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「確かに驚くよね。大学まで押しかけてきていきなり話そうだなんて」
笹倉は眼鏡をかけ直すとテーブルの下で足を組み替えた。
「まずは自己紹介しなくちゃね。名刺にも書いてる通り、僕の名前は笹倉遼一郎。二十六歳。医薬品を取り扱う会社の営業部所属、病院や医大の研究室に実験機器や試薬類、消耗品を紹介してお偉方の教授におべっか使いまくって頭下げる日々。慣れたけど面倒くさいよ」
狭霧は曖昧に頷いた。
視界の端ではテーブルから食み出た黒光りする革靴が小刻みな揺れを反芻していて、少し気になった。
「狭霧君、昌人とタメなんだよね?」
楓の名前が突然出てきた。
動じた狭霧はすぐに答えることができなかった。
「三年生だよね? インターンシップ活用して早めに就活しておいた方がいいよ」と、笹倉は構わずに話を続けた。
「昌人とは半年くらい前に知り合って。いきなり昔の友達に会いに行くって言い出すから、興味があって、追いかけてきたんだ。着いて電話してみたら心底驚いてたよ……ところでさ、昼に一緒にいた子、君のことが好きみたいだね」
唐突な話題の切り替えとその内容に狭霧は自分の耳を疑った。
笹倉は愉しげに唇の片端を吊り上げるとカフェテリアの出入り口をチラリと見た。
「健気に君のこと心配してる。ほら、あそこからずっと見守ってるんだよ」
狭霧は笹倉の目線を追い、本館で先程別れたばかりの牧村がガラス戸の向こうに佇んでいるのを見つけ、席を立とうとした。
「連れておいでよ」
急に手首を掴まれた。
必要以上に強い力に、振り返るのと同時に、狭霧は自分に注がれる笹倉からの敵意を今はっきりと感じ取った。
「そうだ、もうすぐ五時になるし、ちょっと早いけれどみんなで飲みにいこう」
「いえ、あのーー」
「昌人も呼ぶからさ」
目まぐるしい展開は寝不足で頭痛のする頭では瞬時に理解しかねた。
笹倉の手が離れても、何だか彼の敵意に喉元を締め上げられているようで、狭霧は少しも自由になった気がしなかった。
秋空に浮かぶいわし雲の端々が夕日に滲んでいる。
風に強さが増して広葉樹の葉が芝生にちらつく。
帰る学生らは寒そうに肩を震わせて階段を降りていく。
入れ代わりに影法師じみた黒ずくめの男がセピア色の階段を上ってきた。
学生ホールの窓際に座っていた狭霧は、暗闇になら容易く擬態してしまえそうな楓が近づいてくるのをガラス越しに眺めていた。
三十分前、カフェテリアで狭霧と俯きがちな牧村を前にして笹倉は楓に連絡をとった。
楓の返答は聞こえなかったが彼はこうして大学へやってきた。
恐らく、昨日楓が携帯電話で話していた相手は笹倉さんだろう。
もしかしたら昨夜二人は一緒にいたのかもしれない。
外の楓と目が合う。
狭霧は顔を逸らした。
「--突然ごめんね、昌人」
笹倉が学生ホールへ入ってきた楓に真っ先に歩み寄って声をかけた。
楓は無言で首を左右に振って、次に、狭霧の方へ視線を投げかけた。
ジャケットは昨日と同じだが下に着ているインナーは別物だった。
「お前、顔色悪くないか」
「……気のせいだよ」
彼と視線を交わしたくない狭霧は俯いた。
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