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第28話
いつもより早い時間に屋敷を出た。もしかしたら片桐と二人きりで話せるかも知れないと一縷の望みを込めて。そして今は、父母やマサの顔を見たくないと思った。女中がマサを呼びに行く前に屋敷を出なければならなかった。
教室に近付く。密かに気配を窺った。中に誰かが居る。片桐だと良いと一瞬祈りを込めてドアを開いた。
祈りが通じたのか、それとも偶然か。先着していたのは片桐だった。片桐も驚いた様に大きな目を見開いた。白い顔がいつも以上に白かった。
「お早う。話が有る。此処では話し辛いから、中庭に行かないか」
そう言ってきたのは片桐だった。頷いて横に並んで歩き出した。彼も無言、自分も何も言えなかった。
中庭の大きな楠の木に凭れた片桐は、華奢で器用そうな一指し指を唇に当てていた。黙ってその様子を眺める。
「昨日、御父上に何か言われただろう、オレの事で」
「お前は迷惑だったか」
逆に聞き返す。
「いや、オレは妹に一部始終を話したくらいだから、何の事はない。両親は鮎川公の園遊会に呼ばれただけだと思っていらっしゃるだけだ。ただ、お前の事が気になった。屋敷で叱責されたのではないかと」
無言を通すしかなかった。それを察したのだろう、唇に当てていた指の数が次第に増え、握り拳の形になった。血管を浮き上がらせる白い手首を微かに震わせて、静かに言った。
「もう、オレとは関わらない方がいい。今まで有り難う」と。
「お前の気持ちはどうなんだ」
左の腕を掴み、発作的に叫んだ。腕を掴まれた事が原因か、叫ばれた事が原因か、彼の身体はビクンと跳ねた。
「オレの気持ちは関係ない。ただオレを構っていると、お前の御両親がご立腹なさるだろう。憂慮しているのはそれだけだ。それに、オレの家のかつての家臣は貧窮している。オレだけの気持ちで動くわけには行かない。だから、オレには構わないでくれ」
そう早口で言うと、片桐は立ち去って行った。呆然と見送っていると、一瞬だけ片桐が振り向いた。大きな瞳が感情に揺れている。唇は笑みの形をしていたが、笑っては居なかった。ただ、寂しそうな様子に見えた。が、自分の想いに引き摺られてそう見えただけかも知れないと思う。
頭が真っ白になった状態で教室に戻った。人数は大部増えている。片桐はいつもと変わらない様子で黒田と話していた。
(そういえば、黒田家もかつては賊軍と呼ばれた大名家出身だった、な……)
やはり、自分のような人間が彼に近付くのは迷惑なのかもしれない……。そう思ってしまう。
そこへ三條が登校してきた。
「あれから大変だったのではないか」
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