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7:やはり憧れで構わないから
優しくしてくれたのが嬉しかった。
お礼を言うと、彼の悲しい色が少しだけ和らいで。
ああ、このひとが、もっと幸せになるところを見たい。
そう、思っていた、のに。
『マサキ』は思いもよらない言葉を聞いて目を見開いた。
『魔王』は、『マサキ』を贄にはしないと、そう言ったのだ。
「どうして……ですか?」
呆然と震える唇を開く。
「私は、君を人柱になどしたくはない。君は、…君のような人間こそ生きるべきだ」
目の前の男は、静かな諦観をたたえていた。
それが絶望でも悲嘆でもないことが、不思議で、不安な気持ちになる。
「そんな、だって、俺が人柱にならなかったら、この世界が、…って」
「誰かを犠牲にしなければ存在できない世界など、所詮間違っている。そもそもが大いなる…の手遊びに作られた箱庭なのだ。幕を引いてもいいだろう。安心しろ、君が生きている間くらいは、私の最後の力を使えばもたせることができる。…だから」
「…そ、そんなのは嫌です。お願いします、俺の命を、どうか、使ってください。それが、きっと俺の生まれてきた意味なんだから」
漆黒に縋れば、彼は痛みを感じたときの色で俯いた。
どうして。俺が贄になることはたくさんの命を大切にすることなのに。
「…君は、知るべきだ。死ぬための命など存在してはいけない。命の重さを」
「命の重さは知っています、俺は …、」
***
いつもの、『マサキ』が死ぬ結末で夢は唐突に終わった。
そうか、自分は寝ていたんだなと思いながら瞼を押し上げると、まだ見慣れない天井が視界に広がっている。
最近、かなり頻繁にあの夢を見る。
断片的だったり、長々と『マサキ』の一生をなぞるようだったりとまちまちだが、見始めた当初から録画を流しているかのように、視点も筋も全て同じだ。
たまに『魔王』が月瀬に見えたりするのは、起きている時のことが少し混ざってしまっているのだろう。
それにしても今まで毎日のように見ることはなかったのに。
まるでなにかに警告するかのようだ。
……………警告?
考えかけたことに、自分で首を捻った。
何故自分は今警告などと考えたのだろう。
あの魔女だの人柱だの物騒な荒唐無稽ファンタジーから、現代社会に生きる自分が注意すべきことなど見出せるわけもない。
夢に入りこみすぎていたのか、クリアな視界に違和感を感じながら身を起こして、真稀は自分のいる場所をようやく認識した。
「(また……やってしまった……!!)」
正面に見えるのは壁一面の本棚。
ここは与えられた真稀の部屋ではなく、月瀬の寝室だ。
頭を抱えかけたところで、唐突にドアが開いてビクッと体を揺らした。
「ああ、起きていたのか。」
言葉とともにシャワーを浴びていたらしい月瀬が入って来る。
夢の余韻を追いかけている場合ではなかったと慌てて飛び降りて平謝りだ。
「す、すみません…っ、俺、また…」
「別にかまわないと言っただろう。時間が許すのならまだゆっくり寝ていていいんだぞ」
ぶんぶんと首を横に振りつつ、装備:タオル一枚の月瀬から目をそらす。
肌色を目の毒に感じるくらいは好意があるので、少し自衛していただきたいと切に思うのに、クローゼットを開けて無頓着に着替えようとし始めるので慌てて室外へと逃亡を図った。
「あ、朝ごはん、用意してきます!」
からがらキッチンまでやってくると、大きく息を吐き出し、カウンターに突っ伏した。
本当に、何をやっているんだと数時間前の自分を殴りたくなってくる。
月瀬のマンションで生活をするようになって一週間近く経っていた。
月瀬の帰宅時間は、早かったり遅かったりまちまちだったが、日付が変わる前には帰ってきて真稀の作った夕食を食べてくれる。
夜は、初日のことがなんとなく習慣になってしまい、迷惑に思われていないだろうかと気にしつつも、毎晩コーヒー片手に月瀬の寝室を訪れていた。
あれよという間に近い距離で生活するようになって痛感したのだが、真稀はやはり月瀬崇史という人物その人が好きで、とても興味があるのだ。
だから、駄目だと思ってもついふらふらと近寄って行ってしまう。
