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第56話(第2章)

 机に向かって居る間は集中して学業に取り組んだが、眠る準備を整えて寝台に横たわると、色々な事が脳裏を横切る。  家族の誰にも気付かれずに彼との逢瀬を続けるにはどうすればいいか。お互いの家が敵視している以上は迂闊な事は出来ない。  六日間は、片桐伯爵夫妻が不在なので、自分が訪ねて行けば良い。華子嬢もおおよその事は分かって下さったのは有り難い。問題はその後だ。自分の屋敷には両親が社交などで不在がちだが、マサを始め社交の付き添いをしている使用人は数人居る。片桐の顔を知っている使用人も居るかも知れない。  学校でも、噂になれば誰かが他意は無くても漏らすかもしれない。社交界は狭い。どこからともなく噂が広まるかも知れない。屋敷の使用人達にも噂が伝播するかもしれない。  三條以外に相談する相手は居ない…か。  覚悟はしていたが、自分達を取り巻く状況はあまりにも過酷だ。しかし、諦める気には全くなれなかった。  今日の片桐の姿が不意に浮かんだ。彼のしなやかな肢体、恥ずかしげに振舞う仕草、羞恥に染まった顔、そして自分を呼ぶ声。ふっくらとした唇の感触や、握り締めた細い指の感触。  思い出すと止まらなくなった。身体の中心が熱を帯びたのを自覚して、ほろ苦く笑うと、浴室に入った。湯は冷めていたが、丁度良かった。熱を冷まそうと努力した。  熱を冷まして寝台に入った。通常よりも遅く就寝したせいか、自分付きの女中の大きな声がするまで目が覚めなかった。  慌てて柱時計を見ると、朝食を摂っている余裕のない時間だった。朝食よりも、片桐の顔が見たい。そう思って、父母になおざりな挨拶をして車で学校に急いだ。  予鈴を聞きながら校門を潜る。どうにか間に合った。慌てて自分の教室に入って行くと、片桐と目が合った。彼は一瞬だけ微笑み、その後冷たく視線を逸らせた。  (学校では話し掛けるな、と言う事だな)  そう思った。彼も昨夜自分と同じような事を考えたのだろう。慌てて着席した。その瞬間、始業を伝えるチャイムが鳴った。   一限目の授業が終了した。三條は待ち兼ねたように近寄って来た。 「此処ではまずい。僕に着いて来い」  周囲を見回し、小さな声だった。頷いて、三條の後を追った。三條はこの前話した場所とは異なる中庭に自分を誘った。 「昨日は助かった。お前の屋敷に寄るという言い訳しか見つからなかった」  頭を下げた。 「その様な事は何でも無い事だ。僕の名前が役に立つならいつでも使ってくれても構わない。以前から助力は惜しまないと言っている。親友甲斐の無いやつだ。 まあ、良い、昨日あれだけの時間を片桐君の屋敷に居たのだ。結果が悪かったとは思えないが」

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