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第81話(第3章)
「ああ、ただ婚約は早めたいと言って居た」
「好いて呉れる方に貰われて行くのなら、華子も幸せになる。オレとしては寂寥の思いがするが、女性に生まれたからにはいずれ嫁に行く…その相手が三條君なら大歓迎だ」
「好いた方と添い遂げたい気持ちは、誰もが同じなのだろうな。しかし、俺達の社会では中々上手く行くものではない。家同士が絡むのだから。嫌々嫁ぐ方もいらっしゃる」
指を密かに絡めてそう言った。
「オレ達の関係も露見すれば終わりになる。お前も色々な令嬢が片思いしてらっしゃる事は華子に聞いた。晃彦も、釣りあった令嬢と結婚話が出てくるだろうな」
諦念を滲ませた声で片桐は言った。
「結婚か…母上が色々と探していらっしゃる事は知っている。しかし、お前以上に惹かれる人は居ない」
耳元で囁くと、片桐の耳が紅色に染まる。
「…オレは、晃彦をずっと見ていた。縁談もちらほら舞い込んで来て居るのも知っている。しかし、逢う度に晃彦に惹かれて行く。今は晃彦の事しか考えられない。絢子様の御厚情は有り難く思ったし、片桐家に取っては彼女と結婚するのが一番良いとも思った。だが、晃彦の存在が一番大切で手放す事が出来なかった。晃彦に婚約者が現れた夢を見て、飛び起きた事も有る。…今日、お前に『大切な話』と聞いて、晃彦がオレに愛想尽かしをする積もりかと、とか、晃彦に婚約者が現れたのかと動揺してしまった。今はこんな風に逢えるのが嬉しくて堪らない。一秒でも多く一緒に居たいし」
殆ど囁くように言葉を続ける。
「晃彦を身体で…感じたい…。いつかは露見する恋情だ。だから逢える時間は限られている。お前の全てを感じる時間がオレに取っては一瞬一瞬が大切だ」
顔を覗き込むと、彼の瞳の中には深淵が有った。
同性との関係、家の問題、そのどちらにしても片桐には残酷過ぎるものらしい。
繋いだ手の力が一層強くなる。
「俺もお前を感じたい…」
掠れた声で囁いた。そして、昨日、交情した場所に行こうと、手を引いた。片桐も頬を微かに染めて付いて来る。
そっと隣を歩いて居る片桐の姿を凝視するでもなく愛おしさを込めて見守る。
切れ長という表現からは少し外れるが、黒と茶色の中間色の瞳。その中に恋情とそして山奥にひっそりと存在する神々しい淵の様な底の知れない心許無さを感じた。潤んだ瞳の中に存在する、吸い込まれる様でいて決して中を覗かせない様な何か。
細い眉に整った鼻梁、薄桜色の唇には人差し指が添えられて居る。これは自分と居る時にしか見せない片桐の動作だった。彼とは身長差が有るので清潔な髪の匂いが間近に香る。
その全てが自分を魅了して止まないが、瞳の中の深淵が不安に胸をざわめかせる。
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