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第8話 ケーキ
その日から晴の頭の中はケーキの事で一杯になった。精一杯の力で製菓の短大で学んで得た知識を、フルに活用した新たなメニューを作るべくケーキ作りを重ねた。
「マスター、随分と新作ケーキに熱を入れているんですね」
お店でのお客さんの流れが切れた時、ここ最近晴がサービスで常連に出しているケーキを一番楽しみにしている雫は晴の前で瞳を輝かせていた。
「うん。雫くん、今凄く作りたい気分なんだ」
「そうなんですね。僕、完成をとても楽しみにしているんです」
カウンターにいる晴の前を陣取り、好きなものを語る時にだけ見せる満面の笑みでトレイを抱きしめている姿を見て、晴は優しく微笑んだ。
「ありがとう、何にするか楽しみにしててね。それまでは内緒だよ」
「えっ!今まで食べたケーキは試作じゃないんですか?」
「あぁ、それは僕の腕試しの為に作ってきたケーキだからね」
「うわ~。ますます楽しみです」
雫の笑みにも力を貰った晴は、睦月に最高の瞬間を味わってもらうために気持ちを新たにしていた。
雫と話した時から1週間後の金曜日、納得のいくケーキが出来た晴はその夜に睦月来てもらうために出来上がったケーキを前にメールを睦月に送った。自信に満ちた笑顔が零れる。
ー今夜、新作ケーキを食べに来ない?
晴は睦月からメールが来たあの日から携帯を持ち歩くようになっていた。
その日1日ソワソワして何度も確認をした返事は、カフェが終わる時間になっても帰って来ることはなかった。
お店が終わり雫も帰った晴は、電気を最小限に抑えたカフェのカウンターに座り携帯とにらめっこしていた。
(そういえば僕って睦月の事ほとんど知らないよな~)
カウンターに頬杖を突いてため息が零れた。
(なんだか始まりがいきなり濃厚だったからか、凄く知ってる気になっていたな)
晴は睦月があの広い部屋に1人で住んでいること、年齢が32才だということ以外知らない。今さらながらに驚愕していた。同じくらい自分の事を話していない事も。
今までの晴は簡単に人を信用せず、距離を取ってだんだんと近づき仲を深めて行くのが晴の人との付き合い方だった。一夜限りの相手は別として。
(これはゲイをカミングアウトして初めて出来た知り合いだからかな~)
「ふぅ~、来ない返事を待つって光輝以来かも……」
知らず知らず独り言が零れる。自分で言っておいて、苦笑いが浮かんだ。
12年という時が流れたのにその時に感じた感覚は晴の中から消える事はない。その場所に引き戻されてしまう感覚があるのだ。だからといって光輝に気持ちがまだ残っていると言うわけではない、晴にとって光輝はすでに過去の人だった。
カフェで待つのを諦めて晴が2階の部屋に戻った時には10時になろうとしていた。それから1時間、食事を取らずベットに横になっていた。
(僕ってなんで睦月から返事が直ぐに来るのは当たり前だって思ってたのかな?そんな関係でもないのに)
部屋には晴のため息だけが満ちていた。そんな時、晴の携帯から着信を知らせるメロディーが流れた。晴は直ぐに対応出来るように肌身離さずもっていた携帯を、画面の確認もせずに通話をオンにした。
「はい、もしもし?」
『悪い遅くに。朝のメールに返事が出来なくて悪かった。』
「睦月?……大丈夫、心配しないで僕も全く連絡してなかったのにいきなりメールしてごめんね」
晴は身体を起こして話し出した。声は少し沈んでいた。
『晴は悪くない。せっかくメールくれてたのに、今日に限って携帯を持っていくのを忘れたんだ』
「えっ、睦月が忘れ物?なんだか信じられない」
『俺を完璧な人間だとでも思っていたのか?』
「はは、ごめん、そうかもしれない」
あんなに曇っていた晴の顔に笑顔がもどっていた。言葉にも力が戻っていた。
『ケーキ、完成したのか?』
「うん」
『くそっ!食べたかった』
「本当にケーキが好きなんだね~。睦月は」
『いや、ケーキだけじゃないぞ、甘いものなら何でも好きだ』
「すごっ!」
ベットからラグに降りた晴は寛いだ格好でクッションを抱きしめながら会話を楽しんだ。
『別に凄くないと思うけどな』
「う~ん、そうか、僕の出た専門学校にもそういえば居たな~」
『専門学校?大学は行かずに専門に行ったのか?』
「違うよ、社会人になってから行き直した。睦月は?」
『俺は普通に大学に行って就職した』
「なんの仕事してるの?」
『秘書だ』
「えっ、秘書って携帯なくて良いの?」
『仕事用は持ってた』
「えっ!じゃ、2つの携帯持っているの?」
『あぁ』
「凄いね~」
『なぁ、晴、明日もう一度ケーキ用意できないか?』
「明日?」
『明日ならお店が終わる頃に行けると思うから、その新作、食べさせてくれないか?』
「もちろん!作るよ」
『ありがとう。じゃ、明日行くから』
「うん。待ってる」
『じゃあ、明日』
「うん。またね」
通話を切った晴はやっと夕食も食べていないことを思い出した。食事の代わりに下のカフェからケーキを部屋に持ってきて、出来栄えの確認を込めて頬張った。睦月に負けず劣らず甘いものが好きな晴だ。
「うん、美味しい」
それは満足出来る味で、満面の笑みになる。これを食べて貰えなかったのは悔しいと思いながら、明日はもっと美味しく作ろうと思う晴だった。
そして睦月の声を聞き、彼のもたらした安心感に包まれて、その夜は安らかな眠りについた。
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