。 地面と衝突した痛みが過ぎ去るのを待ちながら馬車が遠ざかる音を聞いていたが、門と思われる黒いものが動く気配でなんとか身を起こした。 硬い足音が聞こえてきて、ぼんやりとそちらに視線を向ける。 段々と大きくなる黒い影。 そこには、あまりにも強い哀しみと憤りがあった。 村の人達よりも、もっと深い、見ているだけで辛くなるような色をしている。 「人心の荒廃は深刻だな」 哀しみに彩られた黒い影はそんなことを呟き、傍に膝をつくと拘束を解いてくれた。 何がそんなにつらいのだろうと不思議に思いながら、ゆるゆると立ち上がる。 「ありがとう…ございます。『魔王』様」 「『魔王』?」 「違うのですか?」 「…なるほど、そういう認識をされているわけか。…『魔王』か…違いないな」 ポツリと漏れた自嘲は重く、『マサキ』は自分が何か彼を悲しませるようなことを言ってしまったらしいと思って謝ったが、次に『魔王』が口にしたのは別のことだった。 「…逃げても構わないぞ」 「逃げる…どうしてですか?」 「君は、自分が何故ここに連れてこられたのかを知らされていないのか」 「『贄』になるためですよね?わかっています」 安心させようと思ったのだが、訝る気配でぐっと両肩を掴まれる。 その手は、彼の寂寞たる心の裡を表すように冷えきっていた。 「本当にわかっているのか?人柱になり、死ぬということなんだぞ」 切羽詰まった問いにこくりと頷く。 どうして、逃げろなどというのだろうか? 『災厄』である自分がようやく人の役に立てるときがきたのに。 「あんな…誰かを犠牲にして生き永らえようとする者達が、君が己の命を捨ててまで守るべきものか?」 責め立てるようにぶつけられるのは、怒りと、悲しみと。 だがそれは他でもない『魔王』が自分自身に向けたものように感じた。 人の心の動きはよくわからない、けれど、『マサキ』の答えは変わらない。 「俺は嬉しいです。『贄』になることができて」 誰かを幸せにできる手段が目の前にあって、それが自分にだけできることだったら。 それはすばらしいことではないのだろうか。 『マサキ』には養うべき家族もなく、何かを生み出すこともできず、存在しているだけで村の人達を不幸にしてきたのだから。 それを聞いた『魔王』はやはり悲しそうだった。 『マサキ』が『贄』になったら『魔王』も幸せになれるのならいいのに。 促されて入った『魔王』の塔の中は、『マサキ』の見たことのないものばかりだった。 目ではない視界で捉えているので、それらがどんな色でどんな形をしているのかはわからないが、木や石でできたものではないのは確かだ。 そしてずっと、微弱な振動を感じる。 それは『システム』で自分はその『管理者』なのだと、『魔王』は己のことをそんな風に話した。 よくわからなくて説明をしてもらったら、『管理者』というのは災いをもたらすものなどではなく『神様』のようなものらしい。 つまり『災厄』である『マサキ』とは仲間ではなかったようで、それはとても残念だけれど、神様のような存在ならば、この死に行く世界をたすけられるのかもしれないということではないか。 早く『贄』にしてもらいたかったが、次に『魔王』がしたことは『マサキ』を風呂に入れることだった。 新しい服まで用意されていて、どうして、という気持ちはあったがやはり嬉しかった。 でも一番嬉しかったのは、母親にしか呼ばれたことのない名前を呼んでくれたことだ。 嬉しくてお礼を言ったら、優しく頭を撫でてもらって、なんだか胸のあたりがあたたかくなった気がした。 やがて「見せたいものがある」と、『マサキ』は塔の上へと誘われた。 案内されたのは、塔の上だとしたらとても不思議なことに、湖のような場所だった。 他に形容の仕方がないのだが、扉付近の足場以外は全て水で、その中心にはなんだかわからないものが浮かんでいるように感じられる。 「ここは本当に塔の中ですか?」 「そうだとも違うとも言える。ここはこの世界の中心だ。そこに浮かぶコアに百年に一度選ばれた人間を捧げることでこの世界は維持される……忌まわしいシステムだな」 「じゃあ、世界を救うにはここに飛び込めば?」 「……今はその時ではない」 何故、彼は『マサキ』を『贄』とすることを厭うのだろうか。 「俺は本当に……選ばれた、人間、なんでしょうか。母親は、魔女なのに?」 「君にとっては残念なことに、確かに選ばれた人間だ。君の母親が魔女だと思われていたのは、選ばれし人間が持つ力が発現していたからだろう。万物から情報を読み取ることのできる力を、君も持っているな?」 「自然の声が聞こえることですか?」 「そうだ。コアの求める人間は無作為に生まれ、周期的に必要とされない場合は血を残す」 「俺と同じ力を持つ人たちが他にも……」 「昔は異能の力を畏れ敬ったが、徐々に不吉なものととらえられるようになったようで長く生きられないものが多く、今は君だけだ」 同じ力を持つ人に会えないのは残念だと思ったが、自分は役に立てそうだということが確認できてほっとした。 だが、やはり傍からは苦悩の気配が伝わってくる。 「私は、人柱などなくても世界を存続させる方法をずっと探してきた。だが…本当に、この世界は存在させる価値のあるものなのか、疑問を感じている」 「どうして……ですか?」 「君への仕打ちや、絶えない争い、ヒトの際限のない欲望は、ただ醜く悲しい」 「でもみんな、争うことが好きなわけではないです。俺に優しくしたら他の人に怒られるのに、食べ物や傷薬をこっそり置いていってくれた人もいました。価値とか、理由とか、そういうのはわからないけど、俺は、みんなに生きていて欲しいです」 「………………」 「それに、みんなが幸せになったら、あなたも幸せにならないですか?」 「…私が?」 「俺は、あなたに名前を呼んでもらってとても幸せな気持ちになりました。だからなにかを返せたら、いいなって思って。みんなが優しくなれば、あなたも悲しまなくてよくなるんですよね」 「………………………………」 沈黙。 『マサキ』のもう一つの視界に映る色は、複雑すぎてどんな感情だか読み取れなかった。 『マサキ』には、あまり込み入った感情はわからないが、それは怒りでも悲しみでもないように見えたのは気のせいだろうか。 その時、この世界の『コア』が一瞬輝きを帯び、凪いだ水面が、波紋を描いたような気がした。

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