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6日目の夜ー2
「……あのさ、美智、こないだ淵に行ったとき、ずっとパーカー着てて脱がなかっただろ?」
「そうだったか?」
いきなりの台詞に、大竹はその時を振り返ってみた。たった5日前のことだが、美智をあまり見ないようにしていたせいか、着ている物などろくに覚えいていない。
「美智の背中の下の方……腰の辺りにさ、子供の掌くらいの傷跡があるんだよ」
言われてみると、確か美智はセパレートの水着の上にパーカーを羽織っていた様な気がする。大竹は彼女の傍には近寄らなかったので、遠目からではそんな傷があったようには全く見えなかったが。
「……うちの両親はさ、女の子がずっと欲しかったんだよ。俺が高校ん時に念願の女の子がやっと生まれて、2人はすごい喜んで……。とにかく可愛がってさ。俺にしてみたら、あんな多感な時期に親が子供作るなんて、なんか生々しい気がしちゃってさ。周りの友達もお前の親いまだにえっちしてんのかよとかからかってくるし。そのくせ何かにつけ俺があいつの面倒みなきゃいけなくて。何でもかんでも美智中心に回ってく家の中が厭になってさ」
「あぁ…」
大竹は、兄のことを思い出した。
喫茶店を営んでいた両親に替わって、自分と姉の面倒を見てくれていたのは、同じビルに住んでいる国籍の違う大人達と、8つ年の離れた兄だった。兄は部活にも入らずに、いつでも自分達の世話を焼いてくれた。東京でも有数の繁華街に近い国道沿いで育ったせいか、兄はいつでも自分達の心配ばかりしていて、特に門限と、誰とどこにいるのかの確認には余念がなかった。
親より口やかましい兄のことを、うるさく思っていた時期もあった。
自分にハッカのキャンディーばかりを寄こしてきた兄にも、遠山の様な気持ちがあったのだろうか。
「うちもさ、昔は家族で山登りとかしたんだよ。あん時も夏休みだった。まだヨチヨチ歩きだった美智がすぐ疲れて泣き出して、お前は若くて体力あるんだから負ぶってけって言われてさ。俺は受験生なのに、なんで妹負ぶって山なんか登らないといけないんだって腹立って」
「……なかなか豪快な親だな」
「そ。俺の事情より、美智が大事なんだよ。だって、いくらピクニック程度の軽い山って言ったって、赤ん坊に毛が生えた程度のガキが登れるわけないじゃん。そんなに山登りたいなら2人で行けば良いんだよ。俺の受験より、美智が大事かよって俺苛々してさ」
「そりゃそうなるだろ」
受験生にとって夏休みは特別だ。
特別に大切で、特別に辛い。
天下分け目の関ヶ原。どれだけ勉強しても何かが足りない気がして、気持ちばかりが焦る。
他の奴はもっとやってるのではないか。俺の勉強方法は間違っていないのか。
1日に勉強できる時間は限られていて、睡眠時間を削れば逆に効率が下がる。たまに会った友達は、「全く何にもしてないよ、俺」と、嘘だか本当だか分からない事ばかり言い、苛々と不安ばかりが募る。
上手に気分転換できる奴は良い。だが、たった1年の―――数年になる奴もいるが―――受験シーズンが永遠に続くような錯覚に陥り、息苦しさに叫び出したくなる奴もいるのだ。
毎年この時期に体調を崩す生徒が何人か出てくる。自分を袋小路に追い込んで、身動きが取れなくなるのだろう。そんな時に気持ちをほぐしてくれる人間が周りにいてくれれば良いのだが、良かれと思ってやることが、裏目に出る親の何と多いことか。
「親御さんからしてみりゃお前に息抜きさせてやろうとしたんだろうけど、かなりピントがずれてるな。自分達にとっての息抜きが本人にとっても息抜きになるとは限らないってのに。まぁ、受験生特有の精神状態が全く分かってなかったんだろうな」
大竹が冷静に分析すると、遠山が「さすが受験のプロ」と笑った。
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