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第69話(第3章)

「分かりました。あちらで冷たいものでも召し上がりませんか」  三條もやっと気付いた様に言った。敏感な彼らしくない反応だった。普段ならこういった場面では一番敏い筈だったのだから。  両親の視線を背中に感じたが、気付かない風を装って、絢子様をエスコォトする。これが一番無難だろう。三條は華子嬢と片桐に話しかけながらその後に続いた。専ら話しをしているのは三條と華子嬢だったが。片桐は時折口を挟むだけの役割だった。静かな場所に落ち着くと、華子嬢がはにかんだ微笑を浮かべる。 「絢子様に大変御手数を御掛けしましたわ。わたくしはこういった席に出席した事が御座いませんでしょう。ですから何を着て参ったら良いのか良く分かりませんでしたの。当然母には相談致しましたが。洋装の方が良いと母は申しておりましたけれども、わたくしはそれほど持ってはおりません。絢子様に御相談申し上げましたら」  絢子様は雛人形のような唇で言葉を紡ぐ。 「ええ、華子さんにアドヴァイスを致しましたの。わたくしも和服を着る積もりですから貴女もそうなさいませ、と。これなら失礼に当りませんでしょう」 「そうですね。仰る通りです。振袖は淑女の第一礼装ですから。それに御二人共良くお似合いでいらっしゃる」  三條が真顔で言った。ようやくいつもの彼らしい言葉だった。三人が親しげに話しているのを片桐と自分は並んで聞いて居た。話に興ずる三人には気付かれない様に片桐が呟いた。 「明日の放課後、ニコライ堂で」と。視線で返事をした。それだけで通じるだろう。あれ程肉体で会話をした仲なのだから。  園遊会のお開きの時刻となった。絢子様が後退出なさるのを、三條の御両親と嫡男である三條、そして、三條家と親しい付き合いをして居る自分の両親と一緒に車宿りまで見送った。ここからでは三條邸の建物が全て見える。豪華なアールーヌゥボーな屋敷だった。  絢子様は去り間際に、扇で口元を隠したまま小さな声で仰った。 「片桐様を大切になさって下さいませね」 「ええ、そのつもりです」  其の言葉に頷くと、自分に背を向けられた。西陣織の豪華な振袖と、ふくら雀に締められた帯が優雅だった。  主賓が退出なさると、園遊会の空気もどこか緩んでくる。片桐と華子嬢も退出の挨拶をしに来た。片桐も三條夫妻に非の打ち所の無い挨拶をしている。その様子を見ていた。自分が口を挟む筋合いは全く無いので、その姿を眺める。黒い絹の燕尾服は禁欲的ではあるが、それ故に欲情をそそられる。自分よりは幾分華奢な身体。そして、燕尾服という名前の由来となった、腰のラインを際立たせる服。腰も幾分は細いが、女性の様に丸い事は無い。長方形の形をしている。それがどうしようも無く劣情をそそられる。

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