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狭霧と楓は幼馴染みだった。
同じ住宅街に住み、幼稚園も一緒だった二人は小学校にもほぼ毎日並んで登下校していた。
一日中行動を共にしているわけではないが、放課後はそれぞれ互いの家に遊びに行ったり、遠足や運動会といった行事の際は自然と寄り添い合った。
稀に狭霧は少女じみた容貌が災いして怖い思いをすることがあった。
そんなとき、決まって狭霧を守ってくれたのが楓だった。
クラスの中でも一番のしっかり者、リーダー的存在で大人びた友達に依存していると言っても過言ではなかった。
低学年の頃に起こった秋宵の公園での出来事は最も強く印象に残っていて、あの日以来、狭霧は絶対の信頼を楓に寄せていたのだ。
しかし、突然、何の前触れもなく楓は狭霧から離れていった。
「楓、また彼女変えたのかよ」
二学期初めの爽やかな風がカーテンを揺らす中、騒々しい朝の教室で狭霧はその台詞だけを耳聡く聞き分けた。
「何で中二のクセに高校生から告白されるんだよ?」
「な、今度合コン開いて」
ちらりと横目で窺ってみれば窓際で数人のクラスメートに囲まれている楓の姿があった。
中学生になった狭霧は身長が大分伸びたにもかかわらず未だに少女に見間違われることがある。
雰囲気や顔立ちは小学校の頃と大して変わっていないのだと、つくづく思い知らされる日々だった。
楓は170センチを越す背丈、学年でも一際運動能力の高い生徒だった。
面倒臭いという理由のみで様々な運動部からの勧誘を断り、おかげで同性の上級生からは目をつけられ、反対に同級生や後輩の男女には結構な人気があった。
目許にかかる少し長めの前髪が中学生らしからぬ双眸の鋭さを和らげており、褐色の肌は見るからに滑々としていた。
近隣に構える女子高の生徒からの評判もいいらしい。
どこにいても人の目を惹きつける存在であるのは確かだった。
隣にいたクラスメートに冗談を言われて楓は声を立てずに笑い、狭霧は顔を背け、読んでいた文庫本に視線を戻した。
何故、急に嫌われてしまったんだろう。
狭霧にはいつまで経ってもわからない疑問だった。
小学校の高学年に進級し、クラスが別れて、まず登下校を共にしなくなった。
いつの間にか露骨に避けられるようになり、行事のある日も同様で、二人の距離は明らかに広がっていった。
理由を聞きたくても会いに行くと避けられる。
狭霧は悲しかったが、楓に無言で強いられた距離を仕方なく受け入れた。
友達のグループはふとした拍子で変わるものだ。
だけど、俺と楓は幼馴染みで、楓はどんなときも守ってくれたから、いつまでも一緒にいられると思っていた。
でもそれは俺だけの思い込みだったみたいだ。
指定の中学校に上がっても状況は変わらなかった。
距離を受け入れていた狭霧は彼に話しかけず、楓の方は狭霧と目を合わせようともせず、こうして同じクラスになっても二人の間には何気ない挨拶すら皆無だった。
だが、楓の声がする度に集中力は乱されて小説の文字は歪み、狭霧は気にせずにはいられなかった。
楓が気に入らない真似を無意識にしてしまったのだろうか?
自分でも知らずに君を傷つけた?
もうこの距離が狭まることはないかもしれない。
だけどせめて理由を知りたい。
教室の片隅で聞き慣れた喧騒に一つ、狭霧はため息を紛れ込ませるのだった。
図書委員の狭霧は週に二度、図書館で放課後の受付を担当していた。
旧館の片隅に位置する図書室は古くさい板張りの床で書棚の塗装は剥げ落ちるなどし、足元に敷かれたマットも随所の染みが相当目立っていた。
建て直すべきだという意見も保護者間では相次いでいるらしい。
狭霧にとっては校内で一番気に入っている場所だった。
窓から覗く椿などの常緑樹に彩られた中庭の景色も好きで、今は生徒がちらほら下校している時間帯であり、会話まではわからないがそれぞれの表情を観察するのは面白かった。
カウンターに返却されていた本を棚に戻すため、狭霧は重たい本を数冊抱えて図書室の奥へ向かった。
「狭霧君」
窓際の棚に本を仕舞っていたら肩を叩かれ、聞き覚えのある声色に狭霧は反射的に身構えて振り向いた。
背後に立っていたのは狭霧が現在授業を欠席してばかりにいる化学の教師だった。
彼は連続する欠席について話したいことがあるからと、受付が終わったら実験室に来るよう狭霧に命令した。
強張った表情でいた狭霧は彼が去ると肩で息をつき、胸元できつく抱きしめていた本を棚に戻そうとした。
指先の震えが邪魔をして本はなかなか元の場所に収まってくれなかった。
シャツの第三ボタンまで強引に外されたところで狭霧は全力の抵抗を試みた。
吐き気を催す耐えられない屈辱から何とか必死に逃れた。
「まだ話は終わっていない!」
人気のない廊下に飛び出した狭霧は、怒号と共に容赦ない力で腕を掴まれて再び実験室へ連れ込まれそうになった。
しかし不意に教師の力が弱まった。
次に狭霧の腕を離し、罰の悪そうな顔で「行っていい」と言い捨てると実験室にそそくさと退散した。
呆然としている狭霧の視線の先には楓がいた。
切れた蛍光灯の下、仄暗い廊下に佇んでいた幼馴染みは狭霧に言った。
「帰るぞ、狭霧」
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