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2-回想

日が沈む。 夕日で茜色に染まっていた住宅街に夜が降りる。 カラスの翼も影法師も宵の暗がりに呑まれてあやふやになり、冷え冷えとしていた風に吹かれて家々の庭の草木が囁きを交わす。 住宅街の外れにある児童公園ではブランコの軋む音がしていた。 「君、おうちに帰らないの?」 ブランコを一人漕いでいた少年はびっくりして、いつの間に自分の背後に立っていた男を仰ぎ見た。 大きな瞳は怖々と見開かれていた。 外灯に照らされた白い滑らかな頬は夕方の秋風を一心に浴びて冷たくなっている。 少女と見紛うくらいに瑞々しい容貌をした少年だった。 「おうち、送ってあげるよ」 ブランコの鎖を握っていた小さな手を強引に掴んで立ち上がらせるなり、男は少年を公園の出入り口へと引っ張った。 少年は驚きと恐怖に射竦められてどうすることもできず、されるがままだ。 今にも縺れそうな足取りで平らな砂地を足早に歩かされる。 公園から道路へ後数歩のところで、その声は突然静けさを破って薄暗い付近一帯に響いた。 「狭霧!!」 名を呼ばれた少年はかろうじて振り返り、公園を取り囲むフェンスにしがみついた彼を見つけた。 「楓」 「お前何してるんだよ」 フェンスの向こうで彼が大きな声を上げる。 男は慌て、きつく掴んでいたか細い左手首を離すと公園から駆け足で去って行った。 取り残された少年は、狭霧は、手首の痛みを感じるのもままならず、胸の奥の速すぎる動悸に目が回りそうになっていた。 軽い身のこなしでフェンスをよじ登って砂地に着地した楓昌人(かえでまさと)は、大股でブランコのそばを通り過ぎ、滑り台の階段横で硬直していた狭霧の前に立った。 「帰るぞ」 楓は、身動き一つしない狭霧の手首を握ろうとした。 「痛、い」 楓に触られて狭霧はやっと痛みを実感し、顔を顰めた。 急に湧き出した涙が次から次に鼻筋を伝って下顎へと滴り落ちていく。 悪戯な風に撫でられて頬の冷たさがどんどん増していく。 小学校の低学年にしては鋭い三重の双眸を細めると、楓は、しゃくり上げる狭霧へ手を伸ばした。 「これなら痛くないだろ」 利き手ではない左手で狭霧の右手をとり、ゆっくり歩き出す。 自然と足が前に出、楓に連れられて狭霧も外灯に照らし出された住宅街へと進んだ。 空地の茂みでは秋の虫が盛んに羽を震わせて玲瓏たる音色を紡いでいた。 カーブミラーは西の方角に滲む太陽の名残まで写し出し、まるで異世界への入り口のような妖しさを漂わせている。 涙は止まらなかったが、狭霧は、もう怖くなかった。 すぐ前にある楓の背中と掌で繋がる熱に心から安心しきっていた。

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