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第11話 狐にしか分からない1

出張という名の研修から、早や2週間が過ぎた。 今回の新商品は、開発から力を入れてきたようで、売り込みも大々的だ。ネット広告やCM、不気味に笑う俳優の販促品も用意されている。女性に人気の若手俳優は、目つきが狼にどことなく似ていて俺は苦手であった。 「はぁ……」 分厚い販売マニュアルと商品の説明を熟読しながら、大きなため息を吐く。 下線は手当り次第引いてある。なのに、何回読んでも頭へ入ってこない。とにかく操作が複雑になっていて、使うだけでも大変そうな機械をレクチャーしなくてはならないのだ。 人間は、一体どこをどうやったら複合機とやらに魅力を感じるのか。 狐人間には見ることすらない精密機械だ。 うちの会社は業界第2位であり、そこそこ大きい。企業力もあるため、展示会とやらに参加して、マスコミにアピールするのである。新聞や雑誌にも勿論、テレビ、ネットにも莫大な広告費を使う。すでに沢山の問い合わせをいただいており、上層部はウハウハだそうだ。  まだまだ企業のお偉いさんは年配が多い。ネットより紙媒体なのか、そういう方面の宣伝に力を入れている。 「木ノ下さん、ちゃんと売れるか心配です」 『コンパクトな複合機』のパンフレットの裏側に事務所のゴム印を押しながら、俺は木ノ下さんに話し掛けた。明後日は大きな会場で企業展がある。その準備に営業部員が追われていた。 「売れるかどうかは、狛崎個人の問題ではないだろう。商品の良さを伝えるのがお前の仕事であって、買うかを決めるのは客だし、売れたかを判断するのは会社だ。お前は、やれるべきことだけをやってろ。心配ばかりしていたら、売れるもんも売れなくなる」  木ノ下さん曰く、『営業成績のための必死オーラ』を出したら最後、客は自然と遠のいていくのだそうだ。商品をどれだけ自分目線で勧められるかが鍵なんだと、額を小突かれた。 「へえ…………そう、なんですか…………」  俺は、小突かれた額を抑えて、何も感じていないふりをする。本当は心臓がバクバクしてて、触られたところが熱くなっているのを、自然に流した。  木ノ下さんは前よりも優しくなった。心配性の親みたいに、俺のことをチェックする。おかしな様子があれば、すぐ聞いてくる。子供でもあるまいし、そんなことをされると反応に困る、けど嫌じゃない。むしろ嬉しい。    ふと出張初日の朝を思い出す。俺のベッドで一緒に寝ていた時は、驚きで心臓が止まりそうだった。カーテンの隙間から漏れる朝日に照らされた木ノ下さんの寝顔が、余りにも安らかだったので、生きているか不安になったくらいだ。 予想もしなかった出来事に、一瞬で狐化してしまった。熟睡していた木ノ下さんには気付かれなかったけれども、あってはならない狐化である。慌てて尻尾を仕舞った。 (また木ノ下さんと出張に行けたらいいな……)  横目で木ノ下さんを観察する。週末に切った髪が、数日経って馴染んできている。木ノ下さんを観察する行為は、俺のライフワークである。今日も変わらず男前だ。

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