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狭霧を待つ間大学周辺を散策していたという笹倉の先導で彼らは国道沿いに点在する飲食店の一つに足を運んだ。
客層は様々で勤め帰りの会社員や学生と思しき若者で賑わっている。
座敷からは騒々しい乾杯の音頭が聞こえてきた。
四人掛けのテーブルに着いた狭霧達は明らかに盛り上がりに欠けており、賑やかな店内で却って目立つ羽目になった。
「昌人と狭霧君って昔からの知り合いなの?」
最年長の笹倉は飲み物の注文を適当に済ませるとメニューを見つつ尋ねた。
彼の隣にいる楓は窓から外を眺めるばかりで答える素振りがない。
必然的に回答が強いられて、斜め向かいにいた狭霧は口を開くしかなかった。
「そうです。家が近所だったので」
「昌人ってどんなコだったの?」
「……周りより大人びていました」
狭霧の答えに笹倉が笑う。
楓は寡黙に暮れ行く外を見続け、牧村はテーブルの一点に視線を縫いつけている。
狭霧は今現在の状況を未だ把握しかねていた。
店内の騒がしさが頭痛に追い討ちをかけて具合も優れない。
酒は帰省した時に両親に勧められて飲む程度で、滅多に飲酒はしないのだが、手をつけずにいるのも何なので目の前に置かれたビールを一口飲んだ。
「笹倉さん、飲まれないんですか」
牧村がやっと言葉を発し、店員から烏龍茶のグラスを受け取った笹倉は頷いた。
「飲めないこともないけれどすぐに酔っ払うんだ。ねぇ、昌人?」
笹倉に呼びかけられても楓は無言でいた。
笹倉は気に留めるでもなく、牧村と他愛ない話を始めた。
笹倉が楓の名を呼ぶ度に小さな棘で心臓の裏側を引っ掻かれているような痛みが生じ、狭霧は、戸惑う。
二人の仲がどうであろうと自分には何も関係ない。
心の中で何度も言い聞かせた。
「狭霧君、飲まないの?」
量の減っていないジョッキに目ざとく気付いた笹倉が声をかけてくる。
狭霧は無理矢理ビールを半分一気に飲み、やはり飲まなければよかったとすぐさま後悔した。
向かい合う楓はいつの間にかジョッキを空にしてタバコをふかしていた。
慣れた手つきで灰皿に灰を落として再び口元に翳す、見慣れないその仕草に狭霧の視線は自然と彼の手元へ吸い寄せられた。
「昌人は僕が酔っ払った時しか抱いてくれなかった」
狭霧の視線の先で楓の指先が歪な揺れを刻んだ。
「無理に飲ませて酔わせて、さ」
運ばれてきた一品料理を箸で突っつきながら笹倉は言った。
相変わらず薄笑いの張りついた顔は間接照明の明かりを浴び、本当に稲荷神社の遣わしめさながらである。
正面の牧村が動揺しているのは一目瞭然であり、彼の箸は空中で不自然に停止していた。
「その話はもういいだろ」
楓が灰皿の底に乱暴にタバコを押しつける。
笹倉は肩を竦め「そう? ごめんね」と軽々しい口ぶりで謝った。
この人は俺に嫉妬しているのだろうか。
こめかみ辺りに響く耳鳴りが店内の喧騒に上乗せされる中、黙々と食事していた狭霧はため息を噛み殺した。
今すぐにでも教えてあげたい。
それは勘違いだと。
俺と楓の間に感情的なものなど皆無だと。
あるとしても、それは、かつて俺が彼に抱いた憎しみの残骸だ。
俺には何も関係ない……。
「狭霧」
楓に名を呼ばれて狭霧は伏せ気味にしていた視線と指先を凍りつかせた。
「大丈夫か、お前」
今、楓と目を合わせたくない。
昔の激情が戻ってきて、最悪な状況に陥ってしまいそうで、そんなの、とてつもなくいたたまれなくて、堪らない……。
「……ちょっと顔洗ってくる」
誰に向けるでもなくそう呟いた狭霧はテーブルを立つと牧村の後ろを通ろうとした。
不意に強い眩暈に襲われた。
咄嗟に椅子の背もたれを掴んだはずが、その手はただ虚空を握りしめただけだった。
「狭霧!」
牧村の慌てた声が店内に響く。
その場に崩れ落ちた狭霧は自分の耳鳴りが聞こえるばかりで、両膝を突き、片手で蒼白な顔を覆った。
手先がやたら冷たい。
しかし頭の奥は熱せられて、後頭部が激しく脈打っているような感じがした。
ああ、酔ったんだな……寝不足が続いた揚句、酒を飲んだから……。
考えは冷静に纏められるものの、立ち上がるのが困難で、狭霧は白い指の狭間から丹念に磨かれたフロアを鬱々とした気持ちで眺めた。
不意に氷水の注がれたグラスが目の前に現れた。
「狭霧、大丈夫か」
狭霧は瞬きした。
何度もしつこくそれを繰り返し、意識を鮮明にさせるため唇をきつく噛んだ。
「飲め」
伸びてきた手が狭霧の手をとり、グラスを握らせる。
狭霧は微かに頷いて冷たい水を砂漠での一杯さながらに飲み干した。
「吐きそうか?」
顔を上げるとすぐ目の前に楓がいた。
彼はフロアに跪き、狭霧を真っ直ぐに見つめていた。
「……いいや、悪い、ごめん」
「狭霧、大丈夫?」
楓の後ろには心配顔の牧村が、店員も隣に並んでいた。
近くのテーブル客の注目も浴びており、狭霧は赤面した。
「すみません、大丈夫です」
水滴に濡れた唇を手の甲で拭って立ち上がろうとし、またしても不安定にふらついた狭霧を、すかさず楓が横から支えた。
「送ってあげたら」
テーブルに一人着席したままの笹倉の言葉に楓は同意した。
「ああ、そうする」
「僕はまだ牧村君と喋っているから」
牧村は唖然としたが、人のいい彼に他人の誘いを断れるわけがなく、とりあえず狭霧の荷物を抱えて店の外まで送る姿勢を見せた。
楓は狭霧の片腕を肩に担ぐと、その場を離れる間際、笹倉の方を振り返った。
「悪いな、リョウ」
リョウ。
楓は確かにそう言った。
あの人を名前で呼んだ。
あの人が楓の名を口にするよりも、楓が言い慣れた様子でそう呼んだことに、痛みが増した。
小さかった棘は細い刃となって心臓の裏側を裂いた。
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