3 / 10
#彼に届けて
言いたかった、言葉。
『ごめんね、本当に…ごめんなさいね…っ』
伝えたかった、思い。
『あの子の事は、もう、忘れて…』
いつだって、俺は…
『あなただけでも、幸せになってちょうだい…っ』
『…そんなの……、』
気が付いた時には、全て失っている。
****
ーピピピピ…
「…ん…」
目覚まし時計が鳴り響き、薄っすら目を開けると、そこには見慣れた天井が広がっている。
「…久しぶりに、あの夢…」
ポツリと呟いて、いつまでもけたたましく耳元で鳴る時計を止めた。静まり返る部屋に、はぁ…と零れるため息。
この夢を見ると、大抵その日一日、運が悪い。
「…ん、い…!」
「…」
「せんぱいっ!」
「…っ、」
至近距離で声をかけられ、ビクリと肩を揺らす。横を見上げると、不機嫌そうな顔をした後輩が立っていた。
「もうっ!何回も呼んでるのに!」
「あー、悪かった。どうした?」
「部長が、A社に資料届けたら直帰でいいって…」
「わかった。ありがとう」
A社…A社って、めちゃくちゃ遠い所じゃ…?あーくそ。別に俺、担当じゃねぇのに…最悪だ。
「俺も行きますからっ!置いて行かないでくださいね!」
ため息をついてしまいそうになるのを堪え、心の中で愚痴っていると、後輩が少し早口でそう言った。
「え、なんで?」
ただの資料渡しなら、俺一人で十分なのに…。
「そ、れは…勉強ですよ!勉強!現場見ておかないと!」
「はあ…」
「じゃ、じゃあそういうことなんで」
少しどもりながら、それらしい理由を言って、後輩はそそくさと自分のデスクに戻っていく。
「わざわざついてくるなんて…意味わからんやつ」
俺だったら仕事終わったら速攻帰るのに、なんて思いながら止まっていた手を動かした。
「よろしくお願い致します。では、失礼します」
頼まれた資料をA社に届け、すっかり暗くなった道を車で走る。助手席に座る後輩は、ボーッと窓の外を見ていた。
「…んで?勉強になったのか?」
音楽もかかっていない車内に、俺の声が響く。その声に反応して、後輩がこちらを向いたのがわかった。
「ええ、まぁ」
「フッ、そうかい。ならいいけど」
別に勉強出来るほどのやりとりでもなかったが、本人のためになったなら…と軽く笑った。
「…ん?なに?」
ふと、いつまでも刺さる視線に、一瞬横を見る。
「あの……あ、そこの自販機で止まってくれません?」
「ん、りょーかい」
何かを言いかけたと思ったが、喉が渇いた事を言いたかったのかと思い、なんの疑いもなく数メートル先の自販機の前で車を止めた。
「何がいいです?」
鞄から財布を取り出し、俺に聞いてくる。
けど、一応俺が先輩だしなと思い「ブラック」伝え、五百円を渡した。最初は渋った後輩だが、最後は折れて受け取ってくれた。
「はい」
「おう、サンキュな」
「いえ、こちらこそ…いただきます」
人気もない道でハザードをたきながら、二人でコーヒーを飲む。後輩が入社して早数ヶ月。ミスする事もあるし、経験が少ない分まだまだなところはあるけれど、気が利けて愛想もいい。いつか、こいつと肩を並べて仕事出来たらいいな…なんて、思っていた。
「先輩、あの…」
「うん?」
静かな車内に、今度は後輩の声が響く。それに返事をして視線を向けると、いつもの表情豊かな後輩ではなくて。
「な、なんだよ…」
こちらにも緊張が伝わるほど、真剣な顔をしていた。
「俺ね…、俺……」
彼は俺に出来た初めての後輩で…先輩として、彼の成長が楽しみだった。
「先輩のこと、好きなんです」
だから、まさか…。
「は…?」
「俺ね、知ってるんですよ」
「な、に…を…」
「先輩が昔、男と付き合ってたって」
そんな彼が…
「何言って…っ」
「俺の兄貴、だったんです」
俺の過去を知っていたなんて…。
「…っ」
そのセリフを聞いて、ぶわっと冷や汗が吹き出た。
「五年前、通夜で泣いてましたよね…先輩」
「ぁ…、」
「俺ねー、ずっと留学してたからさ…兄貴と付き合ってた先輩と一度も会ってないんだよね」
…五年前、俺は恋人…彼の兄と死別した。
同じ大学だったけど学部が違った彼。学年が上がるごとに忙しくなって、なかなか会うことができない日が続いた。
『なんで俺との約束が先なのに、ドタキャンされなきゃいけないわけ!?』
やっと予定が合った日、突如ゼミの飲み会が入り、そこに行かなきゃいけないと言われた。
『だから、ごめんって…埋め合わせは必ず…』
『っもういい!楽しみだったのは俺だけみたいだしな!』
頭に血が上ってた。久々でわくわくしてたのも、ずっと会いたかったのも…俺だけだったんだと思い込んで…余計、寂しくなって…。
『おい、』
『触んなっ!顔も見たくねえ!お前なんか…っ、お前なんか大嫌いだよ!!もう好きなとこ行っちまえ!』
だから、俺を引き止めようとした彼の手を振り払い、思ってもいない、酷い言葉を彼にぶつけてしまった。それから彼からの連絡を一切無視して、逃げるように夜の街に走って…朝まで呑んだくれた。散々酔っ払った後、家に帰り、一眠りして頭が冷えた頃……彼の母親から電話が来た。
『…は…っ?』
駆けつけた時にはもう遅くて。
『ごめんね、この子ったら…赤信号で飛び出して…っ』
その言葉で、俺のせいだと悟った。
着信履歴は軽く50は超えていて、ラインも馬鹿みたいに通知が溜まっていた。内容は全て、"ごめん"と"会いたい"。ゼミの飲み会なんて行かず、ずっと俺を探してくれていたんだ。
…もし、真っ直ぐ家に帰っていれば?