和やかな雑談がいつの間にか色気のある空気になって煽られるままにいただいてしまうと、何故か強烈な睡魔に襲われて気付くとそのまま月瀬のベッドで眠っていたという恐ろしい事件がもう三度目だ。
本当に、彼の手や声には何か魔力でも仕込まれているのではないかと疑うほどに。
月瀬は「構わない」と穏やかな調子で言ってくれるが、甘えっぱなしでいるわけにはいかない。
「(こんなに、近くなってしまうなんて)」
月瀬が申し出てくれた『それ以上の関係を求めない安定した供給源』というのは、真稀が特定の供給源を見つけられるまでの暫定的な処置だろうと思う。
好意に辿り着かない厚意は、相手が好きならやはりつらい。
きっと、適当な相手を見つけて(あるいはその振りをして)、早めに出ていくのがお互いのためだろうと思う。
朝の気分を引きずったまま講義を受けて、結局最後まで集中できなかったことに疲れきって朝のように机に突っ伏した。
「はあ…」
理性と本能の板挟みが辛い。
世の片想いの紳士淑女の皆様は、こういうときどうなさっているのかお聞きしてみたいが、そんな友達もいない、というかいても相当真稀の事情を知っていないと無理だし、母がいたら相談できただろうか?いやいやそもそも母が月瀬に恩を売ったりするからこんなことに。
「(恩…か。相変わらず聞けてはいないけれど、俺のことに嫌悪感がないのは、やっぱり俺が母親似だからなのかな…。)」
もやっとした気持ちが湧いたその時。
ぽん、と肩を叩かれる。
「どうした真稀。悩ましげなため息ついて」
「鷹艶さん…」
「もしかして恋煩いか?金の相談なら乗れるけど、恋愛はなあ…」
突如として現れた鷹艶はやけに核心をついた推測をして、うーん、と首を捻った。
「い、いえ、恋というか…毎日お腹がいっぱいすぎて苦しいというか……」
「はあ、飯はいくら食っても食い過ぎってことはないと思うけど、それはなんかあれか?どっちかっつーとノロケ的な」
違います、と慌てて首を振ろうとしたところで、背後から「神導ー」と鷹艶を呼ぶ声がした。
「ちょっと待ってて」と真稀に言うと、黒いダブルジップのロングパーカーを翻して呼んでいる一団の方へと歩いて行く。
「この後メシ食いに行かね?」
「あー悪い。俺バイトだから」
「バイト?何やってんだよ」
「色々だよ。世界平和のために闘ったり罵ったり殴ったり殴ったり殴ったり…」
「なんだそれストリートファイターでもやってんのか」
「おう」と鷹艶がキレのあるシャドーボクシングをすると、「まじか」「なんだその動き」と笑い声がはじけて、場の空気が明るくなる。
唐突な編入生だったが、わずか数日でこの馴染み方である。
話をしているのは、鷹艶が他の講義で一緒の仲間だろうか。彼は平均より小柄なせいか、男子生徒とじゃれ合っていると微笑ましく見える。
しかしアルバイトかあ、と真稀は彼らの会話の内容を思った。
お金は、生きていくために必要なものだ。
衣食住の食に関しては、自分はなくても生きていける体かもしれないが、衣と住はおろそかにできない。
今はまだ母の遺してくれた金があるが、それもいつまで続くかわからない。
数日後にはあのアパートも引き払ってしまうので、今後月瀬の部屋を出ることになったときの保険のようなものも欲しいと思う。
そんなことを考えていると、鷹艶はさっさと話を切り上げると真稀の方へと戻ってきた。
「悪い、話の途中で」
「あっ、いえ、全然いいんですけど、鷹艶さんはアルバイトしてるんですね。なにか俺でもできそうなの知ってますか?」
「なんだ真稀、バイトしたいの?あーそうだな、俺もコネだけはたくさん持ってるけど、…トレジャーハンターの助手とかどう?」
それは特殊技能とかいるやつではないだろうか。
何をすればいいのか想像もつかない。
「えっと……あまり、特定の人と長い時間マンツーマンになるのはちょっと……ひ、人見知りなので」
特に人見知りではないが、マンツーマンは相手の人が自分に襲われる可能性があるので一応こう言っておく。
「駄目か。じゃあ事務仕事はどうだ?小間使いをするだけの簡単なお仕事とか。三食おやつ夜食に鑑賞専用だけど美少女付き。どう?」
「『小間使い』という仕事内容のファジィさと三食~夜食まで含まれている時間帯のブラックさがちょっと気になるような」
「意外に現実的だな。危機回避能力に優れているのは大変結構」
