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第67話(第3章)

「そうだな……それが良い。神田のニコライ堂などはどうだろうか」  暫く考えて嬉しそうに微笑しながら言った。自分達の学校の生徒は殆どが華族階級であり、キリスト教信者は居ない。華族階級も殆どが教会を忌み嫌って居る。その様な場所に近づく事は有り得ないだろう。 「いい考えだ。屋敷に父母がいらっしゃらない時はそこで逢おう。出来れば毎日」  流石に片桐は行動範囲が広いだけ有り、考える事も幅広かった。彼の想いの深さを知り、改めて恋情が深くなった。  自分も、片桐の様な考えや行動を見習わなければ成らない。そう思ったのは勿論だが、かつての華子嬢の言葉を思い出す。  (1人で抱え込む傾向が有る、な)  その言葉を脳裏に思い描きながら、彼を守りたい。そう切に思った。彼が悲しむ事や悩み事を聞いて自分も一緒に考えたいと思った。  勿論欲情は有る。しかし、彼の肉体に惚れたわけではなく、彼の全てに恋情を抱いた。  欲情の発露は、屋敷内で人目を気にして行うべきだ。それはともかく、彼の存在を身近に感じるのもまた尽きない喜びだった。人目を気にせずに逢瀬が出来るのなら、それだけで満足しなければ成らない。どちらかの両親にこの恋が露見すれば、引き離されるのは必至だったからだ。  それまでに片桐の性格をもっと知って置きたかった。  人目を気にして、手を繋いだまま接吻し、中庭を後にした。現実に引き戻される様な、心が軋む様な気がした。  不自然に成らない様に気をつけながら、三條の屋敷の最も大きな主賓室に向かった。  それにしても……と、晃彦は思った。自分の生まれた家や階級などを嘆くのは贅沢が過ぎる。いつの日に片桐が言って居たように、貧困に喘いでいる庶民は沢山居るのだ。まかり間違えば、自分もその様な家に産まれたかも知れない。だから、この考えは自分でも不遜だと思っていたが、その思いは変わらない。  自分達の屋敷の仕来りとして、大きな屋敷を構え、使用人が大勢居る。特に部屋付きの女中は、ベットメイクもするので情交の跡などは直ぐに分かるだろう。自分の屋敷の場合、マサが目を光らせているのでそんな痕跡を見つけられたら報告が入るはずだ。  片桐の屋敷には、マサに当る様な使用人が居ない。けれども、情事の痕跡は片桐付きの女中は目敏く発見するだろう。以前、片桐の屋敷で情交に及んだ時、片桐の協力を得てそういった痕跡を上手く隠せたとは思うが、いつ気付かれるかは分からない。信用出来る女中を探すしかなさそうだ。  庶民から見れば、羨望の暮らし振りで有る事は分かって居る。それでも、片桐の熱に直接触れたいと切実に思う今、その暮らしさえもが疎ましく思えた。学校もそうだった。学校では片桐を敵視する人間が居り、また自分の家の繁栄を快く思っていない人間が居るはずで、彼とは学校でも親しく口をきく機会など無い。いっその事、慶応や一高に入学して居れば、また話が変わったかも知れない。慶応は華族が通う学校ではないので、片桐との事が露見しても学校内の醜聞で収まるだろう。一高なら尚更だ。それに一高は全国の秀才達が下宿を借りてでも集まって来て居ると聞く。下宿先を逢引の場所として提供してくれる友人が出来るかも知れない。三條とは知り合えなかったかも知れないが。  自分が今、一番大切な存在は片桐だ。  その彼と逢瀬もままならない状況が、泣きたくなる程切ない。  そんな事を考えていると、隣を歩いていた片桐が、右手の甲をそっと自分に当てて来た。手の甲が当って居るくらいは不自然では無い。そう思って自分も左手の甲をずっと、片桐に委ねた。それだけの接触でも、彼の熱を感じるのは望外の喜びだった。

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