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8:気付けた、けれど

痛いような光と音の洪水。 歓楽街はどこも似ている。 建物の間からしか見えない狭い空と、どこか白々しさを感じるざわめき。 明るくて、昏くて、冷たくて、あたたかくて。 ここは真稀の母を育んだ場所だ。 「閉店」の案内が貼られた店の外壁にもたれた真稀は、道行く様々な人をぼんやり眺めながら、戻ってきてしまったな、と微かに口元に自嘲を刻んだ。 月瀬から真実を聞かされ、流石にもう夜に彼の部屋を訪れることはできなかった。 すぐにでも出て行きたかったが、何のあてもなく出て行けば月瀬が気遣ってくれてしまうだろうと思い、大学あたりで『新たな供給源(便宜上)』を物色しようとしたのだが、月瀬以外の誰かと、と考えるだけで嫌悪感が先に立ち、悩んでいるうちにすっかり空腹になって、無理にでも満たすしかなくなってしまったのだ。 鷹艶にはあれから大学では会っていない。 真稀を守るために月瀬に命じられて?いてくれたのだろうと思うので、わざわざ編入していたわけではないのだろう。 最後に会った時の真剣な表情を思い出し、何度か連絡を取ろうとしたが、鷹艶と月瀬がどの程度親しい間柄なのかわからない以上、彼にまで迷惑をかけることになりかねないのではないかと思うと通話ボタンを押すことはできなかった。 結局、切羽詰まった真稀はこうして懐かしい夜の街に立っている。 だが、ここまで来てもやはり一度限りの客をとることすら気が乗らず、母が生前勤めていた店を見に行ってみたりぶらぶらするだけだ。 建物は変わらずそこにあったが、店の名前は四年前と違うものになっていた。 経営者が変わったのだろうか、真稀にはそういうことがよくあることなのかどうかはよくわからないが、母の痕跡はもうここにはないのだ。 母は、自分で言った通り本当に自分の人生に満足だったのだろうか。 真稀が存在しているということは、父親がいるということで、それが月瀬かどうかはわからないが、母はどうしてその人と一緒にいられなかったのだろう。 今更ながらにもう少しでも聞いておけば良かったと思う。 この体質で、一人で子供を育てるなんて明らかに大変なことのはずなのに、産むという決断をしたのはよほど子供が欲しかったか、あるいは父親を愛していたかのどちらかだろう。 別段子供が好きな素振りも、また真稀に特別な執着があったようにも見えなかったので、後者なのではないかと思われるのだが、愛した相手と一緒にいられなかったのは特殊な体質のせいか、相手がそれを望まなかったからか…。 自分なら耐えられるだろうか。 思いが通じていない今ですら側にいられないことがこんなに辛いというのに。 側にいて触れてもらえるだけでもいいと、割り切ることすらできなかった。 今だって、切実な飢餓感はあるのに、欲しいのは、唯一人の―― その時不意に、シャッターから人の顔がにゅっと飛び出してきて、真稀はざっと後ずさった。 「………………っ」 生気のない顔をしたワイシャツ姿の中年男性はそのまま夜の街へと吸い込まれて行く。 その体は透けていて、他の誰の目にも止まっていないようだ。 びっくりした。 視えたのは、久しぶりだ。 自分が『視える』ことを忘れていたくらいだが、人ではないせいか、なんならそちらの方が近い存在だからか、真稀には小さい頃、幽霊や妖怪のような、人ではないものがたくさん見えていた。 友達と言えるほどの意思疎通があったかどうかはあまり覚えていない。ただ、ヒトの友達よりヒトではない友達の方が多かったと思う。 だがある日母親に見咎められ、「私達は姿を消すことはできない以上ヒトとして生きていくしかないの。だから、見えないお友達と遊ぶのはやめなさい」と諭されてからはそれに従い、やがて彼らは見えなくなっていた。 それを皮切りに、あれ、と目を凝らすと、所々に人ならざる存在が見えるようになっている。 ヒトの欲望の集う場所には、彼らもまた多く集まってくるのだ。 突然襲いかかってくるようなものはほとんどいないのでそう怖くはないが、色々なことがわかるようになってから見ると、流石に少し不気味だ。 「(いよいよ…ヒトじゃなくなってきたってこと…なのかな)」 不可視になれたら楽かな、なんて思ってはみるが、ヒトに仇為す存在にはなりたくない。 今更だろうか。 妖魔の討滅を掲げる組織にターゲットにされているのだから、自分はやはりもうヒトではないのかもしれない。 自嘲が漏れると、今度は体の奥から湧き上がってくる熱に肩が震えた。 いい加減、嫌でも誰か見繕わないと、月瀬が帰宅してしまう。 遅くなるかもしれないという連絡が入ったのでこうして出てきたが、真稀の方は外出の理由を思いつけずに不在だという連絡はしていない。 今の状態で会えば、もちろん元の木阿弥だろう。 「(好き嫌いを言ってる場合じゃないよな)」 それなりにこういうことに慣れていそうな人間が見つかれば、真稀の持つ力で軽くその気にさせるだけで食事にはありつけるだろう。 その見分け方は大体わかっていた。 応じてくれる人は大体、暗い、のだ。 性格や表情ではない。何なら表面的には明るい、軽い調子なのだが、どことはうまく言えないけれどもとにかくどこかが暗い。 真稀はその暗さに潜り込むようにして、声をかければいい。 すぐに声をかけられそうな相手を見つけて、すいと近づくと「あの」控えめに男の袖を引いた。 振り返った男は、ちらりと赤みを帯びた真稀の目を見てすぐに「お小遣い?」といやらしく笑う。 