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第57話
片倉が初めて久川と出会った4月から1年が経ち、2年が経ち、次の4月が来たら、3年が経つ。
小学2年生だった、久川灯英は新5年生になる年だろう。『だろう』というのは、新3年生に進学する前の1月末に久川や長崎夫妻と共に、イギリスへと渡り、片倉が籍を置く新谷小学校を去ったからだった。
『みんなと離れるのは寂しいけど、みんなのことは忘れません』
猫のような、大きな目を揺らしながら、それでも、笑顔で気丈に『いつもありがとう』と挨拶する灯英に、児童の何人かは涙目になるが、灯英と1年近く、学級代表を務めてきた国富がムードメーカーとして、クラスを明るく励ます。
『寂しいけど、トモが達者で向こうで暮らせるように歌おうぜぇ』
『達者ってなんだよー』
『まぁ、でも、そうだね。歌おう』
『黒部(くろべ)さん、オルガン、よろしく』
授業中も少し賑やかなところのある国富が教壇の中から算数用のものさしを取り出して、黒部さんと呼ばれた、2歳からピアノとエレクトーンを習っていて、都心の大会にも出場しているという女の子がオルガンのところへ向かう。
曲は11月の音楽発表会で歌った『きみに会えて』で、クラスの全員が灯英の為に、歌っていく。
そんな児童達の様子に、片倉は「自分は本当に良い児童達に恵まれた」と思い、辞表を書く用に準備していた便箋と封筒を机の奥へと仕舞った。
この2、3年で、片倉の前から去ったのは灯英だけではなかった。灯英が転校していった年、片倉は新任研修会で石川と出会うことはなかった。風の噂によると、石川は別の県で暮らすことになり、教職を辞したという。
そして、例年よりも桜の開花が早かった1年前の3月。
1週間程、早く咲いた校庭の桜を眺めている江角と眺めている時、片倉は言われた。
『ちょっと色々あって、新谷小へは5年もいたから、流石に次の年度は異動になると思う』
江角は常に片倉の隣のクラスの担任だったこともあり、特に片倉を気にかけて、声をかけてくれていたこともあり、片倉は複雑な思いで江角を呼ぶ。
『あ、でも、お互い、先生を続けていればね。どこかで会うかも知れないですね』
『どこかで……』
『片倉先生は優秀な先生だと思うけど、無理だけはしないで。頼れそうな人には頼らないと、いつか潰れてしまいますよ』
冗談じゃなくてそれだけが心配だ、と江角は笑うと、去っていく。
その年の桜は咲くのも早かったが、散るのも早くて、まるで、江角の門出のはなむけのようだった。
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