破顔した鷹艶に偉い偉いと頭を撫でられて苦笑した。
よほど頼りなく見えるのか、真稀を試すための冗談だったようだ。
「今すぐという話じゃないので…またお話聞かせてもらっていいですか?」
「もちろん真稀にならいつでも持てる良物件をご紹介するとも。あ、じゃあこれ俺の番号。何か困ったことがあったときは、いつでも連絡くれていいからな。ヤクザの愛人に手を出しちゃったときとか。俺がボコボコにしてきてやるから」
根本的には手を出した方が悪いような気がするのだが、何故被害者がボコボコにされるのか。
自分よりも小柄で細身な体から武闘派には見えないとはいえ鷹艶の瞳は無駄に真摯で、とりあえず本気であることは確かのようだ。
「そ、そんな困ったことになる予定は今のところないですが…頼りにしています」
少しだけ心が軽くなるのを感じた。
鷹艶は、絶対に言ったことを守ってくれるだろう、と。なぜかそんな確信をさせてしまう力強さがある。
「よしっ、んじゃ、なんか美味いもんでも食いにいくか!」
元気に宣言された言葉に、真稀は目を丸くした。
「えっ、アルバイトは?」
「あれ?本当だ」
「え?忘れて…?」
「…腹が減っては戦はできぬっていうだろ」
「はあ」
あーもう無理。腹減って死ぬ。と空腹を訴え始めた鷹艶だが、昼食を食べてからそれほど時間がたっているわけでもない。
不思議な人だな、と真稀は苦笑して、飲み物だけで良ければ付き合いますよと荷物をまとめ始めた。
鷹艶の二度目の昼食(?)に付き合った後、真稀はスーパーで食材を買い込む前に本屋に立ち寄った。
レパートリーを増やせたらと料理の本を買いにきたのだが、コミックやライトノベルなどが並ぶ一角でふと足を止める。
タイトルや帯に『転生』の二文字が多く目につく。
よく目につくので面白いのだろうかとそういうアオリのものを過去に何冊か読んだことはあった。
ずっと同じ内容の自分の夢ももしかして、などと思ってみたこともあるが、どちらの世界の『まさき』も状況を覆すような異能力を持っていない上に生きていくことがやっとの状態だ。
異世界で活躍するキャラクターを見ていると、自分の境遇が哀れに思えてきて、その馬鹿馬鹿しい想像は封印した。
フィクションは、やはりフィクションなのだ。
寝ぼけている時は、あれから『魔王』の管理する世界はどうなったのだろうなどと考えてしまうが、自分の夢なのだから別に考える必要もないわけで。
「(考えるなら、献立のことでも考えよう)」
真稀は何も手に取らず料理本のある方へと歩き出した。
もうすっかり暗くなった道に、吐く息が白い。
きんと冷きった夜の外気を顔に受け、まだまだ寒いなと首をすくめた。
目的地までそう距離があるわけではないが、腕にかかる重みは中々ずっしりとしていて、ちょっと買いすぎたかなと反省する。
真稀のアパートの部屋に置いてあった冷蔵庫は小さかったため買い置きも作り置きもできなかったが、月瀬のマンションのものは大きいのでつい食材を買いすぎてしまう。
もちろん無駄にしないようにきちんと使って食べきる算段はしながら買い物をしている。だが、キッチンの広さや器具の充実具合に浮かれている自覚はあった。
この生活に慣れたら駄目だと思うそばからこの体たらくかと戒める声が聞こえないわけではない。
「(甘えるのは良くないけど、家事の腕を振るうのは悪いことではない、はず)」
月瀬が控えめに口角を上げて「美味い」と言ってくれると、真稀は自分の存在を肯定できる。
「(ファミレス程度でいいけど、厨房の仕事とかしたいな…でもあれも割と閉ざされた空間にマンツーマンとかだよな…)」
先ほどの鷹艶とのアルバイトの話を思い浮かべながら歩いていると、マンションのエントランス前に月瀬の姿勢のいい後ろ姿が見えた。
真稀は目がいいのでそれなりに距離があってもそれが誰だかきちんと認識できる。
まだ六時前で、随分早いなと思いつつ、少しだけ歩速を上げようとした瞬間、月瀬が誰かと話しているということに気付き緊急停止する。
親しげに月瀬の肩を軽く叩くその朗らかな笑顔は、先程アルバイトに向かうと言って別れた鷹艶だった。
「(え……どう……して……?)」
鼓動が大きく音を立てる。
偶然?例えば鷹艶もこのマンションに住んでいるとか?あるいは月瀬と今日話していたアルバイトの関係で知り合いとか?