…そもそも、怒りなんてしなければ?
たった一言「いいよ」って…言えていたら…?
『好きなところは…ッ、そこじゃねぇだろ…!?』
そこに俺はいねぇだろ。
『なんで、おまぇ……っ、うぅ…ッ』
なんで俺を置いて逝くんだよ。
『……っちが、ちがう…っ!』
…全部俺が、あの時、間違えた。
言いたい言葉も、伝えたい思いも、もう君には届かない。
『ごめんね、本当に…ごめんなさいね…っ』
悪くもない母親が俺に謝る。それだけで心臓が潰れそうになった。
『あの子の事は、もう、忘れて…』
無理だよ。そんなの絶対…
『あなただけでも、幸せになってちょうだい…っ』
彼のいない世界で、俺が幸せになるなんて…
『…そんなの……、できるわけがないっ』
俺は俺の罪を、一生、背負い続ける。
「兄貴は…」
「…ああ、俺が…殺した…」
俺のせいで。全部、俺の…。
「…っいい加減にしろよ!!」
「っ、」
突然の怒鳴り声に、ビクッと肩を震わす。横を見ると、怒っているけど泣きそうな…そんな顔をした後輩がいた。
「ご、ごめ…っ」
「謝ってんじゃねえよ!!違ぇだろ!!」
酷く心が痛くなり、思わず口にした謝罪の言葉は、またも怒鳴り声でかき消される。何を言っていいかわからず黙り込む俺に、後輩はハッとして、深く息を吸った。
「…そうじゃないでしょ。…ねえ、先輩」
「…」
「俺の兄貴は、どんな人だったの?」
「…っ」
「死んだのはお前のせいって、言うような人だった?」
「…っぅ、」
「好きな人の幸せを願えない、そんな人間だった?」
「ち、が…っ」
「今もずっと、あんたの事恨み続けるような…」
「ちがうっ!ちがうよぉ…!」
いつだって優しくて、俺のことを考えてくれていて…大切だった。だからこそ幸せになってほしかった。でもそれを俺が奪った。
「…先輩、俺に言ってみて?あの時言いたかった事…俺が聞いて、兄貴に届けるからさ」
「ぅっ、……っおれ、」
「うん」
「お前に、きらいっていったけど、あれはうそで…っ」
「うん」
「さわってほしかったしっ、おれを選んでほしかったっ」
「うん」
「だいじだった…っ、たいせつだった…ッ、」
「うん」
「すきっ…だいすきで…っ、ずっとおまえといっしょ、に……っ、生きていきたかったよぉっ!!」
「…うん。兄貴も、同じ気持ちだったよ」
ふわり、と俺を包み込む優しい体温。その瞬間、俺は縋るように抱きしめ返して、子供みたいに大泣きした。
悔やんでも悔やみ切れない後悔と、溢れ出す彼への気持ち。
それを今、彼の弟が聞いてくれた。
「遺品整理で、兄貴の携帯見たんだ。最後の、先輩とのやりとりも…」
「ん…、」
「通夜で泣いて叫ぶ先輩思い出してさぁ、お互い本当に好きだったんだな〜って思ったよ」
優しく頭を撫でられながらクスクスと笑われて、通夜で取り乱す自分を思い出し、少し気恥ずかしくなった。
「…きっと先輩は、たくさん後悔して、泣いて、自分を責め続けて来たと思うけど…、付き合ってたら喧嘩の一つや二つ、しょうがないでしょ?」
「ぇ…っ?」
「だからさ、もう笑って過ごそうよ。たくさん泣いて我慢して来たんだから。それに…」
"兄貴も、先輩に幸せになってほしいって思ってるよ?"
『お前の笑ってる顔見ると、幸せにできてるって実感できてさ、俺、嬉しいよ。だからずっと笑っててな?』
「…っう〜〜ッッ!」
「っええ!?笑ってって言ったのに泣くの!?」
ずっと忘れてた言葉を、言ってほしかった言葉を、
「お前がそんなこと言うからだろぉ〜!ばかぁ!」
彼の弟が全部くれた。思い出させてくれた。
…なぁ。時間はかかると思うけど、俺、また心から笑える気がするよ。
「…あ、先輩。俺の告白も、忘れないでくださいね?」
ともだちにシェアしよう!