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2日目・淵ー5

「先生、俺が美智と一緒にいて、平気なの?」  耳元に吹き込むように囁かれた台詞は、熱を持っていた。切羽詰まった声。抱きしめる腕が、きつい。 「いつから優兄とあんなに仲良くなったの?何で俺は美智と一緒にいて、先生は優兄と一緒にいるの?何のためにここに来たの?」  設楽だって、自分が大竹と一緒にいることを周りがどう思っているかは知っている。大竹と2人でいるよりも、美智と一緒にいる方が周りは安心するだろう。自分が何を期待され、大竹がどう思われているかもちゃんと分かっている。  それでも、自分は周りの思惑通りに美智なんかと時間を潰したくはないし、大竹が遠山と一緒にいる所も見たくはないのだ。 「ねぇ、何のためにここまで来たんだよ。俺は先生とずっと2人で一緒にいたくてここに来たのに、こんなのは厭だよ!」  厭だと言っても従妹である美智を邪険には扱えないし、親戚連中にゲイばれするわけにもいかない。そんな事は分かっている。  そんな事は分かっているけど、でも許せない物は許せないし、我慢できない物は我慢できないのだ。 「先生と2人でここに来たら、もっと2人でずっと一緒にいられると思ってた」  設楽の怒ったような、甘えたような顔を見ながら、それでも大竹はきっぱりと言いきった。 「2人きりでずっと一緒にいられる場所なんて、この世にはないんだ」  大竹の言葉は、設楽の胸に突き刺さった。 「周りはああして女と一緒にいる事を当たり前だと勧めてくる。俺と2人でいれば、周りは訝しく見てくる。遠山みたいに、何でお前ら一緒にいるんだと好奇心剥き出しに訊いてくる奴もいるだろうし、お前だって親戚の皆さんに俺と出来てるなんて言えないだろう?」  大竹を抱きしめる腕に力がこもる。  大竹が、好きだ。  でもその気持ちだけじゃ、2人で一緒にはいられない。  男同士で、教師で、生徒で。年だって一回りも違う。高校を卒業した後、2人で一緒にいる事を、周りに何と言う?友達じゃおかしいし、高校の時の先生だと言っても、何故卒業した後まで一緒にいるのか、巧い理由が見つからない。自分達は、説明のつかない間柄になるのだ。 「これから先もずっとこんな事が続くんだ。俺と2人でいれば、お前はずっと人目を避けていなければならない。誰に祝福されるわけでもない。お前は、それでも俺で良いのか?」 「先生は?」  設楽は大竹の体に縋り付くように抱きしめた。  誰にも理解してもらえない。  口にする事も憚られる。  こんな人目につかない所に大竹を引きずり込んで、自分は氷のように冷たい大竹の体を抱きしめるしかないのだ。  でも、自分の体は、熱い。  誰にも負けないくらいこの体は熱く、大竹の冷えた体を温める事が出来る筈だ。 「俺はどんなに暖かな所よりも、冷たい水の中で先生と2人でいる方が良い。先生は?」  ぽたりと、大竹の頬から水滴が落ちた。水の中を自由に泳ぐ大竹は、銀色に光る魚を思わせた。地上にいたのでは、この美しい魚を掴まえる事は出来ない。  大竹は設楽の顔を、表情の分かりづらい顔で暫く見つめいていた。  水滴がまた、ぽたりと垂れる。水滴だと分かっているのに、なんだか大竹が泣いているように見えた。 「……先生?」 「……俺は……」  大竹は何か言いかけ、それからきゅっと口を結ぶと、水面に視線を移した。それからとぷりと、大竹の体が水の中に沈んだ。  逃がすものか。  設楽は自分も大きく息を吸うと、すぐに水の中に身を潜らせた。  水の中は冷たかった。その冷たい水の中を、大竹はゆっくりと岸に向かって泳いで行く。ゆったりと手足を動かす大竹の姿は、美しかった。  設楽が必死で伸ばした腕が、大竹の手を捉えた。  大竹がそっと振り返る。  設楽は大竹の肩を抱き寄せた。  息が苦しい。  体が冷たい。  それでも、設楽は息継ぎの事など忘れて、大竹の体を抱きしめた。  ゆらゆらと髪が水を漂う。水面から柔らかく差し込まれた日の光が、水底に陰を作る。  そのまま、大竹の唇を唇で塞ぐ。  大竹が水の中に棲む生き物であるなら、自分も水の中に棲めば良い。  この人の棲む場所が、自分の生きる場所なのだから。

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