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第42話

 ホテルの一室のドアの開閉音が小さく聞こえると、片倉はゆっくりと身体を起こした。  ベッドサイドには財布の中で緩やかに折れただろう1万円が1枚とメモが1枚、載っていて、片倉は身体を起こした時にゆっくりとメモを手にとった。 『健人さんへ  朝までいようと思ったんだけど、突然、急用が入ってしまって、先に出ます。宿泊代は横に置いてあるお金で払ってください』  と表面には書かれてあり、裏面には片倉に届いていない筈の、石川への嫉妬の故に無体を働いてしまったことが詫びられていた。 「みな……」  滅多には呼ばないどこか、2、3度しか呼んだことがない久川の名前が出そうになり、片倉は顔だけを天井に向ける。  泣いてしまうにはあまりに複雑で、全てを不問にし、受け入れるにはあまりに久川を愛しすぎてしまっていた。 「片倉先生?」  片倉はとろんとした視線で声のした方を向く。声の主は久川ではなく、石川で、ジムの帰りに食事をしていた最中だった。 「あ、この肉、美味しいですね」  訝しげに片倉の名前を呼び、視線を向けてくる石川に何か、言われるのがこわくて、ついそんなことを片倉は言ってみせる。  だが、皿の上をふと見ると、鯖の味噌煮が載っていて、とても肉は喉が通らないから魚にしたことを思い出した。 「あ、魚の身も肉だから肉、魚で分けるのって変ですよね」  咄嗟に出たお粗末な言い訳に、片倉は墓穴を掘ったと思った。そして、よりにもよって相手が石川で、彼が今の自分を見逃す必要がない、とも…… 「片倉先生」  石川は表面的には明るく、人懐っこい人物だと片倉も評しているし、他の誰に聞いてもそうだと答えが返ってくるだろう。 だが、聞こえてきたのはあまりに低い声だった。  低くて、優しげな声。 「片倉先生、出ましょう」 「い、石川先生」  ファミリーレストランの会計を片倉の分を含めて石川が支払うと、片倉の腕を引き、すぐにタクシーを拾う。片倉の呼びかけには答えず、石川は以前、片倉と食事をしたレストランが入っているホテルへ向かうように、運転手に告げる。  どういうつもりで、石川がそんな行動をとっていくのかは分からない。  だが、レストランの客やその前の道を歩く通行人やタクシーの運転手の目もあり、大声で石川を制止すれば、間違いなく不審がられてしまうだろう。  それに…… 「言いたいことはあるでしょうけど、私が良いと言うまで何も言わず、ついてきてください」  低く、囁かれるような石川の声。  片倉は戸惑いながらも、「はい」と呟くように返した。

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