…それにしてもタイミングが出来すぎているような気がする。
なにより、鷹艶の楽しそうな様子と、月瀬はほぼ後ろを向いているので表情はわからないが、それでも雰囲気からして親しい間柄のように見えることが、真稀を混乱させていた。
一歩後ずさると、鷹艶と目が合ってしまい。
反射的に回れ右をして反対方向に歩き出す。
どうして逃げ出してしまったのか、自分でもわからなかった。
鷹艶は、何か言いかけていたように見えた。
一体、何を
「真稀ッ!」
月瀬の、
鋭い声が思いの外近くでしたのと、ドンッ、という鈍く大きい音は同時だった。
強く腕を引かれ、倒れこむとまた近くで音がして、至近のアスファルトに穴が空いた。
散らばる食材と眼前の月瀬を呆然と見上げる。
全てが唐突すぎて、思考が麻痺していた。
「鷹艶!まだか!」
頭上の月瀬が焦れたように吠えると、すぐに遠くから「とったど〜」という気の抜けた声が聞こえてきた。
ズルズルと何かを引きずる音が近づいてきて、月瀬は一つ息を吐くと起き上がり、真稀のことも助け起こす。
「ったく襲撃すんならもう少し時と場所を考えろっつーのよ、なあ?」
鷹艶の面倒臭そうな言葉と共にどさ、と放り出されたのは、ローブのようなコートのフードを目深に被った男だった。
完全に意識を失っているようで、ぐったりと横たわっている。
それを一瞥した月瀬はそこから真稀を遠ざけるように少し前に出ると、周囲を確認して鷹艶に指示を出す。
「さっさと車を回せ。目撃者が増えると厄介だ」
「一応隠形ってるけど俺そういうの苦手だから尻尾出てるかもなー。多分すぐ来るからちょい待ち」
呑気な言葉に月瀬が忌々しげにため息をつくと、振り返って立ち尽くしている真稀の服の汚れを丁寧に払ってくれる。
「大丈夫か真稀、怪我はないか?」
「あ、はい。だ、大丈夫です」
「ごめんな、びっくりしただろ。…だからこうなる前に話しとこうって言ったんだよ。一足遅かったけど」
ひょいと月瀬の後ろから鷹艶が申し訳なさそうに謝罪してくるが、あまりに自然体すぎてどういう反応をしたらいいのかわからない。
「あの…今のは…」
「とりあえず、戻るか。鷹艶、後のことは頼んだぞ」
「アイヨー。荷物は拾っとくからご安心を。…今度はちゃんと話しとけよ、つっきー」
鷹艶は月瀬にぐいと拳を押し付けると、不意に真剣な瞳で真稀を捉える。
「真稀、俺がお前に言ったことは全部本気だからな」
なんかあれば連絡しろ、と小さく耳打ちして、捕らえた男を引きずりつつ散らばった野菜を拾い集め始めた。
手伝った方が、と思ったが、月瀬に「行くぞ」と腕を取られ、半ば強引に連行された。
無言のまま月瀬の部屋まで戻り、リビングのソファに掛けるよう促されて素直に腰を下ろす。
向かい側に座った月瀬はネクタイを緩めるとまず頭を下げた。
「危険に晒してしまってすまなかった。…色々なことを、黙っていたことも」
「そ、そんな謝らないでください…!でも…聞かせてもらえたら嬉しいです。月瀬さんは一体…、」
「そうだな……、」
月瀬の仕事は、自分が人ではないと知っている真稀ですら驚くようなものだった。
一般的にはフィクションとされているが、確かに存在している霊や妖魔のような人ならざるもの。
