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8-番外編-牧村と笹倉

「今から飲むから付き合って」 笹倉の言葉に牧村は目を見張らせた。 運動公園を離れ、車の行き交う国道沿いを突き進んでいた、一歩前を行く笹倉の腕を咄嗟に掴んだ。 「いた……ッ」 慌てて手を離す。 点在する居酒屋の前で立ち止まった笹倉は掴まれた方の片腕を擦り、シンプルなブラックフレームの眼鏡レンズ越しに周章している牧村を見上げた。 「君はどう思う? 警察に行った方がいいと思う?」 こちらから詫びるより先に問いかけられ、掌を負傷しながらも毅然としていた狭霧の様子を思い出し、牧村は答える。 「狭霧は、ああ言っていたので……行く必要はないのかなって」 「そう。僕の気持ちは宙ぶらりんだね」 まだ片腕を擦りながら斜め下に視線を落とした、ナイフを翳した自分自身が鋭い刃を振るわれたような有様に成り果てている笹倉にどんな言葉をかけたらいいのか、牧村は迷う。 「……飲みに行きますか?」 一分近く悩んだ末、神妙に吐き出された言葉に小さな声を立てて笹倉は笑った。 「朝まで付き合ってくれる?」 「ッ……」 「嘘。冗談だよ。飲みには行かない。ホテルまで送って」 「笹倉さん、あの」 「嫌? こんな変質者と一緒にいたくない?」 牧村は首を左右に振った。 身長180センチながらも猫背の彼は益々体を縮こまらせ、自分の行為を真摯に謝った。 「ごめんなさい、腕、痛かったでしょう」 草食動物を思わせる温和な性格の牧村を笹倉は繁々と見上げた……。 牧村の拾ったタクシーが十分近くかけて向かった先は駅近くに建つビジネスホテルだった。 「……笹倉さん」 笹倉に特に言葉をかけられることもなく、どこまで送ればいいのか判断がつかなかった牧村は彼の宿泊する客室までついていった。 カードキーでドアのロックを開錠した笹倉に「おいで」と言われて素直に部屋の中まで。 ドアが閉まった瞬間、背伸びした笹倉にキスされた。 驚いて硬直した牧村の下唇をゆっくりとなぞった舌先。 縋りつくように肩を掴んできた掌。 「失恋した者同士で慰め合おう?」 ドアの前で硬直していた牧村は遠慮がちに笹倉の肩に両手を添えて「こんなの駄目です」と正論を述べた。 「自棄にならないでください」 「君ってイイコだね、牧村君」 「笹倉さん……」 「今頃、あの二人、どうしてるだろうね」 「あの人が狭霧のこと介抱してくれてると思います」 未だ密着したまま牧村を離そうとしない笹倉は淋しげに笑う。 「あてつけに死んでやろうかな」 ……笹倉さんにナイフを返すべきじゃなかった。 自暴自棄に走りかねない笹倉を煙たがることもせず、自分自身の行動を悔やんだ牧村は、傷心に打ちひしがれている二十六歳の男の頭をぎこちなく撫でた。 「……君、まさかこれで慰めてるつもり?」 「……変ですか?」 「子供じゃないんだから。大人なりの慰め方の一つや二つ、習得してるでしょう?」 「そんなことわかりません」 たまのサークル活動でバスケットボールを巧みに操作している大きな掌で、すでにセットの乱れていた頭をよしよし撫でられて、呆れた台詞と裏腹に笹倉は満更でもなさそうな表情を浮かべた。 同じフロアでドアの開閉音がし、乾燥した真夜中の静寂を僅かに震わせた。 「一緒にお風呂入ろう?」 笹倉自身の心身がこれ以上傷つかないよう、牧村は止む無く頷いた……。

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