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4-拒絶
教授室で行われる少人数のセミナーに出向くと珍しく顔色の悪い牧村が早速狭霧に話しかけてきた。
「狭霧、昨日は大丈夫だった?」
「牧村こそ……」
どうにも笹倉に付き合わされて随分と飲んだようだ。
笹倉本人は飲酒を控えていたから、素面の彼に酌をされ続けたのかもしれない。
「うん、あの笹倉さん……ちょっと変わった人みたいだ」
牧村は狭霧に何か言いかけた、しかし外出していた教授が室内に戻ってきたので口を噤み、話はそれきりになった。
近代文学に関する九十分のセミナーが終わり、次の講義まで手持無沙汰な狭霧は図書館へ行こうとしたが、携帯電話をチェックしていた牧村から藪から棒に呼び止められた。
「笹倉さんからメールで、昨日の店から一番近いファミレスで狭霧を待ってるって」
「……」
「断ろうか?」
「いや、行く」
「俺も行こうか?」
五分後に講義を控えている牧村の申し出を狭霧はきっぱり断った。
「今日は本当に来なくていい、牧村」
昨日のことを示唆されて赤ら顔になった牧村を大学に残し、狭霧は街路樹の陰に占められた歩道を前進し、指定されたファミレスに入った。
昨日と同じくスーツ姿の笹倉はお決まりの薄笑いで武装して奥の喫煙席にて狭霧を出迎えた。
「昨夜はすみませんでした」
狭霧はとりあえず昨日の失態を笹倉に謝った。
注文をとりにきた従業員にアイスコーヒーを頼んで、白い指にタバコを挟めた笹倉と居住まいを正して向かい合う。
「今、有休の消化中でね」と、笹倉は片肘を突くと温くなったホットコーヒーを見下ろした。
「オフのときもスーツでいるのが癖なんだ。私服、あまり持ってなくて」
落ち着いた曲調の洋楽が店内にゆったり流れている。
反対側の突き当たりの席では女性客の笑い合う声がしていた。
「自分がスーツを着ていて、相手が私服だったら、ちょっと浮くよね? だから似た格好の男ばかり選んだ。真面目そうに見えるしね」
返答の使用がなく狭霧は黙って聞いていた。
運ばれてきたアイスコーヒーにミルクを淹れて掻き混ぜて、一口飲む。
喫煙に霞む空気が笹倉のかける眼鏡のレンズに写し出されていた。
「でも一度酷い目に遭った。真面目どころかたちの悪い奴に付き纏われて……ね、スーツの相手はこれっきりにしようって肝に銘じたよ。それで昌人を選んだ」
狭霧はレンズの奥の笹倉の双眸を見た。
「昌人は仮面なんか被っていない。無理に笑ったり話したりしない。その素直な無口さが一緒にいて好ましかった」
「……」
「昌人、僕に返してくれないかな」
「彼は俺のものじゃありません」
「付き合っていないの?」
笹倉の問いに狭霧は首を縦に振る。
笹倉は灰皿の縁にタバコを乗せて両肘をテーブルに突かせた。
「でも寝たよね?」
上目遣いに棘のある視線を寄越されて狭霧はたじろいだ。
両膝に爪の先を食い込ませて懸命に言葉を絞り出す。
「それ、は……流されたというか……特別な感情はありません」
「感情もなしに寝たんだ?」
口元は笑んでいるが目は笑っていない。
狭霧に対する笹倉の笑い方はいつもそうだった。
「だから、流されたんです、いつもそうでした。体格も力も違うし俺は抗えなくて、それで」
「それなら君は昌人を憎んだよね」
笹倉は自分から目線を外した狭霧に微笑みかけた。
「君は昌人を愛していないんだね?」
冷えたグラスの中で音を立てて氷が回転した。
「そんなこと……」
楓が訪れた夜、どうして俺はドアを開けたんだろう。
笹倉の歪な微笑を前にして狭霧は自分自身に問いかけた。
楓を必要としていたから?
二度も棄てられたのに、まさか……。
狭霧は自分の感情を読み解くのが怖くなって青ざめた。
それこそ破滅しかねない。
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