自分で力まで使って誘惑しておいて何だが、生理的嫌悪感を覚えて胃の辺りがひやりとする。 だがそんな我儘も言っていられないと腹をくくって「あっちで…」と誘導しかけた、 「真稀」 その手首を、ぐっと掴まれる。 驚いて、だが視線を向けるよりも先に声で誰だかわかった。 「つ、」 「何だお前」 その気になりかけていたところに水を差された男が険をたっぷり含んだ視線を向けるが、受ける方は意にも介さない。 「この子の保護者だが」 警察を呼んでもいい、とスマートフォンを取り出した月瀬を見て、男は「ふざけんなよ」と悪態をつきながら去っていった。 掴まれた腕と、掴んでいる男を交互に見、真稀は混乱したまま呆然と聞いた。 「月瀬さん、どうして…」 「どうして?それは、私の台詞では?」 「っ……………」 怒っている。 怒りの気配と鋭い眼差しに竦んでしまった。 「君がこの場所にいる理由の説明を必要としているのは、私だ。戻ってきちんと話し合いを」 連れ戻されそうになり、ぐっと足に力を入れて抵抗する。 こんな時なのに、怒らせて、嫌われてしまったかと怖くて、…それなのに掴む手の熱さが、正気をさらいそうで。 本当にそんな自分が嫌になる。 もう、同じことを繰り返したくない。 「お、俺はやっぱり……月瀬さんと一緒に住むことは…できないです……!」 結局、穏やかに身を引こうなどと、できるわけがなかった。 衝動的に告げた言葉に、月瀬の足が、止まる。 「……………それはやはり、私が自分で言いだした、ただの供給源としての領分を超える行為をしてしまったからだろうか」 「えぇっ?いえ、そ、それは全然いいんですけど」 「では君を危険に晒してしまった、不手際に不安を感じてのことか?」 「ち、ちがいます…!」 好意と履き違えそうで辛かったのは確かだが、月瀬に落ち度などあろうはずもない。 「月瀬さんは、悪くなくて、…俺が…貴方のことを好きになってしまったから……です」 悪いのは、不相応な想いを抱いてしまう真稀だ。 優しい手を待ち望み、厳しい眼差しがふっと和らぐ瞬間を、ずっと見ていたいと思ってしまう。 たっぷりとした間があって、沈黙に耐えられなくなった真稀が恐る恐る足元に落としていた視線を上げると月瀬が虚を付かれたような顔をしていたので、今すぐこの手を振り払って逃げ出したいくらいいたたまれなくなる。 腕を掴んだまま固まっている二人にちらちらと向けられる視線が気になるようになった時、月瀬がようやく絞り出すようにして口を開いた。 「……すまないが、それで何故一緒に住めないという結論に至ったのか詳しく説明してくれないだろうか」 「そ、そんなこと……」 いくらなんでもそれくらいは察してほしい。 「望みのない相手の側にいるのは、月瀬さんだったら辛くないんですか?」 「望みのない…?待ってくれ、君は私の下心に付け込むことにしたのではなかったのか?」 「は?下……心?」 何を言われているのかわからない。 聞き間違いだろうか。 付け込む?それではまるで月瀬が真稀を―― その時、突然バサバサっ…と大きな羽音がして、思わず首を竦めると、黒い羽根がはら、はらりと舞った。 驚いて狭い空へと視線を向けた先にいたのは、大きな鴉だ。 よく見ると足が三本あって…、これもやはりこの世のものではないようだ。 「(なんだっけ…神社とかでこんなの……ヤタ…ガラス?)」 妖怪というよりは神使の類か。だが、神もまた魔に堕ちることもあるので真稀にはこの鴉の正邪の区別はつかなかった。 ガア、と一鳴きしたその声が、聞こえた気がした。 ニゲロ ニゲロ カリュウドガ クルゾ 「(逃げろ?狩人?)」 どういうことだろう。 「(まさか、例の地下組織が、まだ?)」 一人捕らえられたことで終わったことと思ってしまったが、よく考えてみれば『組織』なのだから複数のはずだ。 いや、だがそもそも、今本当にこの鴉はそんなことを言っていたのか。 既にその鳴き声はガアガアとしか聞こえず、問いかけようとすれば来た時と同様、大きな羽音と共に消えてしまった。 「…真稀?」 訝し気な月瀬の声で、ふっとチャンネルが切り替わったような感覚があり、見えざるものを見ていたのだと知る。 「月瀬さん、今の……」 見えていたかと聞こうとして、何かゾッとするような気配を感じた瞬間。 唐突に腕を掴まれ、月瀬に抱き込まれる。 「ッ………」 ガン、と乾いた音が離れた場所でしたかと思うと、密着した体が振動した。 「つきせ、さん?」 強張った体がゆっくりと沈んで、抱き込まれている真稀も自然と膝をつく。 呆然と見遣った音の余韻の先には、銃口を向けたローブの男が。 撃たれた? こんな、人の沢山いるところで。 だけど、そうだ。場所構わずのハンティングが問題になっていると、月瀬がそう言っていたじゃないか。 ドクン、と鼓動が大きく音を立てた。 撃たれた。 月瀬が。 ――ちがう。 こんな、けつまつを、おれは、 *** 「命の重さは知っています、おれは、みんなが、あなたが、笑っているところが見たい」 『マサキ』は、必死だった。 ここは、世界の中心だという。 自分は、ここで人柱になり、この世界を救うために生まれてきたのだから。 「あなたにこそ、生きて欲しいんです」 だから捧げる。 生きろと、言ってくれた人のために。 「よせ…、やめろ、マサキ!」 のばされた手を振り払い、『コア』めがけて飛び込んだ。 ――失わせることで更なる絶望を呼び寄せるなんて、考えもせずに。 *** ――ああ、そうだったのか。 失うって、

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