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第99話(第4章)

 その唇に誘われて、軽い接吻を送る。薄目を開けて彼の様子を窺うと彼は幸せそうに薄く笑んでいた。 「今、何時だ」 「そろそろ下校の時間だ」 「そんなに眠っていたのか」  片桐は目を見開き、驚いたように言った。 「ああ。気持ち良さそうに眠っていたから起こさなかった」 「父上が倒れられた後でこんなに熟睡出来たのは初めてだ」 「……そうか。それは良かった」 「晃彦には授業をさぼらせてしまってすまない。しかし、時々は感じていた。髪を梳いてくれていただろう。あれはとても気持ちが良かった。眠りが浅くなった時もあのお陰でまた眠れた」 「授業は後で取り返せるが、お前の看病は取り返せないから、気にするな。それよりもそんなに眠りが浅いのか」 「ああ、父上の一件以来、寝たと思っても直ぐに起きてしまって、それから一睡も出来なくなる事が続いていたから、どうやら癖になったみたいだ」 「良くないな……それは」  思わず低い声で言った。しかし、ここで会話して時間を潰してしまうと級友達の下校時間にぶつかってしまう。 「学校から出るぞ」  そう言って、彼の上体をゆっくり起こした 「大丈夫か。ふらふらしないか」 「大丈夫」  彼の「大丈夫」は当てにならない事は良く知っている。上体を支えながら彼のベルトを渡してやった。シャツをズボンの中にきちんと収めた片桐の男性にしては細い腰にベルトが回される。  留め金を締めようとしている指をやんわりと退け、留め金を止め、学生服を着せ掛ける。ボタンを下から嵌めて行き、首筋まで到達した時に聞いて見る。 「苦しくは無いのか」 「ああ、ゆっくり眠ったからもう大丈夫だ」  それでも顔色を覗ってしまう。確かにいつもの顔色に近い色には戻って居る。きちんとボタンを留めてから立たせた。 「歩けるか」 「晃彦は過保護だな」  苦笑した片桐は、普通に歩いてみせた。  その様子に安堵する。どうやら今日のところは回復したらしい。体力も普通以上に有る彼だから回復力も普通以上の様だ。しかし、心労はこれからも重なって行くだろう。自分が助ける事が出来ないのがもどかしい。  二人して校門を出た。 「晃彦、教官に断らなくても良いのか」 「ああ、すでに言って有るから大丈夫だ」 「手回しが良いな。この鞄は」 「それは三條が気を利かせて持って来てくれた」  片桐は微苦笑して言った。 「彼には借りばかり増える」 「そうか……。三條は華子嬢に売り込んで欲しいと言っていたぞ」 「華子には勿体ない相手だな。家格も性格も……しかし、彼と華子が結婚すれば華子は幸せになれるだろう」  淡々と言葉を紡ぐ片桐につい言ってしまった。

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