65 / 221
第66話(第3章)
片桐が手を握ったままで言う。内心は複雑だったが、彼の気持ちを確かめるように言った。
「絢子様にはお気の毒だが……俺にはお前の言葉の方が嬉しかった」
「オレは真実を述べたまでだ。絢子様は気高く自尊心の強いお方だ。約束されたからには守って下さるだろう。・・・…しかし、この様な関係は長くは続かない。その事は重々承知して居る。もし絢子様では無く、晃彦の母上がいらっしゃったら、大変な事になっただろう」
握った手の力が強くなった。彼の心情を吐露するかの様に。
「先程、お前は『自分は迷惑に成らない様に身を処する』と言っていた。あれはどういう積もりだ」
僅かな表情の変化も逃さない様に凝視しながら聞いた。
「具体的には考えたく無い問題だから、先送りにして居た。しかし、もしそういう事態に成ったら、オレはお前に迷惑を掛けない積もりで居ることだけは事実だ」
決意を秘めた強い瞳が雄弁に心情を物語って居る。自分の非力さが情けなかった。
「お前だけに負担を掛けさせたく無い。これは二人の問題だ。しかも、俺の方がお前に惚れた。罪と言うのならば、俺の方に非が有る。もし露見したら俺が責任を取る積もりで居る」
上手くは表現出来なかったが、正直な気持ちだった。彼の強張った顔が少しだけ緩む。
「両親に発覚して仕舞わない様にするしか無いだろうな。オレの家も晃彦の家も反目し合って居るのは事実なのだから」
「忌忌しいがその通りだ。だからお前と居る一瞬一瞬が尊く思える。いつもそう想っていた」
「オレだってそうだ。ただ、この関係は長くは続かないと覚悟は決めて居る積もりだ」
静かに言う彼の姿が切愛しくて切ない、息が詰るほどに。
「……俺は長く続かせたいと思って居る。出来れば永遠に」
「オレもそう祈っては、居る」
周囲を窺って言うと淡く微笑み彼の方から唇を寄せて来た。
名残惜しげに唇が離される。間近に彼の瞳を見た。その瞳は深い湖の様に謎めいて居た。熱情と諦念が混ざり合った眼差し。あえて表現するならば、その様な感じだった。その瞳に隠された感情は切なさを呼び起こす。自分だけが許されている彼の内臓に分け入って隙間無く感じれば、この切なさなど、少しは和らぐのだろうか……とも思ったが、親友の三條の屋敷とはいえ他人の屋敷でその様な事が出来よう筈も無い。
「知れば知る程、尚知りたくなる。精神的にも、肉体的にも。そして、お前と一緒に居る時間を増やしたく思う」
そっと囁くと、自分には吸引力の有る瞳が、数回の瞬きをした。
「オレだって晃彦に逢いたい。しかし、遭う機会が増えれば増える程露見の危険は高く
なる」
大きな瞳が恥ずかしそうに伏せられた。
「オレだって、毎日逢いたいし、話したい。そして…晃彦を感じたいと、そう思って居る」
「屋敷しか、使えないな。お前を感じるのは。ただ、逢って話すだけなら…学校は無理だが、どこか逢引の場所を探そうか」
ともだちにシェアしよう!