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第2話

「今日はすみません。学校も先生もお休みなのに無理を言ってしまって」  4月30日。自宅に小学校まで行くのに乗っていたバイクを置き、滅多に着ない背広姿になって、久川写真館の横を通る。個人でしているらしい小さな写真館で、あっという間に過ぎると、久川と彫り込まれた表札の家があり、インターフォンの前で「新谷小学校の片倉です」と名乗った。片倉に応じたのは片倉くらいの若い男性、久川灯英の父・久川港(みなと)だった。 「いえ、久川写真館さんにはお世話になっていますから。お気になさらないでください」  片倉は久川に家へ招かれると、通されたリビングのソファに腰をかけた。持っていた皮製の鞄から先程、学校へと取りに行ったファイルを手にする。すると、久川はダイニングから珈琲の入ったカップが2つ、乗ったお盆を持ってきた。 本来はお茶菓子などと同様に飲物もあまり手をつけないように。という指導が教員にはされているのだが、自分と同じくらいの年齢くらいの男性が淹れてくれたのだと思うと、片倉は珈琲を断る事も口をつけない事もできなかった。 「いただきます」  片倉は珈琲と一緒に出された砂糖とミルクで味を調えて、カップへ唇をつける。すると、久川の唇が動いた。 「失礼ですが、片倉先生はおいくつですか?」  もしかして、我が子の属しているクラスを担当しているのが新任教師だという事で、心配しているのだろうか。片倉にとって久川灯英の家庭訪問が最後で、それまでの家庭訪問でもそのような事はなかったのだが、そういった事を思われる事もあると聞いた事もあり、気後れのないように答えた。 「今年で26歳になります」  新任教師とは思えないくらい、片倉は毅然としていた。だが、久川の返事は思いがけないものだった。 「やっぱり。私は今年で28になるんですけど、もしかして、あまり変わらないんじゃないかなって思ったんですよ。ってすみません、家庭訪問なのに関係のない事を」 「いえ、構わないです。早速、灯英さんの学校での様子ですが」  片倉は珈琲のカップの代わりにファイルを持ち替えると、本題へと入った。  落ち着いた声質に、穏やかな口調をしている久川の相槌。それは彼が家へと招いてくれた時や珈琲を淹れながら、休日の家庭訪問になってしまった事を詫びてくれた時、先程のたわいもない事を話してくれた時にも片倉は思っていたが、職務の一環だという事や休日を返上したという事を忘れるくらい心地の良いものだった。 「そうですか。あの子が学級代表になったというのは聞いていたのですが、頑張っているようですね」 「はい。あとは大人しそうな雰囲気はありますが、色んな友達といるのもよく見かけますし、授業中に率先して、手を挙げてくれたり、宿題もただしてくるだけではなくて1つ1つ、綺麗な字で書いていたり、日記とか感想といったものも文章がしっかりと書いていたりするのも印象的です」  自分の言葉に一瞬だけ、久川の表情には翳りのようなものを片倉は感じたが、当の久川は穏やかに微笑むと立ち上がった。 「あ、そうそう。片倉先生は甘いものって大丈夫ですか?」 「え、あ、はい?」  気を取られていたところに久川に不意を打つように聞かれ、片倉は一瞬、何を聞かれたか、分からなかった。 「ああ、子どもがいない知り合いに娘がいるって言ったら、クッキーとかドーナツとか送ってくれるようになって」  おじさんを通り越して、おじいさんみたいですよね。なんて久川が話すのを聞きながら、片倉は「お気遣いなく」と言うべきだった。なのに、それに反して、言葉が、意識が急激に離れていくのを感じた。  シャープで、骨の輪郭がはっきりとしている顎に、高めの鼻。声質や口調と同じように優しげな垂れた目。美しい顔立ちをした久川は何かを言うと、最後に「ごめんね」と笑っているように片倉には見えた。

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