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第23話 傷と過去の話
数時間前まで過ごしていた睦月の部屋に晴は戻って来ていた。着替えもあるし、このまま部屋に居てもなんら不自由はなかった。
「晴、お風呂の用意出来たぞ」
「ありがとう」
振り替えると、いつもの悪戯っ子の顔の睦月がいた。その顔に嫌な予感が晴の背中に走った。
「一緒に入るつもり?」
「もちろん、その手じゃ流せないだろ?あっ、お前変な事考えただろ。今日は何もするつもりはないぞ。軽く汗を流すだけだ」
図星に晴の顔は真っ赤になった。それに、『今日』と強調された言葉に顔の火照りはなかなか引かなかった。
手をビニール袋でお湯が掛からないようにされて、睦月の言葉の通り晴は身体を洗われた。その手つきはあっさりしていて、先程の悪戯っ子の顔が嘘のようだった。
呆気なく身体を洗われた晴は、その夜、睦月のキングサイズのベットで抱き締められて眠りに落ちた。外には冷たい風が吹き窓を叩いているが、心も身体も暖かい夜に夢も見ない夜を迎えた。
翌日、睦月に付添われて整形外科に行った晴の診断は全治1週間だった。治療は創傷被覆材の包帯を傷に巻くだけ。それだけだが、端から見れば両手に包帯は大袈裟に見えるかもしれない。
ただ1つここで大きな問題が起こった。飲食店を経営する晴にとっては手のケガは大きな痛手だった。手の傷から食中毒を出す事を防ぐ為に1週間はカフェを開ける事が出来ないのだ。
睦月の部屋に戻り、雫と類に1週間休む旨をソファーに座り連絡を入れると、なんだか気の抜けた様な気がした。
「1週間か~。お店を始めてからこんなに休むのは初めてかもしれない」
「すまない、俺の」
頭を下げようとする睦月を制して言葉を続けた。
「これは僕に、休憩するように神様がくれた時間なんだよ。だから睦月は気にしないで。ね」
「晴……お前は優しすぎる」
そう言うと晴の頬を両手で包む様にした睦月が晴の前で膝立ちになって額を合わせて来た。
「そんなお前がいつも心配になる」
「睦月…」
額に当てていた顔を睦月は離すと、口を開いた。
「昨日のアイツの事も聞いて来ないし、それに手紙が来ていたなんて俺は聞いてないぞ?俺の為に黙っていたのか?」
「睦月の為じゃないよ。全部自分の為だよ。睦月は僕のモノだって信じているからだよ」
晴は自然に微笑んでいた。その笑顔を見た睦月は、眩しいものを見るように目を細めた。
「晴、昔の俺の事を聞いてくれるか?」
「もちろんだよ。なら僕の話も聞いてくれる?」
「あぁ、なんでも聞く。じゃあ俺からな」
そう言って晴の横に座ると話を始めた。前屈みになり両膝に肘をつき、手を組むと話を始めた。
「俺はお前に出会う前までは最低な奴だった。相手を1人に決める事をしなかった……」
どこか自嘲的に笑う睦月がいた。
「大学4年の夏、両親と妹がアメリカの旅行先で交通事故で亡くなった。本当は俺も行くはずだった。だけど家族より友達との時間を優先した俺は1人この家に残された」
睦月の言葉に晴は思わず痛む手で睦月の腕を掴んでいた。
「晴?手が痛むだろ?そんなに力を入れたら」
そう言って睦月は優しく晴の手を腕から離すと、淋しげに笑った。こんな時に怪我をしたのが手なのが晴は悔しかった。少し震えている睦月の手を握ってあげたかった。だから力を入れずに大きな手を両手で包みこんだ。
「全てのするべき事が終わっても俺は泣けなかった。この家には家族の気配が濃厚で、堪らず売ることも考えた。だけど、この気配が俺を罰しているようでそれすらも出来なかった。それからは夜の世界に入り浸る事も多くなった」
その時を思い出しているのか遠い目を睦月はしていた。
「そんな生活をしていたある時、気が付いたら病院のベットの上だったよ。過労だった。家に帰るとやっと俺は泣いた。知らない間に季節も流れて両親と妹の気配も薄くなり始めてた。それが堪らないほど悲しかった」
堪らずに晴は睦月に抱きついた。まるで睦月が消えてしまいそうだと感じたからだ。その時の睦月の側に居たかったと心から晴は思った。
「ありがとう、晴。このままで聞いてくれるか?」
うんうんと抱きついたまま、晴は無言で頷いていた。
「それからの俺は幸せになりたい気持ちはあってもどこかそれを避けて生きてきた。ただ仕事をして、気が向いたら夜の街に行く。そんな生活を繰り返していたら亮に言われたみたいに、誰のものにもならない男になってた。けどそんな愛ってものを忘れていた俺にお前がそれを思い出させてくれたんだ。お前の側は心地が良い。離したくない」
抱き締められる身体に回る腕に、強く力が込められて晴は、最低だとは思えなかった。ただ自分と一緒で愛に迷子になっていただけだ。
「ありがとう、話してくれて。今度は僕の番だね」
晴はゆっくりと家族と自分の関係や、隆二と光輝の事を睦月に話して聞かせた。
その夜お互いを求め合った晴と睦月は優しく、優しく抱き合った。晴が睦月を、そして睦月が晴を包み込んだ。そこにはただ純粋な愛があった。
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