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5-対峙
狭霧は胸の奥底に閉じ込めていた自分の想いにやっと気づいた。
破滅を免れるために無理矢理鍵をかけられて忘却を強いられた想いは暴れ、今、こんなにも狭霧を息苦しくさせる。
狭霧は首を何度も左右に振った。
「でも、もう、いないんだ」
楓は行ってしまった。
もう遠くへ去ったかもしれない。
自分の手が届かない場所へ。
「携帯は?」
狭霧はまた首を左右に振ると、牧村は、自分の携帯電話を取り出して昨日保存したばかりの彼のアドレスを画面に表示させた。
「俺、笹倉さんのならわかるよ」
笹倉の刺々しい微笑が脳裏に蘇る。
同時に、自分が彼にした偽りの告白も思い出し、狭霧は後悔した。
次の後悔の波に呑まれないよう、狭霧は牧村から差し出された携帯電話をその手にしっかりと受け取った。
薄闇のキャンパスに聳える建物の窓はところどころ明々とした光に満たされ、人気のない脇道を行く通行人を安心させた。
反対に、大学のやや手前にあるイチョウ並木に囲まれた運動公園は薄暗く、人がいるのかどうかもわからない。
冷え込みが厳しくなった最近では無人で静まり返っていることが多く、近づきがたい雰囲気だった。
「暗いなぁ」
背後を歩いていた牧村が独り言を洩らす。
狭霧は目を凝らして鬱蒼と茂る草木越しに園内を覗いていたが、確かに暗く、彼らがどこにいるのか見当がつかなかった。
先刻、笹倉は電話口でここにいると狭霧に伝えた。
楓も一緒だと。
彼と話したいなら来ればいいと、そこで通話は切れた。
「いるよ、狭霧」
囁くように言われた牧村の言葉に狭霧は振り返り、立ち止まってフェンスと木立の奥を凝視している牧村の目線を辿った。
広々とした公園内にはベンチがいくつか設けられている。
その内の一つに人影らしきものが窺えた。
「行こう」
狭霧は牧村を伴って、歩調を早め、出入り口へと向かった。
本当は一人で来るつもりだった。
しかし牧村はついていくと言って聞かず、躊躇いつつも笹倉に口止めされていた秘密を狭霧に明かした。
笹倉はナイフを所持しているという。
昨夜の席で笹倉はそれを牧村に見せ、前に付き合っていた男から襲われて怪我を負い、以来護身用に持ち歩いていると笑いながら教えてくれたそうだ。
ファミレスで聞かされた話と結びつく内容だった。
もしも笹倉がナイフを奮う恐れがあったら。
標的になるのは自分かもしれない。
茂みの向こうにフェンスの破れ目を見つけた狭霧は頭を低くしてそこから園内に足を踏み入れた。
外灯は角に設置され、多目的広場の砂地である中央はやけに暗く、表通りの喧騒も遠退いて静まり返っていた。
狭霧は夜風に頬を嬲られながらも端にあるベンチの一つへ近づいた。
楓……。
ベンチに座る彼を視界に捉えた瞬間、狭霧は心の内で呼号した。
『誰もあの人の気持ちには敵わないと思う』
笹倉との通話を終えた後に呟かれた牧村の台詞を思い出す。
そんなことが果たしてあるだろうか。
過去の彼の無慈悲な行為と矛盾している。
とてもじゃないが信じられない。
確かなのは俺の中の楓への想いだ。
自分の身に及ぶかもしれない危険を回避する選択肢を切り捨て、楓に本心を伝える道を選んだ狭霧にもう迷いはなかった。
「楓」
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