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狭霧は目を見開かせた。 踵を返した楓はそのまま旧館一階の廊下を突き進んでいく。 狭霧も慌てて楓の後を追った。 彼の背後まで駆け寄って速度を落とし、置き去りにされないよう足早となって久し振りに間近にする幼馴染みの背中を見つめた。 昔と比べると楓の背中は大きくて、身長差も増して、歩幅も違っていた。 肩の幅だって違う。 だけどこの感じは昔と同じだ。 もしかしたら、今なら、俺に教えてくれる? 「楓」 狭霧は目の前の背中に声を振り絞った。 立ち止まった楓は肩越しに狭霧を見下ろした。 狭霧の期待を裏切る、今までに見た覚えのない、獰猛な目つきだった。 「お前あいつに何かされたのか」 楓の目に圧倒されていた狭霧は益々動揺した。 肌蹴ていたシャツの襟元を片手でぎこちなく重ね合わせ、つい、言葉を濁した。 「あ、ううん、何もーー」 楓の手が荒々しく伸びた。 驚いた狭霧を壁際に有無を言わさず追いやり、両腕で逃げ場を塞ぐと、彼はまた驚きの行動に出た。 乾いた唇を薄赤い唇に隙間なく密着させてお互いの呼吸を封じた。 キスされてる。 狭霧は予想もしていなかった展開に動揺するばかりだ。 スクールバッグが肩からずれ落ちても身じろぎすらできずにいた。 生徒の笑い声が校舎のどこか遠くで響く。 楓は繋げていた唇を解くと至近距離から狭霧を見下ろした。 「楓?」 わけがわからない狭霧は切れ長な双眸を何度も瞬かせた。 「どうして? 何で、こんなこと……」 離れた途端、楓の唇の感触が却って狭霧の皮膚の上で鮮明になった。 白い頬がみるみる紅潮していき、狭霧は思わず楓から顔を背けた。 癖のない髪がサラリと靡いて赤くなった耳たぶを覗かせる。 長く繊細な睫毛が小刻みに痙攣した。 「あ、楓……」 廊下に落ちたバッグを拾う暇もなく、狭霧は、楓に手を取られてその場から引き離された。 連れて行かれた先は二階の、今は体育祭や文化祭の用具置き場に宛がわれている無人の教室であった。 そこで先程以上に暴力的なキスをされ、わけがわからないまま、狭霧は楓にのしかかられた。 耐え難い苦痛と徒労の連続だった。 「あ……ッ」 狭霧は体内を行き交う楓の隆起を痛感せずにはいられなかった。 「んっ……っ……あ……はぁ……っ」 総革張りのソファに爪を立てて狭霧は耐えた。 腰を支える楓の掌が熱く、制服のベストとシャツに覆われた上半身は汗に塗れて不快極まりない。 湿った髪は頬や額に張りつき、切なげに捩れた狭霧の表情を際立たせ、口角から零れた唾液は下顎をしとどに濡らしていた。 セーターを着込んだままの楓は、どれだけ狭霧の奥深くに到達できるかを探るように、激しい動きで幾度となく彼を貫く。 正面に回された手で濡れそぼつ場所を握り込まれ、狭霧は、過敏に打ち震えた。 「すげぇ濡れてる、お前の」 狭霧の白い尻丘の狭間は楓がすでに放った白濁で濡れ渡っていた。 混ざり合う粘液によって余計に生々しい音が生じ、薄闇に沈んだリビングの静寂を震わせる。 上擦った嬌声も数を増して静けさに絡みついた。 「あ……っやだ、いや……っ」 楓はペースを考えない速度で狭霧をしごき立てた。 華奢な腰が駄々をこねるようにくねり、さらなる締めつけと快感を楓に及ぼす。 中学三年生に進級しても弱肉強食を匂わせるこの関係は終わりを迎えなかった。 放課後に会う場合は必ず楓の自宅で、楓は明かりを点ける一瞬も惜しみ、このソファの上で有り余る性欲を狭霧に叩きつけていた。 幼少の頃から父子家庭であり、会社勤めの父親の帰宅は八時を過ぎる。下校してそれまでの数時間、狭霧は楓の下にい続ける。 「あ……!」 抉るように突き動かされて狭霧は咽び泣いた、前後を辛辣に攻め立てる楓の振舞は傲慢以外の何物でもなく、独裁的で、身勝手な行為に流されて狭霧はやむなく彼に従っていた。 行為が終われば楓は狭霧をリビングに残し、二階の自室へ引っ込む。 狭霧は服装を整えて自分が汚した後を拭い去り、自宅へ帰る。 去年のあの日もそうだった。 学校で楓の肉欲を初めて目の当たりにした日、未経験の痛みに耐え兼ねて涙した狭霧を残し、楓は教室を後にした。 翌日、腰の鈍痛を堪え登校してみると、教室には普段通りの楓がいた。 昨日の出来事など忘れ去った態度で、狭霧と目を合わせようともしないで、クラスメートと笑い合っていた。 学校が終わり、家路についた狭霧は、自宅付近で待ち構えていた楓に無言で彼の家へと引き摺り込まれた。 その日以来この関係は続いている。 小学生の時分から引き摺ってきた疑問は解決されるどころかより複雑となって狭霧を苦しめていた。 「忘れよう、全部」 ある日、いつもと変わらないセックスが済んだ後、楓は素っ気ない口ぶりで狭霧に告げた。 「俺、来月の卒業式が終わったら引っ越すんだ」 凍てついた冬の隙間風が吹き込む玄関口、扉に片手を寄り添わせている狭霧を前にして楓は続けた。 「お互い、忘れよう、全部。取るに足らない思い出みたいな感じで。こんなものに縛られたら昨日見た夢まで引き摺らなきゃならなくなる」 楓は笑った。 狭霧はポツリと別れの言葉を述べ、彼の家を去り、蕭然とした夜道に降り立った。 近くの軒先で猫が鳴いている。 月齢十五の月にはない酷薄さと妖しさを秘めた三日月が西の彼方に浮かんでいた。 狭霧は楓の家の門扉を閉め忘れてきたことに気がついた。 立ち止まり、振り返り、彼の家を眺める。 借家であるその住居は他家と比べて外観が古めかしく、壁には蔦が這っていた。 生垣に囲まれた駐車場に車が止まっているのを見かけた回数は数えられる程度で、車種も色も狭霧には一切思い出せなかった。 彼の抉った痕は体の奥底に刻まれた。 忘れられるわけがない……。 見送る際に浮かべた楓の笑みを脳裏に蘇らせて、狭霧は、唇を噛んだ。 君はそれを忘れろと言う。 あれだけ犯し尽くした挙句、何でもないように笑って、取るに足らない思い出だと。 じゃあこの抉られた痕はどうすればいいの。 今だって執拗に疼いているこの痕は……。 マフラーに顔を埋めた狭霧は、かじかむ手もそのままに、長い間凍えた夜気に苛まれながら楓の家を見続けていた。 二度目の放棄で非情としか思えない楓を憎む術しか見つけられずに。 「久しぶりだな、狭霧」

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