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第55話(第2章)
「ああ、俺の家では確かに無理だ。だが、三條家の園遊会なら招待出来ると思う。三條には後で頼んでおく。華子嬢もその積もりで話されていたと思う」
安堵したような溜息が漏れた。
「そういう事か。聞いていて動悸がした。だが、また三條君に借りが出来る…な」
「…実は、もう一つ借りを作った。今、俺は三條の屋敷でレポォトの手伝いをしている事になっている」
今度は深刻な溜息が漏れた。
「三條君には迷惑を掛け続けているのだな」
「三條は気にしないと思うが」
「それは、親友の晃彦だからだろう。オレはただの級友の1人に過ぎない」
「三條もお前の事を気に入っている。親しくなれば良い。そうだ…彼は英語が苦手だ。教えてやれば良い」
「その位の事で借りは返せるのだろうか」
深刻そうな口調だった。
「ああ、そういう男だ。お前も気にするな」
笑いかけると、唇に手を当てて、「そう…だな」と言った。
その動作に誘われて、テェブル越しに身体を乗り出し、口付けをした。彼も目を閉じた。指が絡む。
「名残りは尽きないが、そろそろ、屋敷に戻らなくてはならない」
唇を少し離してそう言った。
「そうだな…。オレもお前と居たいが…そうも言ってはられない。あと六日間は両親が屋敷にいらっしゃらないから」
「ああ、では、出来るだけ訪ねて来る事にする。夕食までに屋敷に戻れば問題は無い」
握り締めた手の力が強くなり、唇が重なった。
名残り惜しそうな片桐と、華子嬢を先頭に使用人達が並ぶ。辞去の挨拶をして片桐邸を出た。徒歩で屋敷まで帰る。近い事もあったが、片桐家の自動車も自分達の階級の例に漏れず家紋入りだ。その車に乗って帰るわけには行かない。
正直、父母と顔を合わせるのは避けたかった。父母も大切だが、自分に取ってもっと大切な人が出来たのだから。しかも、あれほど深く触れ合った後だ。平静な顔をする事には慣れているが、今夜ばかりは繕えるかどうか分からない。特に母は目敏い。出来るならば、顔を合わせたくはなかった。
この恋が露見すれば、俺ばかりでなく片桐も破滅してしまう。
覚悟は出来ていたが、露見しないように振舞うのが得策だろう。もう片桐を離したくないのだから。
屋敷に着いた時、安堵の溜息が出た。明かりは半分に落とされている。これは主人夫婦が寝室に入ったという事だ。女中頭であり、執事の役目もしているマサは起きては居るだろうが、彼女の目は誤魔化せる自信は有った。マサを始めとする使用人達に迎えられて部屋に入った。
「疲れているので、一人にして欲しい」
そう言って、自分付きの女中も遠ざけた。マサも特に何も気付かなかったようだった。 勉強用に使用しているデスクに向かう。通知表は父兄に送付されるので、成績を落とすことは出来ない。もし、成績が落ちたら母などは大騒ぎして家庭教師を探すだろう。英語の先生は片桐と同じなので続けるつもりだった。しかし、これ以上家庭教師を増やされると自由な時間が取れなくなる。
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