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第9話

「ああ、オレの家族や親族、家臣たちは、落城の際には密かに逃亡も考えたという話だ。城には徳川に内緒の抜け穴が存在していたことが代々伝わっていた。そこを使おうと。もし、逃亡していたら…もちろん重臣や当時の藩主などは残るが、それ以下の身分のものが逃げていたら…そうしたらあんな暮らしをしていたのではないかと思ったものだから。また、落城をするくらいなら、皆切腹するという意見も出たそうだ。もし、そうなっていたら今、オレはこの世に居ない。まぁ、昔、武士だった者が困窮しているという話も聞いていたし」  ぽつりぽつりと言って、はにかむように、にこりと笑った。  そういう考えも出来る人間なのだと、そう、しみじみと加藤は思った。自分の聞き続けていた祖父の話よりも、片桐の境遇の方がもっと厳しいものだったのだと。そしてその内心を隠して今まで生きてきたのだと。  歩きながら歩いていると、やがて加藤の屋敷に着いた。 「制服が濡れている。この雪まじりの雨に濡れたからな。寒くないか」 「寒くない」  そう言いながらもいつもは紅色の唇は紫色に近かった。身体も小刻みに震えている。苦笑して、 「家の浴室で温まって帰れ」と自分の体温を与えるために肩を抱いた。予想よりもさらに薄い肩だった。 「な」と言いながら顔を覗き込む。大きな瞳がゆらりと揺れる。そして、加藤の屋敷に視線を当てた。 白と茶色を基調にした瀟洒で大きな屋敷に明るい光りが漏れている。暖かそうな雰囲気に引き寄せられたのかも知れない。 「では、お世話をかける」と小さな声で言った。 「ただ…我が屋敷では・・・」 躊躇して言いかけた。その口調で察したのだろう。片桐は、「名前は名乗らない。お父上はご在宅か」と言った。心残りを感じながら腕を離した、傘は片桐に差しかけたまま。左肩に冷たい雨を感じた。 「いや、夫婦で夜会に招かれていると今朝たしか・・・」  門の前で守衛に声をかけ、女中に傘とバスタオルを持って来てもらうように言いつけた。  間もなく女中が慌てて走り寄ってくる。大きなタオルケットに包まれた片桐の姿は可憐に見えた。  加藤の屋敷には客室も多数あるが、敢えて自室に通した。客室を用意させるとなるとキヨの手を煩わせることになる。キヨは両親の供をして夜会に出たこともある。それを慮ったのだ。自室の内部にある浴室を使わせた。

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