世界にはそれを危険であるとして討滅する組織と、対話できるものもあるとして可能な限り共生しようとしている組織が存在していて、月瀬の所属する国立自然対策研究所は共生派であり、国立の名の通り非公開だが内閣に名を連ねる組織らしい。
討滅派と共生派は、その思想から相容れないながらも近代では連携をとることもあり、スポンサーである国や討滅派の組織との折衝、また実際に超自然的な事象が絡んだ事件が起こった際、鷹艶の率いる実働部隊を指揮することなどが月瀬の仕事なのだそうだ。
今回、真稀の母と真稀を狙ったのは、討滅派の中でも過激派とされる公ではない地下組織で、無差別にそれも一般の人の目につくのもお構いなしに『狩り』をすることでどちらの組織からも問題視されていた。
真稀の母の死で、その組織が日本で活動していることと真稀の存在が明るみに出て、保護するために動いてくれていたと言うのが顛末だったようだ。
「じゃあ、四年前から、ずっと…」
「まあずっとと言っても、ごく最近になって動きがありそうだという情報を入手するまでは君の様子を伺うくらいしかしていなかったが」
構成員なども不明なことから、動きがあるのを待つしかなく、結局囮のようになってしまったことを月瀬は真摯に詫びてくれた。
そんなことは気にしていないと、穏やかに否定した真稀の心には、ただ、納得と落胆が広がっていた。
それは、そうだよな。
月瀬の仕事について聞けなかったのは、聞いてはいけない…聞きたくないことだったからなのだ。
騙されたとか裏切られたとは思わない。
月瀬は、聞かれなかったから言わなかっただけなのだろう。
真稀の事情を聞いても驚かないはずだ。
仕事だったから、かわいそうな異形の存在を保護してくれたのだ。
そこに、真稀に対する好感が何もなかったとは思わない。
月瀬本人からもそう聞いていたし、義務以上のものを与えられていたと感じている。
…ただ、特別なことは何もなかったという事実が今は堪えた。
それを不満に思うことなど、それこそお門違いだと、真稀にもわかる。
けれどやはり理屈と感情はいつでも折り合えるものではなくて。
「(あんなによくしてもらって、仕事だったから悲しいなんて思う資格は俺にはないのに)」
どれほど自戒しても、特別を期待してしまっていたことを思い知らされた。
供給源になってくれるという申し出も、メインの目的はその地下組織からの保護だったのだろう。
本当に守りたかったのは、母だったんじゃないんですか
…などと聞くのはあまりにも自虐趣味が過ぎるだろうか。
とにかく、保護が主な目的だったのなら、もうあとは真稀が我儘を言わずに適当な同性の恋人でも作ればこれ以上月瀬を煩わせずに済む。
そっと正面に座る月瀬を見る。
上質な革張りのソファに姿勢良く座る彼は、落ち着いた光沢のある深いブルーのスーツを纏い、緩められたノットと先程自分をかばってくれた時に少し乱れた前髪が色気を加えていた。
かっこいいなあ、と改めて思う。
彼の一挙手一投足にそわそわしたり悩んだりしている自分とは全然違う、大人の人だ。
この先、討滅あるいは庇護されるべき狭間のものとしてしか生きていかれない自分にはあまりにも不相応で、どうして期待なんかできたのだろうと笑ってしまいそうにいなる。
幕を、引くべきなのだろう。
自分の気持ちに。
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